絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

裸婦の日本画制作4 No.71

電話

 講評会での批評について、僕は講評会の場で会話を続けることは諦めたが、時間を改めて会話しようとしていた。

 その改めた話の前に、母との電話の話を書こうと思う。

 

 2年生になってから、課題の提出状況は散々なもので。

 出された課題の半分くらいは、提出期限に間に合わず、提出していない。

 そうなったのも、制作過程で、S先生から制作の方向転換ややり直しを強要されたり、画材の盗難が絡んでいたり、そういう背景があった。

 その上で、S先生から「提出が期限から1日でも過ぎれば、その課題は受け取らない」ということも言われていて、制作の努力はしていながら提出を諦める場面は続いていた。

 そんなことで、年度の半ばあたりから、母との電話で「もう3年生への進級は出来ない。」ということを伝えていた。

 進級の問題に関しては、母側からは「一年くらいは留年してもいい」と仕方なく言われていた。

 その母に対して、僕は「大学を辞めたい」という話を繰り返していた。

 大学の教員からの嫌がらせにより、課題の出題内容(提出が許可される為の条件)がコロコロ変わり、幾ら時間をかけても、制作は終らないないことや、指示や教えてくることが嘘にしか思えないこと等~この大学で時間を過ごすことが、自分のプラスになるとは思えないことを語り、いつも母と喧嘩となっていた。

 このことから、母は僕には内緒で大学事務へ電話をして、何かしらの話をしていた。

 その後で母は僕に電話してきて、洋画のM先生と連絡をとり、相談するように言ってきていた。

 なぜM先生なのかというと、M先生はその年度の『学生生活部長』という立場(役職なのか何なのかはわからないが)にあり、僕のような学生生活で困っている生徒に対処する立場にあった。

 この件で、母は僕に話を通さず、大学事務とで話を進められていたことで、僕も腹を立てたり細々としたことを考えたりで、M先生と連絡をとることはしなかった。

(正確には、大学事務から僕とM先生とで話し合う指示が出ていることで、その話合いを断る為に、M先生に電話をして少しの会話をしてやり取りを終えている。)

 当時の僕の考え方は幼かったのだろうが、僕と教員達とのトラブルに、大学事務や他者を介入させるというのは、教員達の立場を考えると極力さけるべき手段だと考えていた。

 それから一年以上後になって、僕はM先生と会話をして色々と話を聞くのだが。

 この頃から既に、S先生は他の科の先生や大学の外の人達に対してまで『日本画に一人、頭のおかしい生徒がいる』と語り、僕に対しての悪口や、自分等(教員達)は悪くないという言い訳を話まわっていた。

 今にして思えば…ということは非常に多いのだけど、当時の僕はこういう感じで、話を大ごとにしないようにと動いていた。

 

改めた話

 講評会もすでに終わっていて、それから少しの時間が経過していた頃。

 僕は講評会で見せた絵を手に持ち、教員達のいる研究室に向かった。

 研究室の入り口で、S先生とI先生からもう1度話を聞きたいと伝えた。

 そこでもS先生がやってきて、廊下で話そうと(他の教員達に会話が聞かれないように)、研究室の外へ連れ出される。

 S先生側の考えとしては、講評会の場で教えるべきことは充分に教えたのだから、これ以上に話すことはないし、僕側の話に耳を傾けるつもりはないという。

 そうして会話を打ち切ろうとするもので、ここで会話を取り合わないなら、大学事務に話を持っていき、これからする話までの間に大学事務を介入させることを伝えた。

 そのことで、S先生はようやく話し合いに応じたが、I先生は既に帰っていないので、I先生を抜きにして話しをすると主張する。

 I先生がいないなら、日を改めて3人で話をするように僕は求めるが、I先生とS先生が一緒に大学にいる場面がなかなかないということで、I先生抜きでの話し合うことを僕も渋々了承した。

 そうして始まった話し合い。


「講評会で僕にかけたあの『学校を辞めろ』という発言は、どういう意味だったんですか?」
S先生
「意味なんか何もないよ。
お前の絵を見ていたら何となく腹が立ってきて、世間知らずみたいだから世の中の厳しさを教えてやろうと思ってそう言ってみただけ。」

「僕には、ちゃんとしたことを学ばなければならない事情があるんです。
もっとちゃんとしたことを教えてください。
お願いします。」
そう言って僕は頭を下げる。
S先生
「どうせあの時は、俺達が何を言っても高木は俺達の話なんか一切聞かなっただろ?」

「僕は毎回ちゃんと聞いています。」
S先生
「別に聞けばいいって訳じゃない。」

「指示された事もちゃんとやってます」
S先生
「言われたことをやればいいって訳じゃない。」

「じゃあどうすれば良いんですか?
S先生やI先生の言ってる事は矛盾だらけにしか聞こえません。
僕は入学したての頃から、『自由に描いていい』とか、『好きな絵を描け』とか、そういう話を、先生達から何度も繰り返し聞いてきました。
それなのに、S先生が具体的に僕へ出してきた指示の数々は、『自由に描く』とか『好きな絵』からはかけ離れています。
だから、先生達の言っている『自由』の意味が理解できません。

入学した当初に質問した日本画の影の話だって、これまで何度も質問してきたのに、はぐらかされるばかりで未だに理解してません。」
S先生
「まだそんな事も理解してないのか。
だからねぇ、自由って言われても、本当に自由に描いて言い訳じゃないんだよ。
この大学には色んな絵を描く先生が沢山いるでしょ。
その中から好きな描き方をしている先生を自由に選んで、その描き方を真似していくのが日本画の学び方なんだよ。
この大学で言っている自由っていうのはそういう意味なんだ。」

「昔の東京芸大とかだと、大学では横山大観とかの教員自身のお手本があったそうですが、そういうやり方での指導をやっているなら、何故この大学には先生達のお手本が用意されないのですか?」
S先生
「だから、大学の生徒は、俺達教員の展覧会とかを見に行って、そこで教員達の絵を見て勉強をしてくるんだよ。

だから、そういう教員の絵を、わざわざ大学では用意しないものなんだよ。」

「正直な処、S先生の言っている事は、デタラメな話ばかりだと思っていますが、日本画でいう自由って、そんな程度の低いものなんですか。
僕が直接聞いたムサ美やタマ美の洋画の先生の話だと、教員達は生徒達に、もっと古典的な事を学んで欲しいと考えながら、それでも制約をつけずに絵を描かせると言っていましたよ。
日本画と洋画の違いはあるかもしれませんが、教員達が同じ言葉を使って喋っているのに、意味合いが全く違うなら、僕が理解できないのも当然の事ではないですか?」
S先生
「そういう大学もあるんだろうけど、この大学はこういう大学なんだ。」
「お前は自分がこう思うとかよく言うけど、それはお前が勝手に思ってるだけで、何かの本に書いてあるとかそういう事じゃないんだろ?
俺たちの言っている事が違うと言うんだったら、これからは違うっていう証拠の書いてある本でも持ってこい。」

「わかりました、では次回からそういう本を実際に持ってきます。

でも、講評会の話や今ここでしてるS先生の話は、やっぱり嘘なんじゃないですか?

以前に裸婦のモデルさん件で揉めたことを根に持っていて、講評会ではあんな話をして、今は辻褄合わせの話をしてるんじゃないですか?」

S先生
「だから、あれは面倒臭いから、お前が悪かったという事にして、お前がみんなに謝れ。」
僕は声を荒げていく。
「何でそんな話になるんだよ。
お前(S先生)の都合や面倒臭いの為に俺が謝るって、そんな身勝手な指示に従う訳ねぇだろ。

何で事実をハッキリさせねぇんだよ!

何であいつらに注意が出来ねぇんだよ!

それは、お前(S先生)が俺に対してやるっていってた事だぞ!

やっぱりお前(S先生)の言っていることは、いい加減な事ばかりじゃねぇか!

今日俺に対して話してきたことも、全部嘘なんだろ?」

S先生

「いいや、俺は嘘なんか言わない。」

 僕はこの辺りで、僕は会話を諦めてしまう。

 S先生が嘘をついて、つき切ろうとしている様にか思えなくなっていて、僕も腹立たしさから怒鳴り、冷静さを失っている。

 ここから、前向きな方向へ話が向かうことも考えられず、僕は「やっぱりお前とじゃ、まともな話にならねぇじゃねぇかよ!」と言って、話を諦める。

 持ってきた課題も持って帰ろうとすると、S先生は「その絵は置いていけ」という。

 これからの僕への指導のあり方を、この絵を見ながら考えるというので、僕は深く考えずに、そのまま置いていく。

  S先生は、この場では悪く言っているけれど、この後に僕の絵を見ながら、今後の指導を考えたり反省したりでもするのだろう…そんな風にも考え、僕はS先生のことをまだ信じようとしていた。

 でも実際には、この未完成の絵を教員間で見て、「こんな絵を自信もって見せてくるものだから、指導する側も困っている」「高木は、こんな感じの抽象画ばかりやっている」等と語り、他の教員達にも、より一層深い誤解を招いていく。


 それから、僕は研究室から帰る途中、既に帰ったと聞いていたI先生を校舎内で見かける。

 やはり、S先生はそこから既に嘘をついていた、ということを知ってしまう。