絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

大学への呼び出し3 No.90

完成したフレスコ画の提出 

 K先生(女子)から借りたノートは、僕のフレスコ画の制作を終えてから初めて目を通した。

 この数日で本を読み漁り知ったフレスコ画の知識は、K先生(女子)のノートからも外れた内容ではなかった。

 というより、K先生(女子)のノートは、多くの情報を簡潔にまとめ、丁寧に書かれていたもので、大雑把で頭の悪い僕には真似のできないノートだと感心していた。

 

 自宅で完成させたフレスコ画とK先生(女子)のノートを持って、僕は寝不足のまま大学の研究室(日本画の研究室)へ行く。
 すると、研究室にはK先生(女子)と準備を手伝ってくれた上級生たち(この場面にもたまたま居た)も居た。

 それから、僕のフレスコ画の準備をしてくれた上級生は、「あれ?もう出来てる?」と言って驚いていた。

 状況から察すると、K先生(女子)と上級生達の考えのなかでは、絵具のことや描きかたについては、また後日に改めて説明するつもりでいたそうだ。
 それを教える為に僕を待っていた間、僕は自分で勝手に勉強を始めて完成させ、研究室に持って来ていた。

 K先生(女子)や上級生にしてみれば、フレスコ画の事など、教わらなければ出来ないものばかりと認識していた。
 逆に僕側は、困っても誰かが助けては貰えない学生生活をやってきた訳で、フレスコ画に限らず日本画のことについても、調べることから材料の確保まで自分ひとりでやる認識を持っていた。

 研究室の片隅には、僕へ使わせようとしていたらしき生石灰も見掛ける。

K先生(女子)は、
「私はこんな風に描きました。」
 といって、自身で描いたフレスコ画を見せてくれる。

 僕もK先生(女子)も、人物を描いているのだが、僕との考え方や好みや性格の差を感じる。

 K先生(女子)の描いたのはインド人の女性で、綺麗な線と丁寧な色塗りで清潔間を持った絵になっている。

 僕が描いたのは、高校生の終わり頃から好きになったボビー・コールドウェルという歌手の肖像だった。
 僕の絵は大雑把で、線よりも面やグラデーションで絵を作り上げている。

 僕は線が苦手だからこそ、本当は線を学びたい気持ちを持っていたし、1年生の頃からK先生(女子)から色々なことを学びたいと質問や会話を求めていたのだった。

 そう望んでいたあの時には、近づくことさえ出来なくて。

 完全に諦めてしまった今ごろになって、K先生(女子)とこうして会話できている。

 皮肉なことばかりだ。

 

 それからK先生(女子)は、僕の制作したフレスコ画を研究室の奥へ持って行く。
 奥にはA先生(男子)が居たらしく、A先生(男子)の声が聞こえた後、研究室の入り口にいる僕のところへやって来る。

A先生(男子)
「これは自由研究としてやっているだけだから、無理にフレスコ画をやらなくても良かったんだ。
でも描いたならちゃんと評価しておく。
うん、わかった。」

 そう言って僕の画いたフレスコ画を少し見て、すぐに返してきた。
 その後でK先生(女子)は僕に頭を下げて謝ってくる。

K先生(女子)
「私の勘違いでした。申し訳ありませんでした。」
僕も頭をさげながら、こう返す。
「いえ、僕も色々と勉強になりました。
お気遣いなど、色々と感謝しています。

有り難う御座いました。」

 これで、フレスコ画の制作と提出は終えた。

 

善意に対する迷い

 フレスコ画の提出を終え、自宅に帰ると直ぐに寝た。

 フレスコ画の事を自分で調べ始めた辺りから、何日もまともな睡眠はとっていなかった。

 そして、深夜に眠りから覚めて、この数日間のことを振り替えって考えた。

 

 A先生(男子)には、これまでに何度も繰り返し「絵(課題)を見て欲しい」とか「課題について直接話がしたい」と求めてきたが、1度も取り合ってはくれない。
 S先生が変わりに絵を見てくれている処で、稀にA先生(男子)から僕へ話しかけてくる程度で、話はいつも向こうからの一方通行だった。

 僕には、A先生(男子)はいないから仕方なくS先生が対応すると聞かされているのに、やはり奥で居留守ばかりを使うズルい人…という見方をしている。

 今回のフレスコ画の件では、僕を特定の教室で待機している様に指示をし出していながら、その後は僕のことなど忘れていた。

 フレスコ画の提出時に顔を合わせても、悪かったと声をかける訳でもない。
 自身の不手際なんか何も気付いていないのか、気付いていない振りをしているのかも、よくわからない。


 この時期、A先生(男子)は『高木と話そうものなら、どんな暴言が返ってくるか怖くて、高木には話し掛けられない』等と言う為、僕もA先生(男子)に近付くことは止めていた。

 そのことで、僕もA先生(男子)へ課題についての許可を求めたり、質問なんかもしなくなった。

 そうする以前から、僕と会話なんかしてくれたことのない先生だ。

 

 フレスコ画を提出した時。
 A先生(男子)は「これ(フレスコ画)は自由研究だから…」と言っていた。
 それは、フレスコ画をやらなくても、年度の始まりに計画していた通りの課題を提出しておけば、何の問題もないということだ。

 それでも、全ての学年の生徒がフレスコ画をやっていて、僕1人だけが提出していないことに、K先生(女子)だけが疑問に思う。

 そして、K先生は僕に電話をしてきた。
 その電話の最後の辺りで、
「あなたに何かを教えた事を他の先生に知られたら、私の立場が悪くなる」
という言葉が出てくる。

 僕に何かを教えたら、その教えた先生の立場が悪くなる?

こういう話に結び付く事柄は、S先生との過去のやり取りではないだろうか。

S先生
「お前はもう、芸術に関わっては生きていけないようにしてやる!」

 そう怒鳴られた事が過去にあった。

あの時の発言は、S先生が勢いで言っただけのものとして、僕はそこに目をつぶろうとしてきたけれど。
 その時の影響が、いまこの場面にも残り、拡がっているように僕は考える。

 過去に、生徒間のトラブルについての話でも、 
「暴力的な性格のお前が暴力を振るわなかったなんて珍しいな。何かあったのか?」
「我慢しないで、誰かの行動で腹立ったなら、そいつに暴力振るって判らせた方がいいよ。我慢するのは良くない。」
等とS先生から言われていた。

 そうやって暴力を振るうように僕を煽り、暴力を振るった事実を起こして退学に追い込む考えなのだろう…というのが、S先生の発言に対する僕の解釈である。

 この時期はS先生と接する機会が減っているだけで、あの険悪な関係は他者を巻き込みながら、今でも続いているのではないか。

 K先生(男子)から、大学へ来ることを禁じられた経緯も、それ等の過程の影響を受けてのものだ。

 S先生の発してきた悪意ある言葉の数々は、いまも全部生きている。

 僕に対してのみ『終わった話だ』といって、その話題に触れるなといっているだけで、S先生はこの問題を終わらせていない。

 S先生に限らず、みんなおかしな状況になっているのを知っていて、後ろめたい行動をとった覚えもあるので、自分に否があるという話が出るのを恐れ、『全部、高木が悪い』という蓋をして、それで押しきろうとしているのではないか。

 K先生(女子)が、僕に何かを教えると立場が悪くなるというのは、その教員達のやり方に反しているからだ。 

 

 少し前まで、僕はK先生(女子)を信用してよいものかと悩んでいた。

 善意を装った悪意とか、自分は悪くないという既成事実的をものを作っているだけ、という考え方や受け取り方も、しようと思えば出来るけれど…

 フレスコ画のやり取りのなかで、僕はずっと、K先生(女子)をかなり厳しく疑いの目で見てきたのに、疑わしい要素なんか一つも出てこなかった。

 僕は元々、日本画の教員達に対して、喧嘩をしたり疑いを持ちたくて接しているのではなく、信じたい気持ちを持って接しているのだ。

 そういう処からも、これ以上はK先生(女子)を疑えない。

 一年生の頃に、僕は何人かの同級生から『世間知らずのバカだ』と言われていたが、その通りなのだろう。

 自分の生き方として、善意でこれだけのことをしてくれた人物を、これ以上に疑って勘ぐったり、前以て困るとわかっている様なことをしてはいけない、と考える。

 そう考えた上で、この言葉は僕のなかで意味を持ってくる。

『あなたに何かを教えたことを他の先生達に知られたら、私の立場が悪くなる』

 

 K先生(女子)のモラルは信じるけれど、それ故に、K先生(女子)に教えを求めたり、話しかけたり、人間関係的に近付いていく行為は出来ないと意識していく。

 結局は、考えの過程が少し変わっただけで、生徒として具体的にどう動くという部分は、何も変わらないのだ。