絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

日本画教員との話し合い4 No.104

繰り返しのやり取り

 日本画教員達との話し合いの件については、これ以降から卒業まで、ずっと同じ内容の揉め事を繰り返していく。

 

 K先生(彫刻教員)は、明確に僕を避けるので、僕は大学事務へ直接の抗議をしていく。

 大学事務は毎回、僕からの話を基に善処すると約束するのだけれど、その善処の話は、大概K先生(彫刻教員)とS先生の処に行き、そこで止まってしまう。

 彼等は何もしていないのに『(高木からの抗議を受けた後に)高木と話をして、全て解決した』と大学事務へ報告し、それから少しして、僕は大学事務へ『何で善処しないんだ』『解決なんか何一つしていない』と怒り抗議する。

 僕が大学事務へ抗議したり怒ったりすると、事務員は『それはもう解決したんじゃないの?(K先生(彫刻教員)やS先生からそう聞いているよ)』と、惚けたような返答してくる。

 僕からは『何一つ解決なんかしていない』と言われ、それから事務員は『善処する』とか『話し合いの場を作るから、少しの間待ってくれ』と語り、K先生(彫刻教員)とS先生の処へ話を持って行き、そこでまた話は止まり、振り出しに戻る。

 細部で多少違いはあっても、大体はこんな流れを延々と繰り返す。

 僕は事務員へ『K先生(彫刻教員)は日本画の教員達の肩を持つばかりで、何の善処もしていない』と説明し、他の教員や組織の上の人間を介入させろと求めてもいた。

 それでも事務員は、K先生(彫刻教員)やS先生に話を持っていき『もう解決した』という嘘をつかれ、それを信じる…というより、事務員もグルになっているか、いい加減な対処しかしない適当な人であるかのどちらかだったのだろう。

 

 大学事務は毎回『善処する』『また話し合いの場を作る』と言って、僕に待つことばかり求める。

 2回目の話し合いをする、という話は持ち上がっても、新学期から何ヵ月経過しようと、その話し合いは始まらない。

 僕は、事務員の言う話し合いの時を待ちはするけれど、4年生になると、のんびり出来る時期などない。

 僕は大学で取得できる資格や免許を、一通りとる前提で単位を取得してきた。

 4年生になってからは、その資格や免許の実習も始まるし、卒業後の準備(進学や就職など)もある。

 日本画制作の課題は、やれる時・時間のある時にやっておかなくては、やれる場面を失っていく。

 だから、第三者を挟んだ話し合いを待つように言われながら、揉めるだけと知りつつも、K先生(男子)に課題の出題内容の説明を求めに行く。

 

 K先生(男子)も、高木には何も教えない・相手にしない、という姿勢を徹底していた。

 それでも僕は、『立場は違っても、絵を志す者どうしなのだから、話をすればいつかは解り合える筈だ』と信じて、いつまでも怒鳴り合いになりながらも前向きな話をしようとしていた。

 今更教員達が考えを改め、課題や絵についてまともなことを語り始めたとしても、僕が大学で絵に打ち込む筈だった時間が戻ってくる訳でもない。

 美術大学での絵の勉強というのは、技術や形式や考え方を教えるというのもあるのだけど、生徒が自分の為の絵というのを考え、各自で考えた勉強や訓練や試行錯誤する期間がとても大切だったりする。

 僕はそういう期間を、大学の4年間の内の3年間は奪われてしまった訳である。

 残りの1年もないこれからの期間で、一般の生徒が当たり前に教わる日本画の情報を僕が得たところで、他の生徒と同等のことを学んできたことにはならない。

 そういったことには目を瞑った上で、

 『課題の出題内容についての説明をきちんとしてくれれば、これ迄のことは水に流してもよい。』

 という提案を、僕はずっと繰り返していた。

(大学事務を通した話では少し違い、アトリエの使用や、一般の生徒が在学中に教わる事柄等を教えるように、求めていた。)

 K先生(男子)の『高木には何も教えない・相手にしない』という意志は強く、何ヵ月経過しようが、卒業する直前の月になろうが、結局は最後の最後まで何も教われなかった。

『僕が求めているのは、課題の出題内容についての説明だけじゃないですか!』

『このままでは、卒業後の準備どころか、卒業さえ出来ないじゃないですか!』

 などと訴えても、K先生(男子)は『お前の人生がどうなろうと、そんなの俺の知ったことじゃない!』と怒鳴り叫んでいた。

 その場にいた他の教員達は、そのK先生(男子)を止めたりもせず、一緒になって僕を責めて会話をグチャグチャにしていくか、黙って見て見ぬ振りをするばかりだった。

 それでも教員達である彼等は、大学事務に対してこう報告する。

『高木には、教えるべきことは全て教えた。』

『この問題はもう解決した。』

『解決した問題なのに、いつまでも高木が言いがかりをつけてきて、困っている。』

 僕に対しては、怒鳴り付けて話を取り合わず、大学事務には、充分な会話をして解決したと語る。

 僕の対応している大学の事務員にとっては、おかしいと思える状態ばかりであるのに、僕の言葉より日本画の教員達の言葉を信じてしまう。

 

 僕は何度も繰り返し、K先生(男子)の処へ行っては課題の出題内容についての説明を行い、揉める。

 数ヶ月が経過して、大学事務が対処してくれないと認識した頃には、僕は毎日のようにK先生(男子)の処へ行き、やり取りの後半ではいつも怒鳴り合っていた。

 怒鳴り合わなかった場面なんか、一度もなかったと思う。

 揉めて怒鳴り合いとなっていても、そのなかでは言葉のやり取りがあった。

 そのやり取りの積み重ねがあるのだから、そこに関係がよい方向に向かう要素は出来ていると、僕は考えていた。

 例えば、K先生(男子)から一番責められていた話は 、2年生の前半にあった裸婦の課題でのこと。

『みんなが真面目に一生懸命に絵を描いているのに、突然、叫んだり暴れだす様な奴に、何かを教えることはできない。』

 このK先生(男子)の言い分を僕は否定する。

 当時の僕は、モデルさんを『バカ女』と呼び、モデルさんの性器を指差して笑っていた同級生に怒ったのだ。

 他には『高木だけが、誰とも仲良くできない。先生達から何も教わっていないというのはおかしいじゃないか。』というものもよく責められていた。

 僕は入学した最初の月から、教員達の教える内容の食い違いに違和感を感じていて、そのことへの質問を持ちかけていた。

 その質問自体が教員達の機嫌を損ね『どうせお前には、何を説明しても理解できない』と言われることとなり、それが生徒間の人間関係の破綻の原因にもなった。

 こういう話は他に幾らでもあるのだが、いつもK先生(男子)から『おかしいじゃないか!』と怒鳴り責められ、僕も『そうではない』と反論し、怒鳴り返さないつもりでいても、いつの間にか怒鳴り合いになっていた。

 いつも、話の内容は収まることはなく、話にならないと諦めて、僕は去っていくのだが。

 少なくとも、僕の言い分はK先生(男子)は耳に入り、言葉のやり取りにはなっていた。

 僕の言葉を怒鳴り打ち消す場面も多かったけれど、その積み重ねこそ、和解や解決や前向きな方向へ向かう要因だと、僕は信じていた。

 K先生(男子)は

『そんな面倒臭い話なんかしらん』

『お前(高木)とそんな話をつもりはない』

 などと言って、よく会話を避けたり壊したりしていた。

 でも、僕がK先生(男子)に求めているのは、課題の出題内容についての説明だけだった。

 K先生(男子)側の言う『そんな面倒臭い話…』というのは、K先生(男子)が僕に何かを教える行為を拒む為にいつも切り出す話題であり、僕はそれに対しての返答をしている、というのが実情だ。

 日本画の教員達~この頃でればK先生(男子)には『高木には何も教えないし、相手にしない』という強い意志だけがあるだけで、思い付く限りの暴言を僕に浴びせて追い払う。

 そんな扱いを受ける度、僕は頻繁に大学の事務員に伝え、抗議する。

 その僕の抗議は、事務員を通してK先生(彫刻教員)とS先生の処でばかり止まり『対処する』『善処して解決した』というやり取りで終わる。

 だから、僕が大学事務への抗議していることの殆どは、K先生(男子)の処には届かずに、『俺は何も悪くない』『この件は、俺には関係ない』という姿勢をK先生(男子)は持ち続けていく。

 僕の大学事務への抗議が、ようやくK先生(男子)の処へ届いたのは、卒業する半年くらい前。

 K先生(男子)から『邪魔だから、サッサとこの学校を辞めろ!』と怒鳴られた後、僕は大学事務へ行き『K先生(男子)の命令で大学を辞めなくてはいけなくなったので、退学届けをください』と求めた時のことだ。

 

 大学事務へ抗議するのと平行して、僕は定期的に彫刻科の校舎へ行き、K先生(男子)と話がしたいと求め続けていた。

 K先生(彫刻教員)は、いつも僕から逃げ続けるが、僕はそれを承知の上で、話を求め続けていた。

 そうして、たまたまK先生(彫刻教員)が逃げられない場面が出来、最初の話し合いから半年以上が経過して、ようやく会話が出来る場面を作れた。

 そうして行った会話のなかで、K先生(彫刻教員)は当然の様に開き直る。

 『授業を受けられなくても、嘘しか教わってこなかったのだとしても、4年生にまで進級できたのだから。

 これから卒業まで、何かを学ぼうとはせずに、日本画の先生達とも極力接触しないで、単位取得だけと割り切って大人しく卒業をしたらいいだろ。』

『芸術の世界というのは、騙し合いの汚い世界なんだ。

 お前(高木)は、俺や大学の対処や日本画のやり方に怒っているだろうけれど。

 俺も、これ以上この問題に拘わっていると、彫刻で生きてはいけなくなる(所属している美術団体組織の兼ね合いから)。

 俺の立場や命だって危なくなるから、これ以上の関与はできない。

 だからお前も、この問題は諦めて我慢しろ。』

 ここで諦めて引かなければ、卒業後の就職や進級といった問題でも、必ず悪い影響を受けることになる、という忠告も受けていた。

 それでも僕は、K先生(彫刻教員)のそんな話には従わず、そのことでK先生(彫刻教員)を散々に怒らせる。

 そうしてK先生(彫刻教員)も、『今後はお前(高木)の相手は一切しない』と宣言する。