絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

ガラスと布を組み合わせた静物画2 No.36

制作と不安

 絵は、長い時間をかければ良いものになるという訳ではないけれど、細かな作業や丁寧な作業を心がければ、それだけ時間もかかってくる。

 そんな感じで、僕は課題制作では毎回、時間をかけすぎる程に時間をかけていた。

 その関係から、今回の『静物画』の制作は、誰よりも遅くに手をつけ始めていた。

 

 当時はどんな作業に時間をかけていたのかというと、やはりK先生(女子)が授業で語っていた基礎を基にしている。

 日本画の絵具というのは、ムラなく塗ったりグラデーションを作ったり、そういう作業が難しい絵具とも言われている。

 その上で、日本画の絵具をムラなく塗る方法として教わった塗り方だ。

 一度、日本画の絵具を紙へ濃く塗って下地を作り、乾いた処へ、同じ色の絵具を薄く溶き、紙に少しずつ微かに塗っては乾かし、そうやってムラを作らないように塗っていく。

(細かく書こうとすると、まだ書かないといけない事柄もあるのだけれど、僕の文章能力では、そこまで書くと膨大な文章量になるので、これくらいの説明にしておく)

 このやり方を応用して、単色でのグラデーションを作ったりも出来るけれど、作業の時間はものすごくかかる。

 その時の絵の例として、K先生(女子)は小倉遊亀の『舞妓』という絵を語っていた。

 小倉遊亀は一日中、ひたすら薄い絵具を塗っては乾かし、それを繰り返していた。

 その時に出来上がった絵を、師の安田靫彦が見たときに『背景が凄くよい』と褒めていたという。

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小倉遊亀 『舞妓』

遊亀と靫彦 -師からのたまもの・受け継がれた美- (2) : 美術散策の休日

 そういう作業を、鳥の剥製の課題時に教わり、僕は『竹籠と野菜の静物画』と今回の『ガラスと布を組み合わせた静物画』で行っていた。

 K先生(女子)が教えていたのは、絵の背景としての話であったが、僕はモチーフ部分迄、全てその描き方で描いていた。

 

 課題制作は、普通は大学のアトリエで行うものなのだが、この頃の僕は、学校での制作を諦めていた。

 盗難や同級生達とのトラブルや、教員達から納得のいかない描き方を強要されることや、今回こそ自分の納得のいく絵を描こうとしていたこと等の為に、そういう判断をしていた。

 それでも、自分なりに納得いくものを描き、それを基に教員達とやり取りできたなら、少しは状況も良い方向に向かうと信じていた。

 だから、自宅で課題制作をしていても、大学のアトリエ(教室)で制作していた同級生達よりも、ずっと気を張って長い時間、絵を描いていた。

 サボって、大学で絵を描かなかった訳ではない。

 

 この課題でも制作時間を測ることはしなかったが、毎日睡眠時間を削り、かなり長い時間をかけて制作していた。

 午前中の授業(講義)を終えると、自宅へ帰り制作を始める。

 疲労的な問題で、制作より仮眠する場面もあった。

 食べ物を買いにいったり、中途半端な時間に数時間の仮眠をとったり、細々としたことはあるのだけど、基本的にはずっと課題の制作を行う。

 絵の制作作業の為にいつも寝不足で、朝は早めに大学へ行き、授業のある教室の一番前の席で寝ていた。

 そうすれば、寝坊をしても授業の始まる時に、先生から(注意されながら)おこしてもらえる。

 この課題時での仮眠では、布団で寝ては起きれなくなってしまうと考え、ただ横になって、毛布を被って数時間寝るばかりの毎日だった。

 大学の授業内で制作をするとなると、1日辺りの制作時間では、昼過ぎから夕方までの4~5時間だろうか。

 授業の後も残って制作したとしても、19時頃には大学側で校舎のドアに鍵を閉め、アトリエは使えなくされる。

 そういう背景から、少な目に考えても、僕は普通の生徒の3~4倍くらいの時間をかけて1枚の課題を制作していた。

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 上の画像は、その当時のその作品で、画質が粗い印刷物から写真をとっている。

 実物が手元になくて、たまたまあって添付できるものがこれになる。

 

 画像で見れば、この程度と見る人も居るだろう。

 でも僕としては、持っているもの以上のものを絞り出して描いたもので、これを講評会で教員達から「良くない」と言われたなら、もう歩み寄る要因もなくなるのではないだろうか、と迄に思っていた。

 もしそうなったなら、絵の良し悪しの判断基準が、僕とこの大学の教員達とは駆けな離れすぎていて、これから僕がどんな力作を描いても、理解なんかして貰えないということだろう。

 この絵の題材のなかに、教員達の指示を否定した内容も盛り込んでいるけれど。

 絵に打ち込んできた者ならば、その絵が頑張って描かれたものなのか、どの程度の力量を持った人の絵なのか、そんなこと位はある程度解る筈なのだ。

 否定といっても、それを契機に前向きのやり取りをしたい気持ちを以てのものである。

 絵を描く者どうしなのだから、そういう部分でわかり合うことは、それほど難しくないと信じたかった。

 それ等を、僕の絵から全く解って貰えないとなった場合、大学の教員に対して、僕は多くの失望をするだろう。

 そういう流れにならないことを、僕は願うばかりだった。