絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

アルバイト No.33

アルバイト

 長いこと学生時代の話を書いている訳だけど、時系列で言うと大学の前期は終わり、夏休みに入った辺りになる。

 僕は先々のことを考えて、アルバイトを始める。

 そのアルバイトは、個人が経営している小さな居酒屋。

 

 そのアルバイトをやろうと思った経緯に、母との意見の対立も少しあった。

 美術大学へ入学してすぐに、先輩達が新入生歓迎会というのを開いてくれた。

 その場でK先生(男子)は、新入生たちにこんな言葉をかけてくれた。

「この中には、卒業後に大学院へ進学する生徒もいると思う。
そういう生徒は、後々になってから大学院に進学をする事を考えるよりも、今から大学院を視野に入れて絵を頑張った方が良い」

 この言葉を聞いて、僕はこの時点から大学院の事を考える様になる。

 卒業するその時に、具体的に大学院に進むのかは解らないが、僕は大学院へ進む人以上の勉強をしていこうと考えていた。

 そして、北海道の母にこの事を電話で伝える。

 母からの返事では「うちは経済的に無理だから、大学院は諦めて」と言われた。

 実際に大学院へ進むかどうかは解らないけれど、そういう考え方を持って絵を学びたいと伝えていても、反対される。

 その時期にどうなるか解らないけれど…という僕の話も、母にはその時期が来ればそうなるだろうと考えていた。
 だから、この時点から「経済的に無理だから…」とはっきり伝えていた。

 それが僕の中ではモヤモヤしてしまう。
 そして、大学院の学費や、在学中に色んな勉強でお金がかかっていくであろうことなど、漠然とした考えを持ちながら、取り敢えずでアルバイトを思い立った。

 そのアルバイトにも、母は反対していた。
「アルバイトなんかすると、大学の勉強を疎かにするかもしれない。だから、アルバイトなんかしないで欲しい」
 そう言われながらも、母の言葉に従わずにバイトを始めた。

 その居酒屋は、アルバイトを始めてから数ヶ月で店を閉めることになった。

 理由は、すぐ近くに大きな居酒屋が出来、そちらにお客さんを取られてしまったからだ。

 その居酒屋のアルバイトは、1ヶ月で終わってしまったけれど、そこで知り合った先輩アルバイトの石間さんと安藤さんという二人とは、美大生の間はずっと仲良くしてもらった。

 

 居酒屋のアルバイトが出来なくなって、それから数ヶ月後、住まい近くのコンビニエンスストアでアルバイトを始めた。

 そのコンビニでは、高校時代に好きだった女性に似た女性で、木村さんという人がいた。

 その木村さんを見かける度に、僕は未練がましく、高校時代に好きだった女性のことを思い返したり、木村さんのことを目で追ってしまう。

 でも、似ているだけで別の人だということは、充分にわかっていた。

 高校生の頃の未練と、大学生になってからの状況と、同級生達がいつも楽しく交流を深めながら、僕だけが取り残されている状況に、いつも沈んだ気持ちになっていた。

 そんな気持ちになる度に、今は絵を頑張らなければと、自分を励ますばかりでもあった。


 因に、その安藤さんには有名人の友達がいた。

 安藤さんは幼い頃から野球をやっていて、プロ野球イチローとも、幼い頃から中学生まで一緒に野球の練習をしていたという。

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【イチロー】指導者に興味なしイチローにオリックス「オーナー」就任案|野球|日刊ゲンダイDIGITAL

 少し余談をすると、このイチローアダモちゃんがとても好きだったそうだ。

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ハ~イ!ペイ!!アダモちゃんこと『アダモステ』島崎俊郎の伝説のキャラクター、- Middle Edge(ミドルエッジ)

 しかし、僕はこのイチローのことをいくら教わっても、当時はそのイチローのことがわからなかった。

 高校生の頃から、僕はテレビをあまり見なくなっていた。
 当時の僕は、家にテレビがあるとテレビを見過ぎてしまい、絵や勉強に集中しなくなると考え、テレビを買わなかった。

 思えば高校生の頃から、柔道部と美術部の両立でテレビは見なくなっていて、そこからずっと世間的な話しに取り残されていた。

 丁度その頃から、イチローの活躍はテレビ等で注目されていたのだ。

 その後、浪人時代を経て、美大生のはじめの辺りまではテレビの無い生活を送っていた。

 新聞も読まず、ラジオの音楽番組を聞く程度のだったから、世の中の状況などは何もわからなかった。

 そんな経緯から、
「この日本でイチローを知らないのは、高木くんぐらいなもんだよ」
 等と言われて笑われながら、安藤さんと石間さんにはよく遊んでもらった。

 三人で遊んだ思い出は、とても良い思い出になった。

 

 美術大学を卒業しても、何年かは電話や年賀状などでの交流も続けた。

 でも、今ではこの二人とは疎遠になってしまった。
 身の回りの幾つかの問題が片付いたら、またいつか連絡をとりたいと思っている。