絵の方向性2 No.31
自分の進みたい方向
自分の描きたい絵は、どんなものなのか…
色々と考えながら絵を描いてきたけれど、十代の後半頃によく思い浮かべたのは、高校時代に好きだった女の子のこと。
その女の子から感じる曲線や色や雰囲気など、その感じを日本画の美人画に重ねてイメージしていた。
だから、その女の子へのイメージは、日本画を学ぼうと考える切っ掛けとも絡んでいた。
もし、その好きだった女の子をモデルにして絵を描いたとしても、自分の力量では上手く描けないかもしれない。
それでも、どこかでその女の子らしさを表せたら、表面上のかたちはどうなっていても良いと考えていた。
そして、その好きだった女の子は、どうしても手の届かない人だったからこそ、その子への想いや自分の描く人物画のイメージは深まっていたのだと思う。
「美人画」と述べているけれど、具体的に好きだったのは「伊東深水」という日本画画家の絵だった。
そして、自分の描きたい絵のヒントはこの画家の絵に多く隠れている様な気がしていた。
「伊東深水」の様な日本画の描き方を学びたい。
当時は、そういう気持ちが非常に強かった。
それでも、僕はいつか(大学を卒業した後)は日本画という枠組みから離れて絵を描くのかもしれない。
一度は離れ、また戻ってくる可能性もある。
そういう前提を持っているから、適当に学んでも良いという考えもあるだろう。
でも僕の場合は、離れるまでは徹底して学んでやるつもりでいる。
「洋画」と「日本画」のどちらもを知り、その上で、僕なりの絵というものを組み立て、作り上げていこう。
そんな僕の絵が、「洋画」なのか「日本画」なのかは、まわりが勝手に判断して貰ってもいい。
そんな絵の洋式や他人の判断する基準よりも、何をどう描いていくかに重点を置きたい。
美大・芸大の絵画教育となると、どうしても「洋画」と「日本画」のふたつの分野に分かれる事になる。
この形式が、僕の様に考える間には不便なのだ。
こんな僕の考え方は特殊なのだろうか…
話しても、なぜ理解されないのだろうか…
こういった僕の考え方や悩みも、後々に読む本のなかで、似通った話は時々出てくる。
洋画であれば、高塚省吾という画家が自身の出した本のなかで、日本画の良い処を自分の絵のなかに取り込んでいると語っていた。
一年生の頃だったかは覚えていないのだけど、リンクした高塚省吾の画集は買って、画学生の頃は何度も見ていた。
そういう考えを持っていた大学一年生の頃、美術史などで知っていく竹内栖鳳(たけうちせいほう)の話に傾倒していく。
日本画画家の竹内栖鳳(たけうちせいほう)自身も、西洋絵画を学びに海外に行き、実際に油絵を描いていた時期がある。
その後、竹内栖鳳の弟子達も、こんな様な事を語っていた。
『日本画の絵具を使わずに描いていても、その絵が日本画としての心を持って描いた絵であれば、その絵が日本画と呼ばれることを、未来に望む』
竹内栖鳳の話は、また改めて記事にする予定があるので、ここでの話はこのあたりにしておく。
本を読むことに限らず、僕は誰に言われる訳でもなく、授業以外でも日本画の事を知る努力はしていた。
美術大学に入学した直後から毎日必ず、日本画関係の本を読むようにしていた。
例え寝る時間が一時間しかなくても、そのうちの10分だけでも、本を読む時間にあてた。
お金ができれば画集を買い漁り、時々は模写なども自宅でやっていた。
そうやって、僕は大学の教員以外の処から、色んなことを知っていった。
「日本画」と「洋画」には、様々な違いや矛盾がある。
そんな違いや矛盾など、僕が生まれる百年以上も前から数え切れないほど起こっていた。
美術大学で、僕の様に「日本画」と「洋画」との違いに苦しむ者が現れることなど、百年も前から予想できたであろうことなのだ。
結局の処、僕の悩み苦しんでいる絵画の体質問題というのは、大学の教員達の勉強不足や力不足にあるのだと思う。
当時の僕は、そんなことを薄々と気付いたのだが、それ等を受け入れていなかった。