絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

自由と身勝手の違い No.109

 タイトルにした『自由と身勝手の違い』の結論を最初に書いてしまうと、責任を持つか持たないかの違いとなる。

 

自由という言葉

 僕の通っていた美術大学を運営する法人名には、『自由』という単語がついている。

 その兼ね合いがあってと思うのだが、僕が大学へ入学当初から、教員達は言葉の端々で「自由」という言葉をよく使っていた。

 この『自由』という言葉の扱い方に、僕は入学した当初から違和感を覚えていた。

 そこには、たまたま読んだ本や、他の美大・芸大の先生から「もし大学へ入学したら…」という話等も聞いていた影響は大きかっただろう。

 そう見ていた僕は、考え方の違い、日本画と洋画の違い、小さな話・細かな話の食い違いとして、あまり考えたり突っ込みを入れないようには心がけてきた。

 それでも、僕のなかではずっと『自由』と『自由課題』の問題に違和感を感じていたし、大学の後半では『自由』という言葉の意味合いについてS先生やK先生(日本画教員・男子)とも頻繁に激しく揉めることにもなる。

 

 僕が読んだ本というのは、浪人生の頃に英語の長文用の勉強に使った参考書。

 今ではもう、その英文を見付けられないのだけど、その時に書かれていた内容が、今回の話に繋がる。

 朧気ながら、その内容を書いていく。

 

 『自由』という言葉を英語にすると、freedom。

 自由と似た言葉である『身勝手』を英語にすると、Selfish。

 自由や身勝手と混同したり、少し似たような意味合いに使われる言葉に『利己主義(egoism)』や『個人主義(Individualism)』というものもある。

 利己主義は、自身の利益ばかりを追求するもの。

 個人主義は、個人でいることや個人のやりたいことをやるという意味合いではなく、各個人を大切にするという意味合いを持つ。

 字面で何となくの解釈をして、この辺りを誤解しているのではないかと、そのように思える場面に遭遇することもある。

 先にも述べたように、自由と身勝手や利己主義は違う。

 各個人が責任を自覚した上で、好きなように行動することを、自由・freedomという。

 同じ様に好きなように行動していても、その行動に対する責任を放棄してしまえば、それは身勝手(Selfish)や利己主義(Individualism)となってしまうのだ。

 

自由課題

 浪人生だった頃、何人かの絵の先生達から聞いた話。

 美大・芸大受験を経験した人達なら、みんな同じ様に耳にしてきたことだと思う。

 「大学へ入学すると、「いつまでも受験絵画を引きずられると困る」と言われる。」

 「大学へ入学すると、好きなよう(自由)に絵を描きなさいと言われる。

 そうすると殆どの人は、どう絵を描いたら良いのかで迷う。」

 これはお決まりの台詞の様なもので、僕も美術大学へ入学したての頃、ある日本画の先生も口にしていた。

 それでも、僕は浪人生になった辺りから、美大や芸大に通うようになった時に描きたい絵のイメージを持っていた。

 僕のイメージのひとつには、伊東深水上村松園の様な美人画の勉強をしたい、という考えがあった。

 それとはまた別のイメージで、色々と描きたいものはあり、それを上手く言葉に出来ないのだけれど。

 デッサン的な描写力を根底にした上での、何となくでのイメージもあった。

 そして、美大へ入学が決まった辺りで、僕のデッサン力はまだ未熟という自覚もあり、それは大学へ入学してからも向上させる努力をしなければと認識していた。

 そして、少しの暇な時間があれば、僕はよくスケッチや簡単なデッサンをしていた。

 そういう行為を、同級生達からは「お勉強用の絵」とか「受験絵画を引きずっている」と批判されて遠ざけられてもいた。

 そうであっても、大学の絵の課題では、デッサン的に正しくモチーフを見る描きかたを生徒に求めている。

 日本画の授業のなかで、デッサンの授業もあったけれど、その指導にあたる教員達もデッサンのことをよく解っていない人であり、授業内でデッサンは適当にやらせるけれど、デッサンのことを教えられない、説明できない、そんな教員ばかりだった。

 その為に、ある生徒は「デッサンなんか描けなくても、いい絵は描ける」と豪語して、まわりの生徒もその生徒の言葉に倣っていた。

 早い話が、みんな絵画の基礎的な力が不足していて、その自覚も不足していた。

 デッサンの話は、少し脱線だったかもしれない。

 そんな過程を以て、僕は美術大学へ入学してきたからこそ、僕は「好きなよう(自由)に絵を描きなさい」と言われた時に、躊躇なく自分の為の絵に向かう心や考えが出来ていた。

 しかし、実際には「好きなよう(自由)に絵を描きなさい」と口にする大学の教員側が、好きに絵を描かれては困る要因を自身等で作り、受験絵画を引きずらせる教育をしていた。

 教員間で考え方も違っているのに、教員間での上下関係で言葉尻を合わせて語り、上の教員が居なくなれば下の教員が矛盾したことを語り始める。

 その矛盾した考えを、授業のなかでこれが基礎だと語り生徒への指導にしてしまう。

 言葉上は自由といっていても、実際には教員達の目の色を伺った描きかたを強要していて、そこに疑問を持ったり教員達の思うような課題制作をしない生徒には、『基礎ができていない』という決まり文句を使いながら厳しくあたる。

 実際にS先生が自由について語っていた話の内容で。

『大学には複数の教員達がいて、その教員達の描く絵や、その教員達の好む絵を把握して、その範囲内で課題の絵を描かなくてはならない。

 大学には複数の教員がいるのだから、どの教員の考えに合わせた絵を描くかは自由である。

 美大・芸大で語られる自由というものは、そういうことなのだ。』

 僕にいわせると、それは教員の絵の模倣やコピーを生徒に対して求め、どの先生の意向に従うかの選択肢があるだけで、自由ではない。

 例えば『動物を好きなよう(自由)に構成して描きなさい』という内容の課題であっても、僕が当時に描こうとした、「植物や風景のなかに潜んでいる猫」という花鳥画的なものは許可されない。

 改めて「夕日を背景に、蚤取りしている2匹の猿」をやるとすれば、夕日の扱いがダメだという。

 教員達の考えとしては、牛や馬といった大きな動物を、画面いっぱいに大きく描かせるという暗黙のルールがあり、そのルールに正解した絵でないと、課題としては認めない。

(僕という存在が嫌いなので、僕だけが特別に許可されなかったという可能性もある)

 そういう教員達から生徒に描かせたいものを授業や学生生活のなかで把握して、下図相談で、それで良いのかの確認と許可を貰う。

 生徒の同じ絵の相談でも、この先生は許可を出しても、他の先生は許可を出さない可能性もある。

 あの先生がいいと言っても、目の前の先生がダメと言い出したらダメとなってしまう。

 同じ先生でも、昨日はいいと言っていたことでも、今日は機嫌が悪くてダメと言われてしまうことがある。

 そういう部分からも、自分の為の絵ではなく、教員達の目の色を伺った絵を描いたり機嫌取りを結果として求められる。

 この状況を、S先生自身も僕との会話のなかでも「大学というのはそういう処だ」と語り、それが当然で常識と考えている。

 互いがそんな感じだから、理屈上でどうこうではなく、立場が上か下かでしか結論には行き着かないのは、最初から決まっていたことなのだろう。

 この美術大学の後ろにある法人名には『自由』の文字がついていて、彼等はそこから自由という言葉を多用していたけれど、結局は彼等自体が『自由』というものを正しく理解していないのだ。

 或いは、彼等にも自由なんかない組織的な環境のなかで、『自由』という言葉を口にすることを求められていて、それと同じ環境を生徒にも押し付けているのかもしれない。

 このことに僕は教員達へ、前向きな会話を求めていたけれど、まともに応えられる筈もなかったのだ。

 

 僕は4年生になってから、担当教員であるK先生(日本画教員・男子)に対して、数えきれない程の質問を繰り返してきた。

 それに対するK先生(日本画教員・男子)は、最後まで取り合わないことを徹底していた。

 僕の質問には、自由課題の自由の範囲についての質問も多かったのだが。

 K先生(日本画教員・男子)にしてみれば、この自由の問題ばかりではなく、僕を授業へ出席させなくしたことや、部下が他の科の教員達にまで僕の悪口を拡げていたり、大学事務までもが僕との件に口を出していること、等々。

 自分等(日本画の教員達)に都合の悪い事が山積みになっていることを察していて、少しでもまともな会話をしてはいけないと判っていたのだと思う。

 だから、僕が「何で課題の出題内容のことすら、教えてくれないのですか」と口にすると、すぐに怒りだし「お前のような奴に、何かを教える気はない」等と怒鳴りだし、表面的にも怒鳴り合いの喧嘩でお互い様だったというかたちで、上手く誤魔化し片付けていたのだ。

 この状況に危機感を感じていたS先生は、僕に対して、表面上の和解や解決を求めてはいた。

 『授業や講評会には出なくていい(出てくるな)し、もう日本画の教員達や同級生達とも会話しなくていい(話しかけるな)し、課題の内容も把握しないで好き勝手しても単位はやるし、大学で何かを学ぼうとしなくてもいい(俺達とは接触してくるな)。

これまでのことも、お互い様だということで、これでそろそろ和解としよう。』

 そんな話を、僕はS先生から何度も繰返し持ちかけられていた。

 何もかも、日本画の教員達の都合でしかものを言っていなくて、僕は最後までその内容での和解は拒んだ。

 

 当時の僕は彼等と揉めていても、彼等の人間性・良心を信じたい気持ちが強かった。

 その為に、薄々とわかっていたこの状況も、僕自身がきちんとは受け止めていなかった。

 彼等のとった行動への責任追求や責任をとらせることをしてこなかったし、追い詰めることもしてこなかった。

 彼等を不幸へ陥れる手段を持ちながら、僕はその覚悟も持てなかった。

  話し合えばいつかは解り合える等と、僕はいつまでも夢物語を信じていた。

 

 自由という言葉や理屈以前に、自身の都合ばかりで押しきろうとする者達に、理屈や会話や良心を求めても無駄なのだ。

 当時の僕はお人好し過ぎて、そんなことすら判っていなかった。