盗難とその後4 No.53
母から大学への手紙
母は大学へ電話をしていただけではなく、匿名で手紙も送っていた。
その手紙の存在を知ったのは、大学4年生になってからで、僕は大学の事務員から直接見せてもらったりもした。
でも、その手紙が送られていた時期の僕は、母がそんなことをしていたとは知らなかった。
母の手紙には、僕の盗難に関する具体的な事柄などは伏せて書かれていた。
正確な文面までは覚えていないけれど、大体こんな内容だった。
『大学内で盗難等が起こった場面で、大学の教員達は、加害者ばかりを過保護に擁護して、被害にあった者に自己責任や犠牲を強いているのではないでしょうか。
被害者が理不尽な思いをするのは、ある程度は仕方ないけれど。
自分の息子から話を聞く限りでは、大学の教員は、繰り返し起こっている被害に対して、被害にあった者ばかりに厳しい言葉をかけ、その問題に対して何の対処もして貰っていないように聞いています。
大学の授業に対して、真面目に打ち込もうとしている生徒の一人が、その繰り返し起こる盗難に苦しみ、課題の提出や学ぶことの障害になっています。
疑いだけで誰かを罰する訳にはいかないでしょうが、もう少し被害にあった生徒に寄り添った対応はしてあげられないものでしょうか。』
大体、こんな内容の手紙だった。
細かな話や具体的な事柄は書いていないけれど、僕が母へ話した内容が基になっている話だ。
僕は画材の多くを盗難での失い、その時に制作した課題さえも失い、そのことで提出期限の猶予をS先生へ求めたが、提出期限を過ぎたものは受け取らないと話を拒まれる。
その後に派生した問題もあり、もう3年生には進級できなくなったと、母へ話した内容が書かれているのだ。
その手紙の筆跡も、僕にとっては見慣れた母の文字であるから、見間違える筈もない。
この手紙は、最初に大学事務へ届き、日本画の教員全員が目を通したが、この内容に該当しそうな場面も生徒も、思い当たるものはないと、どの教員も返答していたという。
そのことで、この母からの手紙は保留にされたまま、大学の事務室で保管されていく。
この手紙を日本画の教員達が目を通す前、その内の1人の先生は僕の母と会話をしている。
その後に、母は匿名でこの手紙を送り、大学事務を通って日本画の教員達(事務員は全員と言っている)に見せている。
だから、最低でもこの1人の日本画教員は、僕のこの盗難問題や、僕の母の存在を十分に把握していながら、それを話すと自身の都合が悪くなると察し、知らない振りをして誤魔化している。
最低でもこの一人、という言い回しで僕は書いているが、僕の感じ取っている感じでは、教員の殆んどが、この対象の生徒が僕だとわかっていて、差出人も僕の母であったこと等もわかっていながら、それを皆で知らない振りで片付けていたのだと思っている。
この手紙を読んでからも、日本画の教員達は、自身の言動を改める様な方向には向かず、僕を大学から排除することで、この問題の解決にしようと動いていったのではないだろうか。
或いは、この母からの手紙や電話とで、そういった意識や悪意をより強めていった様に、僕は考えてしまう。
悪夢
母のしにたい発言は、僕が自身で自覚している以上の落ち込みを自覚する。
母との会話やその後では、母の発言を考え過ぎないようにしようとする。
でも、この頃から幾つかのパターン化した夢を見る。
入学当初に見かけていたTaの持ち歩いているナイフで、滅多さしにされて恐怖で目が覚めたり。
刺されたり暴行などを受けた後の場面で、僕が力尽きていく処を、教員や同級生達が笑って眺めている夢であったり。
扉を開けると、母がくびをつっているのを見て、絶望している夢であったり。
そんな夢を、何度も繰返し見てしまう。
目を覚まし、全てが夢でよかったと安堵する。
しかし、夢で見ていた具体的なものは夢だったけれど、理不尽に繰り返される大学でのトラブルや、母や高校時代の絵の先生のしの問題等を考えると、半分は現実であることに落ち込んでしまう。
こんな夢を見るようになった頃から、胃の痛みもいつも感じるようにもなった。
精神的なストレスで胃が痛むというのは、話には聞いていたけれど、本当に起こることだと実感する。
実際に胃痛になってみると、胃がキリキリと痛むという言葉も、適切な表現だと感じてしまった。
同時に、「こんな環境や苦しさに、僕は負けたりはしない」「僕は弱い人間ではない」と考え、自分に言い聞かせていく。