絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

本から絵を学ぶ1・大学で学ぶ姿勢 No.38

顔彩

 画学生時代には、いつも絵に関係する本を読む様に心掛けていた。

 自分を高める為に、何から始めたら良いのかわからず、大学の教員達とのやり取りからも、それを知ることが出来なかったので、とりあえずは本を読むことしか思い付かなかった。

 

 僕はもともと、読書をするタイプの人間ではなかった。

 それでも、美術大学では必死になって絵を学ぼうと決心していて、その決心の具体的な行動のひとつとして、毎日必ず本を読む習慣を持った。

 日本画の画材の扱いや技法書に関しては、K先生(女子)の言葉に従い、始めの内は避けていた。

 どんな本が自分のためになるものかわからないので、最初は日本画関係の本を見かけたら、取り敢えずは手に取るようにした。

 

 美術大学の授業が始まった最初の頃、美術大学側で配られた日本画の画材のなかに「顔彩」という絵具があった。

f:id:motonari1:20191029210249j:image
顔彩・鉄鉢 | 日本画材料 吉祥

 見た目からも洋画で使う水彩絵具に似ていて、陶器の小さなお皿に絵具を塗り付けてある。

 水彩絵具のチューブの形式ではない水彩絵具でも、こういう形式のものはある。
 使い方も、その水彩絵具と同じようで、水を浸けた筆で絵具を溶かしながら筆に絵具を浸けていく。

 絵具の溶き方はわかるのだけど、岩絵具や水干絵具といった、膠という接着剤を混ぜ合わせて作る絵具とはどう違うものなのか。

 どういう意味合いで、どう使い分けるものなのか、よくわからない絵具だった。

 この「顔彩」も順を追って、授業のどこかで教えてもらえると思いながら、いつまで経ってもそれらしい話が出てこない。

 僕だけではなく教室の何人かの生徒が、この「顔彩」のことをわからないと口にしていた。

 そこから、入学前からの日本画経験者だったTa等は、教室のみんなに対して顔彩のことを語る。

日本画の岩絵具や水干絵具は、塗るまでの準備で非常に手間がかかる。
ほんの少しの色を塗るだけために、それらの準備を行うのが大変だから、少しの色を塗るだけの場面では「顔彩」を使い、その手間を省いて使う。」
「俺はそう解釈している」

 この話のまま、教室のみんなはTaの解釈を基に、そういうものだと信じていく。

 しかし、僕だけはTaの「俺はそう解釈している」と付け加えているこの話を信用していなかった。

 K先生(女子)の方針でも「日本画の技法関係は、教室の経験者話や本から学ぶよりも、教員たちの所へ聞きに来て、大学側のやり方から学ぶようにしてください」と話していた。

 K先生(女子)がその様に発言しているもので、入学当初の僕は、本などから学ばない代わりに多くの質問を持ちかけていたが、その質問によって、僕は教員達から煙たがられていった。

 そして、日本画の教員達に質問を持ちかけることを諦めた頃から、僕は日本画の技法書等を読むようになる。

 顔彩についても、自分で本を読むことで、Taの解釈は違っていることを知った。

 

 絵具の素材や分類についての話。

「顔彩」の話の前に、日本画の絵具の話から始める。

 日本画の絵具(岩絵具や水干絵具)を洋画的な理屈で話していくと、性質的には不透明水彩絵具という分類になる。

 不透明水彩絵具は、名前の通りに不透明で、下地の色をある程度隠しながら強く発色する。

 逆に、透明水彩絵具はある程度透明で、下地の色はある程度透かしながら発色する。

 「顔彩」の話に戻すと、「顔彩」は透明水彩絵具としての性質を持つ絵具だった。


 当時の僕は幾つかの本を読みながら、「顔彩」はこういうものなのか、教員たちから確認をとろうとした。

 そこで、そもそもは「顔彩」の事を聞きに行った筈なのに
「岩絵具だって薄く塗れば透明水彩になる」
「この事をどうしても知りたかったら、洋画で画材について詳しい先生を探して聞いたらいい」
 などと言われ、はぐらかされる。

 こういう絵具の性質や分類などの知識も、日本画の教員達は殆ど理解していない。

 画材は取り寄せて使ってみて、自分に合うと思えば、それが全てだという。

 きっと時代や世代的なもので、僕世代に対して絵を教える日本画の教員達は、それで良かったのかもしれないし、それを『どうでもいい』『お前の言うことは細かい』のひと言で片付けて問題なかったのかもしれない。

 しかし、いま現役で大学の生徒をしていて、絵画の材料化学などを座学の授業で受けている立場では、そういう訳にはいかないだろうと思ってしまう。

 特に僕は、主には洋画の先生達から絵を学んできた者である。

 洋画を学ぶ立場では、使う材料の科学的な知識や研究は、画材メーカーに任せて終わりという考え方をしない。


 日本画の教員たちは、
「わからないことがあったら、何でも遠慮しないで聞きに来てください」
 等とよく言っている。

 しかし、現状で多くの生徒は、大学入学前からの日本画を経験してきた生徒に教わる状況を促し、その教え合いに頼る。

 実際に僕が、S先生やA先生(女子)へ話を聞きに行っても、教員側の経験や好みや関心を持っていることを生徒に押し付けていて、そうではないことは『そういうことは知らなくてもいい』等と言ってしまう。

『そういうことは知らなくてもいい』というのが、S先生とA先生(女子)の実際の対処であり、その自身等の考え方ややり方が日本画の全てであり、その範囲で質問の対処を全てやろうとする。

 僕にしてみれば、知らないことは知らない、自分の考えと噛み合わないならば、そういう考え方は持っていない、と語るべきではないのかと思う。

 そうすれば、僕は他を当たって調べるし、経んな禍根も作らず、それでその質問のやり取りは終わるのだ。

 

 僕は、他の大学の日本画教員達と接したことはないので、他の大学もそうなのか、今の日本画の指導の流れ自体がこういうものなのか迄はわからない。

 でも、日本画の世界自体が、必ずしもそういうものではないということは知っていた。

 僕が好きだった画家の上村松園は、最初は鈴木松年の弟子となる。

 その後、鈴木松年から「私には、あなた(松園)の絵を生かす為の線を教えることは出来ない」と語り、幸野楳嶺に師事して貰うことを勧める。

 上村松園の師である鈴木松年も、自分の持っているものや持っていないものを知っていた。

 それから上村松園は、鈴木松年から離れ、幸野楳嶺、竹内栖鳳、から学ぶ。

 こういう逸話が実際にあって、日本画の世界であっても、描く絵や流派や考えが違うからといって、他者を程度が低いと見下し馬鹿にするばかりの世界ではないのだ。

 この大学の日本画の教員達は、何十年も絵に関わって生きてきた者達である。

 それに対する僕は、大学へ入学してようやく日本画を学び始め、たかが数ヵ月や半年そこらの存在である。

 そんな僕が愚かと感じている様なことを、絵に関わって何十年も生き、美術大学助教授という立場にありながら、それがわからないものだろうか?そのままやってしまうものだろうか?という疑問を僕は持つ。

 そういう疑いを以て彼等を見ているから、僕もその様に見えてしまうのではないか?

 そんな風に、悪い状況を見る度、僕は実際に自分が見ているものや追い込まれている状況を、繰り返し考え直そうとする。

 でも、実際にS先生やA先生(女子)は、その愚かな言動をいつまでも続けていて、そのままの存在で、僕はそれをなかなか受け入れられずに迷っていた。

 

大学で学ぶ姿勢

 大学へ入学する以前、と言っても浪人生だった頃の話なのだけど。
 美大や芸大で絵を教える様式の様なものを、何度か耳にしていた。

 

 大学というのは、小学・中学・高校といった学校の様な、教わることが決まっていて、その範囲内で学ぶものと性質は違う。

 生徒側が学ぶべき方向性を考え、自主的に学んでいくし、大学の教員達もそのことへうるさく言っていくものもはない。

 生徒が自分で考え、学ぶことを決めて努力していくものだからこそ、大学では自由に思える時間は沢山ある。

 生徒が学び向かっているものに対して、大学の教員達は自身の経験や知識から、助言や意見も述べはするけれど、その程度の存在でしかない。

 美大や芸大というものは、そういうものだと聞きながら、僕は浪人生活を頑張ってきた。 

 

 大学生活を通しての結論を、今ここで簡単に語ってしまうと。

 多分、僕がこの美術大学へ入学する迄に学んできたことこそ、正しかったのだろうと思う。

 その事を理解していないまま、美術大学の教員になった。

 或いは、偏見や意地になった際の悪のりによって、S先生とA先生(女子)はこの様な言動をしているのだと思う。

 そして、気に入らない生徒である僕の学生生活が、彼等教員達の言動によって、メチャクチャになっていることも薄々と気付いていた。

 でも、それを『世の中の厳しさ』や『自業自得』と語り、『そんな生徒がどうなろうと知ったことじゃない』という自己責任論で片付けていた。

 こんな感じで、僕の画学生時代の学生生活は、ずっと続いていく。