絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

ガラスと布を組み合わせた静物画3 No.37

講評会

 この静物画は制作途中のまま、講評会に持っていく。

 なぜ制作途中になったのかというと、右上の照明器具が上手くいかなかった。

 何度も修正したり、塗りつぶして描き直しても、形に違和感を感じてしまう。

 ただでさえ、時間のかかる作業を選んで行っているのに、それを何度繰り返し、実際には直っていても、どうしても違和感を感じて直そうとする。

 大学でのトラブルも絡んで疑心暗鬼に陥って、ずっと悪循環をめぐっていた。

 途中の状態としては(下に画像貼付)、右上の照明の描写が曖昧なことと、石膏像に立て掛けている左下のガラスの縁を描いていないところで止まっている。

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 この時の講評会も、立ち会ったのはK先生(女子)とA先生(女子)だった。

 美術大学に入学した当初から感じていたが、僕の作品はいつも同級生達のとは少し違う。

 前回と今回で言えるのは、絵具の発色や艶の様なものだろうか。

 他の生徒とは違うという点では、やはり後ろめたい気持ちも持っていたが、やっている内容面に関しては、自分が学ぶべきことを行っている考えでいた。

 

 当時、伊東深水の弟子の著書を読んだことがあった。

(その弟子名前は、記憶のなかで他の人物と混同しついて、思い出せないでいる。)

 そのなかで、日本画の特徴的な白としてよく語られる胡粉について『使いこなすには、使い続けても十年かかる』と書いていた。

 そういう知識もあり、僕のこの時の課題で使っていた胡粉(白)の扱いに何かの問題があっても、それは恥ずかしい事ではない、という考えも持っていた。

 僕は日本画のことを学び始めたばかりであるから、日本画の絵具の扱いについて、上手くいっているかいっていないかさえもわからない。

 僕は大学の教員達から、そういうことこそ教わりたかったのだが、大学の授業が進んでいく程、こういうことはどうでもよい事になっていく。

 現代の日本画で主流となっている描き方では、絵具を厚みを持たせて塗り重ねていき、西洋絵画的な色調で絵を見て評価するから、胡粉がきめ細かく塗れるとか、濃淡とか、そういうものに拘っていられなくなる。

 そういうのが、この美術大学での指導の在り方だった。

 そんな全体の流れのなかで、いつまでも胡粉がどうこう言っている僕であるから、異端で『抽象画をやろうとしている』『他人と違うことをやって目立とうとしている』としか見られなかった。

 画像は、上村松園の姉妹弟子であった伊藤小坡の絵であり、僕はこういう日本画の絵に憧れ、日本画を専攻した筈だった。

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伊藤小坡「ふたば」

https://plginrt-project.com/adb/?p=25696

 当時の僕には、そこまでの状況の把握や分析は出来ておらず、ひたすら違和感を感じていた。

 今にして思えば、この頃から既に、僕の身に付けてきた技術や、僕がこれから学んでいこうとしていること、興味を持っていること、それ等を全てまわりから否定されていたのだ。

 

批評

 そんな感じで、今回の講評会でも僕の絵だけは違った雰囲気を出している。

 そして、完成もしていない状態で絵を出していた。

「制作途中なのですが、絵具の塗り方を工夫しました。
 筆の跡を感じさせないぐらいの意識で丁寧に塗っています。」

 この程度の説明だけで話を閉じた。

 講評会での批評に関しては、予想通りに酷評を受ける。

 僕側は「制作途中」と言っていても聞き入れられず、石膏像に立て掛けたガラスになる部分の描き込み不足を「抽象画」とか「工夫したところはここだろう」と受け取られる。

 そうしてK先生(女子)からは「こんなことやっているのがダメなんです」と叱られる。

 その言葉に併せてA先生(女子)も、わざと嫌そうな表情を作って「筆の痕を感じさせないように描いていると言っているけど、これだとスプレーで簡単に描いたように見える」と述べる。

 この言葉に関しては、僕も未完成品を見せている訳だから仕方ないと考えていて、「はい」とか「わかりました」という程度の言葉を返すだけだった。

 それ以上のやり取りを講評会の場でしようとすると、怒られるからだ。

 毎度の事だけど。

 講評会では、いつも僕だけがひたすら叱られる。

 他の生徒に対しては、良いところを褒めて伸ばすという考えから、少しでも褒めるところを探して褒める様にしている。

 

 たぶんここで、K先生(女子)は僕に対して叱る以外の言葉しかかけていないと考え、少し褒めて噺のバランスを取ろうとしたのだと思う。

「良い所もあるのだけど…」
と言って、石膏像の描写にマチエール的な工夫を凝らしていて、上手く立体的に見せていると話し出す。
 そして、石膏像部分に顔を近付けながら見つめて
「あれ?あれ?」
と言って困っている。

 それを見た僕は「はい、わかりました。はい、はい…」と返事を返してやり取りを閉じる。

 実際には、僕はマチエール等は一切やっていなくて、頑張って描いた描写が立体的に見えていただけのこと。

 こういうものは、デッサン力があれば、描写と色調の関係でそう見せれることもあり、結局はデッサン力の問題だったりする。

 そんなことくらいは、解る人は当たり前に解ることなのだけど、同級生達のなかにそれだけのデッサン力を持つ人も居ないため、K先生(女子)もデッサン力としての問題と見れなかったのだろうと察した。

 だから、反論や何かを語るのではなく、「はい、はい」という返事だけで会話を流した。

 わかりきった細かな間違いに対して、僕は正しいとか間違っているという話を長々するつもりはなかった。

 今回に関しては、未完成品を見せているのだから、僕側に問題があったと考えようとしていた。

 

批評後

 この講評会を終えてから、僕は研究室に向かう。

 僕としては、K先生(女子)とA先生(女子)のふたりから、もっと色んな話を聞きたかった。

 これ迄の半年くらいのやり取りや経過から、誤解や行き違いもあっただろうと考えていて、それを埋める為にも頑張った課題だった。

 そこについての話を講評会でしてしまえば、僕の絵への批評だけで、講評会の殆どの時間を潰してしまうだろう。

 やはり僕の考えが正しかったという様な話に向かっていってしまうと、教員達の面目も潰してしまうかもしれない。

 そういった事への配慮でもあって、講評会の場では、殆どの語りたい事を敢えて伏せていた。

 

 そうして、僕は研究室へ行って、課題の件でK先生(女子)と会話したいと求める。

 A先生(女子)は目の前に居たので、敢えてA先生(女子)の名を出す必要はないと考えていた。

 そう求めても、やはりK先生(女子)と話はさせて貰えず、A先生(女子)だけが対処しようとする。

 僕はA先生(女子)に向かって
「講評会で言われた話ですが、スプレーで簡単に描いた感じになってはいけないのですか?」
と質問する。
『いいとかダメとかは言っていない。
 私は、絵を見て感じたことをただ言っただけ。

 そういうことばかり気にして、高木くんはどうでもいいことしか考えていない。』
 A先生(女子)は明らかに怒りながら、そんな返事ばかりする。

 声を粗げて怒っているA先生(女子)を見て、僕は、これ以上の会話をしても無駄だと察する。

 僕にはこの会話に納得はいかないのだけど、A先生(女子)は僕に対して、内容のある返答は出来ないのだろう。

 K先生(女子)と話をしたいと求めても、A先生(女子)は絶対に取り次いでくれる事はない。

 A先生(女子)の話では、K先生(女子)も僕のことはもの凄く嫌い怒っていて、僕とは会話したくないと語っていると聞かされてきた。

 だから、この場面を以て、K先生とA先生(女子)には質問を持ちかけない、という考えを僕は持つ。

 

 後日、この課題を完成させて提出した後、僕はS先生へ絵を見て欲しいと求めた。

 この時のやり取りで、S先生は僕に対して、こういう指摘をしてくる。

『絵具に厚みを持たせて描く作業の方が難しく、時間もかかる。

 絵具を薄く溶いて、何度も塗り重ねるやり方は簡単で、大学でわざわざやる描き方ではない。

 僕の描いた課題の絵も、水彩画みたいなもので、こういうやり方で描こうと思えば、誰でもこれくらいの絵は描ける。

 高木は、昔の日本画の様なものを描こうとしているのはわかるが、そういうのはやめた方がいい。

 昔の日本画より、今の日本画の方が精神性も技術も高く、昔の日本画を大学で学ぶ価値はない。』

 S先生のこの話に対して、僕は反論の様なものをする。

『そもそも、僕がやっているのはK先生(女子)が授業内で教えていることである。

 僕が、どの様なものに興味を持ち、どの様なものを学び目指そうとするか迄、S先生であっても指図してくることではないのではないか。』

 こういう反論をしている最中、たまたまA先生(男子)が通りががり、内容を把握しないまま口を挟んでくる。

「高木の言っていることは細かい。

 絵は描きたいように描けばいいんだよ。

 いつまでもそんな細かなことを言っていたら、女にモテないぞ。」

 このA先生(男子)の言葉に合わせて、S先生も「そうだ、そんな細かいことをいっていたら、女にモテないぞ」と言って、笑いでやり取りを終わらせようとする。

 そこへ僕は、何度か口を出すけれど、A先生(男子)とS先生は「言っていることが細かい」「女にモテないぞ」と返すばかりで、会話を押し切られてしまう。

 

 これ迄の僕であれば、日を改めて質問に来ていたかもしれない。

 でも、S先生の考える日本画について、僕とは噛み合わないことを知ってしまった。

 課題や単位とりとして、S先生に話を合わせることはしても、僕の学びたいことや描きたい絵については、S先生に聞いても僕のプラスになる返答は貰えない。

 だから、S先生にも質問することはなくなってしまった。

 教員達と僕とでは、考え方や情報の括りも違っていることはわかっていた。

 その違いをお互いに理解していけば、共存していけるものとも考えてきたけれど、そうではなかった。

 S先生の話に従うならば、僕は学び描きたい絵を我慢し、S先生の信じる絵を模倣していかなければならない。

 同じ大学のK先生(女子)が授業内で教えている技術的なものまで、結果的にS先生は否定していて。

 最初から、適当な事を語っていたのは、S先生とA先生(女子)であったと僕は考えた。

 その適当は、他の教員達もそうなのか迄は、わからないが。

 K先生(女子)も僕に対して『わからないことがあるなら聞きに来なさい』と怒りながら、僕を避け続け、一度としてまともに会話したこともないではないか。

 もしかしたら、まだ接していない教員達も、似たり寄ったりなのかも知れない。

 

 僕にとって、教員に質問を持ちかけ、教員達の考え方を理解しようと努力してきた行為には、教員や同級生達との人間関係の修復という目的も含めていた。

 僕なりに考えた、これから先の選択肢はこんなものだった。

『僕が学び描きたい絵を犠牲にして、教員や同級生達との関係の修復に勤める。』

 『教員や同級生達との関係を諦め、僕が学び描きたい絵を優先する。』

 この頃の僕にとって、絵は人生と考えていた。

 そんな僕が、このS先生との関係を優先する訳もなかった。

 

 因みに。

 この時の課題は、教員間でどういう経緯があったのかは解らないが、翌年の学校案内書の生徒作品として使われることになる。

 それ自体に関しては、確かに嬉しかった。

 しかし、この絵に対しては、誰もが悪く言っていて、同級生間でも「表面的に上手く見えるだけのもの」と語られていた。

 だから、矛盾だらけの絵の指導の賜物で『訳がわからない』と苛立つ気持ちもあった。