日本画の定義は、素材論なのか精神論なのか No.54
記憶に残ったテレビ番組で、
「ETV特集 世界の中の日本画」
というものがあった。 このテレビ番組をみた時期は、大学一年生の半ばだったような~二年生のはじめだったような…そんな感じの曖昧な記憶である。
今回の話の中心は、このテレビ番組になる。
学ぼうとする意志はあるのだけど…
僕が大学生になったばかりのはじめの頃は、少しでも日本画の事を知ろうとするが、何をどうしたら良いのかがわからなかった。
日本美術史の本も読みはしたけれど、本自体が簡潔にまとめられ、多くの情報を詰め込んでいる分、よけいに頭に入ってこない。
本屋や図書館等で見かけた本を、取りあえずは手にとって読みはする。
日本画といっても色々とあって、僕には面白いと思えるものから、そうは思えないものもある。
興味のある絵について書かれている本を見つけても、使われている漢字が読めないものばかりであったり、ある程度の知識がないと入り込めないような難しい内容の本が多かった。
そんなだから、その本を最後まで頑張って読んでも、内容はイマイチ頭に入ってこないことの方が多かった。
そんなことの繰返しによって、知っていくこともあるのだけれど、収穫の実感は少ない。
一年生の前半の辺りで、K先生(女子)が前田青邨のことを口にして、図書館から画集を持ってきて、生徒達へ見せていた場面もあった。
その場面の後、僕は大型の本屋を幾つかまわり、前田青邨の画集を購入した。
↓のリンク先は、実際に当時の僕が購入したもので、K先生(女子)の見せていた画集ではない。
この画集はシリーズもので、他の画家のものも含めて読んでいったことで、多くの勉強にも繋がった。
このことで改めて、教員達におすすめの本や、学ぶのによい方向の分野等はないかと、何度か質問を持ちかけることもした。
本で読んだけれど、難しくて理解できなかったことを、質問として持ちかけたこともあった。
その僕の質問に対しては、S先生とA先生(女子)が対応してくれたが(他の先生から話を聞こうとしても、この2人が対応してしまう)、どちらの先生も「本なんか読まない方がいい」と言って、いつも質問の趣旨を変えて終わらせようとする。
この2人の教員自体は、あまり本を読まないし、本で知るような情報は、絵を描く行為には繋がらないという考えを持っているもので(本人達がそう述べていた)、その考えを僕にも押し付けてくる返答だった。
上でリンクした本の「巨匠の日本画」のシリーズでは、前田青邨の弟子である平山郁夫が解説文を入れている。
そのなかのどこかで「日本の義務教育内での芸術教育は、実践ばかりに片寄っている。その事が、日本人が自国の芸術を学ぶことに致命的な状況を作っている。」という様な話を書いている。
絵を学ぶには、描く行為ばかりではいけないのだ。
当時、東京芸大の学長をしていた平山郁夫のこの話を僕は読んでいて、その話を心に刻んでいた。
その話と噛み合わない言葉…自分の在籍している大学のS先生とA先生(女子)の言い分に、思うことはあった。
だからといって、僕はS先生とA先生(女子)のしてくる話に批判や反論をしてはいなかったし、彼等の教えるものと僕の学ぼうとするものとは、方向性の違うものだと考え、その類いの質問も持ちかけなくなっていった。
日本画と一言でいっても、色んな描き方や考えや分野もある。
僕は日本画の全体像を知らず、自分の立ち位置もわからない。
それでも、自分の少ない知識から、古典の歴史や技術的なものを学び、それを裏付けとした絵を描きたいと動いているのだが、それを学ぶにはどうしたらよいのかわからない。
大学の教員達は宛にならず、本を読むようにしているのだが、自分でも適切な本や内容を掴んでいるとも思えないでいた。
それでも僕は、学ぼうとする意欲は強くて、毎日必ず、何かしらの本を手にとって、日本画に関する本を読むことを習慣にしていた。
きっかけのテレビ番組
一年生の半ば、テレビデオというテレビとビデオの一体化したものを購入した。
それからは、新聞で絵に関係する番組を見つけたら、手当たり次第ビデオの予約録画をした。
そのなかから、
「ETV特集 世界のなかの日本画」
という番組を見た。
この番組は、僕が日本画の全体像を知っていく大きな切っ掛けになった。
この番組の元々の荒筋は、海外のどこかで行われた「日本画の企画展」の内容を紹介したものだった。
色々と知った後になって、この番組の内容を思い返すと、ありきたりな日本画の概要的な話でしかない。
でも、それが当時の僕には、とても大事なことだった。
以下は、その内容。
『「今の日本画」と「昔の日本画」には違いがある。
今と昔の違い、その契機は1900年の「パリ万国博覧会」だという。
日本政府の意図としては、日本画をパリ万博で発表し、その後は日本画を海外へ輸出販売する計画を立てていた。
しかし、その意図や計画とは裏腹に、パリ万博での日本画の評判は非常に悪かった。
酷評のなかには、
『日本の絵画は無意味に淡白すぎで、見る者の興味をそそることも少ない。』
という内容の記録も残っている。
「パリ万国博覧会」を終えて、日本画は当分の間、西洋絵画の良い処を学び吸収する事とする。
その後の日本画は、大きく変化していく。
それまで日本画では描かれなかった題材も、多く描かれていく。
日本画を描く為の「麻紙」という画用紙も、より厚く丈夫なものが開発される。
そのことで、塗った絵具に厚みを持たせている今の主流の日本画も出来上がった。
この企画展の為に行われた講演会で、こういう質問が出て議論となる。
特に現代の日本画を指して
「これがなぜ日本画なのかわからない」
「日本画の定義は、素材論なのか精神論なのか」
その議論も結論は出ずに、講演会と議論は終えた。
この企画展を撮影し、番組を制作したスタッフは、各大学や日本画の関連した機関へ、この疑問についての質問状を送ったと、番組の最後に語り、番組は終えた。』
日本画の事をあまり知らない僕は、この内容には色々と考えさせられた。
それまで断片ずつ知っていった日本画の情報が、大雑把ではあるが、ひとつの流れとしても繋がった。
日本画に関わる者ならば、日本画の定義は精神論と語りたい筈だ。
しかし、パリ万国博覧会以降の日本画では、西洋画の要素を多く取り込んできた。
日本の文化は西洋化されているのだから、現代日本画の精神は西洋とごちゃ混ぜになっているのではないか?
西洋の様々な様式や文化や考え方を取り入れて、西洋絵画と見間違うような日本画は量産されている現在。
現代日本画の定義を「精神論」と語る、その精神性はどういうものだろうか。
僕は美術大学で日本画を学んでいて、洋画と日本画の様式の違いに随分と困ってきた。
この困ってきた処が精神性の違いによるものなら理解もできる。
しかし、その困る内容は様式的なものや、教員たちの不手際や誤解など、お粗末な事柄ばかりに思える。
日本画の精神性らしき教育など、この美術大学であっただろうか?
日本画の定義は「素材論」か「精神論」か。
正直な処、現状では「素材論」としか言えないと僕は思っている。
美術大学で教わってきた内容から、「精神論」と言える事柄なんかは見つからない。
「精神論」であると語るには、現代の日本画画家は無秩序に絵を描き、それをまわりも容認してきた。
日本画を描く人たちのなかには、日本画らしくない絵を描き、日本画として発表する人も多い。
それを評価したり見たりするる人たちは、「珍しい日本画」と考えて「日本画」として受け入れている。
この東山魁夷は、学生時代にドイツへ留学し、日本画にドイツ文学的な要素を組み込んでいると訊く。
東山魁夷「夕星」
そんな東山魁夷の日本画を以て、日本画の「精神論」をどれだけ語れるのだろうか。
今は生活のなかに、西洋の文化が多く入り込み、何が日本人らしさなのかもわからなくなっている。
上村松園の孫である上村淳之が、京都芸大の生徒に「青い目をして日本画を描くんじゃない」とも語っている。
でも、そこがとても難しいことのように思える。
昔の記憶で自信はないのだけど、多分、↑でリンクしたこの本のなかで「青い目をして…」という話を書いていると思う。
日本人らしさや日本画の定義とは何だろう。
もし将来、僕が日本画の画家を名乗るならば、「日本人の心」や「日本画の精神性」とはどういうものか、それなりに持論を持つべきだろう。
上手く言語化出来なくても、自分なりに考えるものは持たなくてはならない。
番組を見た以降も、大学生活で僕が中心として勉強するテーマはこの問題だという意識を持っていた。
この番組を見た以降、日本画の区分的なものも僕のなかでは整理でき、色んな話が頭に入ってくるようになった。
大学の教員達と僕の考えが噛み合わないことの理由や必然なんかも、ここから少しずつ理解していく。