絵の方向性3 No.32
本
一学年の後半に入ってから、絵を描く部分に関しては、教員達へ質問を持ちかける考えはなくなっていった。
強要時の指示が理解できない、というのは多々あって、僕が質問することというのは、それくらいになっていく。
それでも、日本画に関して知りたいことは沢山あり、まだ教員達のことを信じたい気持ちも残していて、会話のついでに質問を持ちかけてることはあった。
わからないことを聞いても、はぐらかされるばかりで、聞きたいことなんか帰ってこないこともわかっていたけれど。
会話を通して、教員達の考え方を探る意味合いの方が、僕のなかでは強かった。
以前に書いた前田青邨(まえだせいそん)の画集のなかの文章にて。
前田青邨の絵の展覧会場に岡倉天心(おかくらてんしん)という人物が現れて、前田青邨に対して「絵の濁りをとりなさい」という指摘をしたことがある。
それ以降の前田青邨は、その岡倉天心のこの言葉をずっと心に刻み続けながら絵を描いていたと読んだ。
前田青邨 「白頭」
この話を読んでから、岡倉天心という人物はどういう人物なのだろう、という疑問を持ち始める。
戦前の日本画について語られている幾つかの本を読んでいると、この岡倉天心という人物が何度も出てくる。
画家という訳でもない様で、この人のことを書かれた本なども見かけた時に、意識して読むべきか、それよりも他の画家の話を読み漁るべきかで迷っていた。
読むにしても、難しい字や解らない話がよく書かれて、根気強く読まないと挫折しそうな本ばかりなのだ。
そこで、何か別の用件で研究室へ行ったついでに、
「岡倉天心とはどういう人なのか」
「この人物について書かれた本を読むべきかどうか」
「僕が興味をもっている院展は、元々はどういう組織としてつくられたのか」
「日本画のことを学んでいく上で、読んでおくと良い本などはないか」
そんなこと等を質問したこともあった。
その場面々々でのS先生とA先生(女子)は、こんな内容で返してくる。
『そういう本とかは、直接的に絵の勉強になるものではないし、そういう新しい情報を高木くんが知ったら、また頭がこんがらがって絵が描くなくなるよ。
だから、そういう本とかは読まない方がいい。』
『院展なんかも、元々は日展からはじまって、そこから枝分かれしていった組織なんだよ。』
『そういうどうでもいいことに、興味を持ってしまうのが、高木くんの悪い処だ。』
そういう言葉を掛けられて、僕はバカにされている様に感じていたし、僕の知りたいことや聞いていることを、彼等が答えられずにはぐらかしているのも、薄々と感じ取っていた。
美大の授業の半分は、絵などの実技ではある。
しかし、残りの半分は、学科という講義などを主にした授業でもある。
その授業のなかには、美術史や絵画の材料化学などもあり、美大は絵だけ描いていれば良いものでもないのに、本は読まない方が良いと忠告してくる。
入学した当初、僕がまともに絵が描けなくなったのも、このS先生とA先生(女子)の指示に従った為でもあった。
そのことを、いつまでも話題に持ち出して、色んな問題に絡めて突っついてきているのだ。
そういう小馬鹿にされた感じもあって、やはりS先生やA先生(女子)に質問を持ち掛けても、僕の勉強のプラスにはならないと感じる。
岡倉天心については、S先生とA先生(女子)の返答するから、それほど自分の為になるような存在ではないのだろうと考える。
僕にとって多少のプラスになる人だとしても、勉強の優先順位としては、後の方にしてもよいと判断した。
実は、このことについては、後になって後悔する。
S先生やA先生(女子)にとっては、岡倉天心のことなど、自身等の絵の勉強の参考にもならなかったのかもしれないが、僕にとってはとてもプラスになることばかりだった。
随分と後になってから、もっと早い時期に、この人物のことを勉強しいたなら…
不信感を持っていたこの人達の言葉だったのに、なんでそんな言葉を信じてしまったのだろう…
そう思えることは多かった。
S先生やA先生(女子)の人生のなかで『どうでもいい』と片付けられることでも、僕にとっては大事なことであった。
そういう事があることを、自身の価値観を押し付けて強要する人達には、どうしてもわからないのだろう。
或は、それ程までに、この頃から僕は嫌われ馬鹿にされていたのだろう。
嗜好の違い
僕なりの考えのなかで、S先生やA先生(女子)などは、それぞれ自分の描きやすい描き方を基礎や日本画の描き方と認識して教えてくる。
彼等がそう認識している根拠は、所属している日展という大きな組織で評価され、そのことで美術大学の助教授になれた処だろう。
以下の言葉自体は、2年生になってからS先生に言われた言葉ではあるけれど、似たような言葉は一年生の頃から言われていた。
『俺達は評価されて美術大学の教員になって、時期に大学教授という存在だ。
だから、この大学の生徒である以上は、俺達の気に入りそうな絵を調べて、そういう絵を描かなくてはいけないんだ。 』
そういったその教員なりの絵の描き方を、この大学では「日本画の基礎」と語り、押し付けていた。
僕はこの美術大学へ入学する前から、他の大学の先生の話等も聞く場面があった為に、頻繁に話をしているS先生やA(女子)の指導のあり方や語る話にも、疑問を持っていた。
同時に『そんな愚かな考えや指導をするだろうか?』という迷いも持っていた。
そんなことから、僕は僕の意思や考えの在り方をはっきりさせようとする。
提出物等の兼ね合いで研究室へ行った場面で、たまたまK先生(男子)がいる場面を見計らい、質問を持ちかけた。
多分、K先生(男子)は日本画の教員のなかで一番偉い人だろう。
(実際には、僕が一度も顔を合わしたことのない先生で、もっと偉い人はいた。)
だからこそ、K先生(男子)と会話する機会をずっと探っていた。
こういうたまたまの場面でなければ、僕は他の先生に取り次いで貰うことは許されず、質問を持ち掛けられなかったと思っている。
この時に持ち掛けた質問は、大体こんな内容だった。
『僕の学び描きたい絵は戦前の日本画に近いもので、日本画を学ぼうと考えた切っ掛けも、伊東深水の様な日本画である。
僕が学び描きたい絵は、この大学の先生達の描かせたい絵とは、大きく違っている様に感じている。
だから、大学の授業や課題のなかで、特に自由課題などで、そういう古い日本画を学ぼうとするのは、許されているのか許されていないのかを知りたい。
勿論、いつもそういう絵を描きたいと言っているのではなく、この大学の先生達の指示する絵を描く場面もあれば、僕なりの絵を描く場面もつくりたい。』
伊東深水 『鏡獅子』
この時のK先生(男子)は、こう返してきた。
「僕達(大学の教員達)は、君の生き方に対してまで否定はできない。
君の描きたい絵を描きなさい。」
この場には、S先生やA先生(女子)もいて、その上で、僕の学びたい絵を描いて良いと許可された筈だった。
それなのに、後になってS先生は「K先生(男子)が言っていたのはそういう事ではない」と言って、どうしてもS先生なりの描き方を僕に強要する。
高木の学びたい絵は、大学の課題ではやらずに、自宅等で勝手にやりなさい、という意味合いでK先生(男子)は語っていた、等とS先生はK先生(男子)の名前を使って代弁する。
A先生(女子)も、S先生の強要と同じ考えを持って、僕に接してくる。
因に、教員達の描かせたい絵の方向性を例えるなら、東山魁夷の様な、絵具に厚みを持たせた現代日本画らしい日本画だろう。
東山魁夷 『緑響く』