大学一年時の裸婦デッサン No.41
大学の課題で、はじめての「裸婦デッサン」が始まる。
僕に関しては、裸婦の着色写生やデッサンは、浪人時代に何度か行っていた。
しかし、同級生のなかには、この時が初めてだと語る生徒も結構いる。
裸婦のデッサンでは、人の体のかたちを捉える為に、実際に絵の為のモデルを使い、服を着ていない人物を描く。
裸の人体を見つめれば、皮膚を通してうっすらと形を現している骨がある。
胴体には胸があり、あばら骨があり、お腹があり、股間がある。
その胴体に筋肉や臓器をイメージすることで、見たままの形以上に、人の身体の形をより深く捉える事が出来る。
裸婦を描く勉強には、そういう側面がある。
本来ならば、「解剖学」という人体の勉強も平行するべきだろう。
大学へ入学するまでの僕は、大学での授業内で、そういう研究や勉強をするものだと思っていた。
しかし、僕の通う美術大学では、実技の教員たちはその事に全く関与はしないし、そういうことも語らない。
この当時の僕等はまだ1年生だから、そういう内容へ入ってはいかないということだろうか、等と勘ぐって考えていた。
過去の僕には、そういうことを教えてくれた人達がいて、僕もそういう意識を持っていた。
だからこの当時でも、僕は骨や筋肉や内臓といった人体の構造を意識して描こうと考えていた。
浪人時代は「裸婦」に限らず、僕は自分で納得のいく迄の腕に到達していなかった。
だから、あの時出来なかったこと・あの時の絵以上のものを作ろうという意気込みも持っていた。
そうして始めた裸婦のデッサンでも、考え方や認識の違いは次々と出てくる。
最初の説明のなかで『モデルさんのいる場面での会話に気を付けなさい』というものがあった。
描く側が変な話をして、モデルさんがそれを誤解して聞きく等して不快な思いをすれば、そのモデルさんの表情は悪くなり、モデルさんを見て描いている絵も悪いものになる、という説明を受ける。
この説明から既に、僕は違和感を感じている。
モデルさんがいる場面で、会話に気を付けるのはそうなのだが、意味合いが少し違えてないだろうか…
僕という存在は、教員達から「言っていることがいつも細かい」等と言われている者である。
だから、僕の認識や考えから多少の違いはあっても、言い回しの違いや、日本画と洋画との様式の違いである様な、表面的な違いで中身の本質は同じだと受け取ろうとしていた。
それでも…違和感は積み重なっていく。
浪人時代にも、裸婦のデッサンや着彩等をはじめる最初に、モデルさんへの配慮をする話はあった。
裸婦のモデルさんとはいえ、人が服を脱いで、誰かの前に立つというのは、それだけで神経質になることである。
描く側の問題ではなく、モデルさんの心の問題として、それなりに配慮や認識が必要なのである。
この教員の話は言いまわしの問題で、僕の考えていることも含めている話だろう、等と僕は考えようとする。
それでも、話を聞いている同級生達は、そこまでの認識は持てていない。
モデルさんがポーズしている時でも、教員達がいなくなれば、いつも通りに雑談や僕の悪口なんかも始めてしまう。
それから、この裸婦のデッサンの課題でも、S先生とA先生(女子)は、僕の制作へ突っ込みを入れてくる。
僕としては、この前までの課題で、多少は誤解も溶け、僕に対してだけ行う細かい内容での指示や強要はなくなるだろう、と考えていた。
しかし、過去のそんなやり取りなんかは考慮されず『教室内で僕が一番力がなく、他の生徒の追い付かせなければならない』という理屈で、この時もS先生とA先生(女子)は思い立った時に気紛れで指示を出し、強要してくる。
教員達から、未だにこういう認識を持たれているということは、やはり誤解なんか溶けていない、ということではないか。
過去に。
僕がS先生の処へ、提出した課題について会話を求め、そこへたまたま通りがかったA先生(男子)とS先生とが一緒になって、『高木の言っていることは小さい』等と言って、会話を打ち切られたことへの不満が再び沸いてくる。
あの時の僕は『考え方の違いがあって、これ以上の話はしても、小さな事だ』という意味合いで会話は打ち切られ『そんな細かいことを言っていると、女にモテないぞ』『自分の描きたい絵を描けばいいんだ』等と言われながら、笑われて終わったと信じていた。
それだけに、あの時までのやり取りは、結局は何の意味も生まなかったし、この時も、また同じことを繰り返されようとしていた。
裸婦のデッサンに限らず、僕は何かのモチーフを見て描くときには、しつこいくらいに位置関係や大きさや色調などを測る。
人それぞれ、考え方はあるだろうが。
僕は高いデッサン力や画力を身に付け、その上での描きたいものがあった。
その為に、モチーフを見る際の厳しい目を、より深めようとしていた。
それ等の行為に対して、S先生とA先生は、
『そういうのは止めた方がいい』
『そういうやり方は、基礎を習い始めた人がやることで、大学にいる君等がやることではない』
『他の生徒で、そんなことをやっている人なんかいないでしょ(だから止めなさい)』
等と指摘してくる。
そのことに対して、僕は『モチーフをしっかり見ようとすることが、なぜダメなことなのですか』とか『先生達は、どういうデッサンをやらせたいのですか』という返答をする。
そうすると、S先生とA先生(女子)は怒り声を粗げて、理由を語らないまま『いいから、黙って言われたことをやりなさい!』という強要が始まる。
それを見る一部の同級生達も『また始まった』と口にしながら笑い、教員達と関係を上手くやっている自分等は、高木よりもずっとレベルの高い絵を描いていると信じ込む。
僕以外の生徒に関しては、黙っていてもS先生やA先生(女子)の考える様な絵を察して描いているらしい。
だから教員達としても、自由にやりたいようにやっていいも良いという判断が出来るそうだ。
しかし、僕という存在は、あまりに力が不足しているので、まわりの生徒のやり方を見て真似する以外のことを、許すことができない。
それをしないのならば、生徒として大学に居る意味もないそうだ。
僕が持っている技術は、言われている様な程度の低いものではないと、僕はこのときも語る。
でも、僕のいう事など、S先生とA先生(女子)は全く耳を傾けない。
口論のなか、S先生とA先生(女子)の話では、同級生達のデッサンは、僕の語っていることは全て通過した上で、もっと上の段階で描いているのだという。
僕には、どうしてもそうは思えない。
お世辞で言っても、美大や芸大の現役受験生レベルで、悪く言えば、中高生の美術部レベルのデッサンしか描けていない。
洋画を学んだ視点でひとことで言ってしまえば、下手なデッサンばかりである。
この美術大学の入試では、僕の代からはデッサンの試験がなくなっている。
そういうこともあって、この教室の生徒達は、デッサンを頑張らないで入学してきている。
そんな状況から、多浪した一部の生徒以外、デッサンのことをわかっていない。
この同級生達が、僕の語っていること全てを通過した上でいるというのは、技術面からも、まずない。
ただ、かたちを捉えられていないなりにも、日本画として何か学ぶべきことがあって、それを同級生達はやっているのだそうだ。
それを、僕は同級生達を見て、真似して学べびなさい、と言われ続ける。
それが本当ならば、同級生達の真似をさせるのではなく、教員達がきちんと教えるべきではないか、それは指導の手抜きではないか、と僕は主張する。
それに対しても、S先生とA先生(女子)の話では、僕の力が不足し過ぎているので、幾ら説明をしたとしても僕には理解できないらしい。
兎に角、見よう見まねで努力して貰わなければ、何も始まらないのだそうだ。
そして、それ等のことは、他の生徒達は説明しなくても、入学した時点で既に理解しているのだという。
この指示や話に対して、僕は随分と長い期間、悩み続けてきた。
日本画のデッサンについて、書いてある本はないかと、一時期は探し回ったが、それらしきものも見つからなかった。
この件に対して、僕なりの結論を出したのは、ここからずっと先になる。
でも、その結論と同じ内容の考えは、この頃から薄々とわかっていた。
このS先生とA先生(女子)の話は、全て屁理屈を語っているだけであり、このS先生とA先生(女子)等自身も、デッサンのことをあまりわかっていない。
色んな意味で、S先生とA先生(女子)自身にこそ、日本画教員としての力がないのだ。
生徒である僕としては~
大学の助教授という立場にある人達が、嘘や思い付きを生徒に教えて、それを強要するなんてことをするだろうか、する訳がない、と考えてしまった。
だから『この誤解も、いつかは溶ける』と信じ続けていた僕は、なかなかその考えから離れられなかった。
話を積み重ねていけば、どこかで納得する処へ行き着くと考えていたが、教える側が処々で嘘をついているのだから、おかしな方向に向かうのも必然だった。
西洋絵画の様な、モチーフをしっかりと見つめるデッサンに対し、日本画の常識とされるデッサンはどんなものだろうか。
最初から答えなんかない嘘の話なのに、僕はその答えを探した。
それらしきものといえば、僕の好きだった上村松園の描いた人物の素描だろうか。
上村松園の素描は、西洋絵画の様な、動かないものを写しとることをしていなかった。
舞の絵を描く為には、モデルさんに舞い・動いて貰いながら、その残像を上村松園は写しとっていた。
上村松園『序ノ舞』
こういう感じで、日本画の素描の話は幾つか読んだけれど、この美術大学のS先生とA先生(女子)の語るデッサンと噛み合う話は、このブログを書いている今に到っても見つかっていない。
この日本画の素描の話について、探し調べるのを諦めた頃、それらしき話を見つける。
でも、それはまた別の話になる。
僕にとって、人物画や人体の勉強はとても大事なものだった。
僕は美人画に憧れて、洋画ではなく日本画を専攻した筈だったのだが、この後の流れもあり、『大学では、そういうことをやってはいけないのだ』という理屈で、S先生とA先生(女子)に邪魔されていく。
それから、僕の関心は美人画から花鳥画に向かい、いつの間にか竹内栖鳳が好きになっていた。
その竹内栖鳳について語られている本のなかでは、よくこういう話が出てくる。
「優れた画家が、必ずしも、優れた絵の指導者になる訳ではない」
僕のこの問題も、こういうことなのだと、当時は無理に納得しようとしていた。
少し脱線した話になるけれど、僕が好んだ竹内栖鳳と並んで語られる日本画画家に、横山大観がいた。
西の栖鳳、東の大観、と並んで語られる日本画の代表作家である。
竹内栖鳳の弟子は、有名な画家に育った者が何人も連ねている。
逆に、横山大観の弟子については、みんな師の真似をして酒ばかり呑み、酒で潰れていった、と語られている。
その真相迄はわからないけれど。
教える者次第で、後に続く者の人生は大きく違ってくるものである。