絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

K先生(女子)との接触 No.87

担当教員への求め

 画仙紙に墨を主に使い、自画像を描いていた。

 それから途中経過を研究室(日本画の職員室)へ持って行き、3年生の担当教員であるA先生(男子)に絵を見て貰いたいと、何度か求めていた。

 この頃の状況として、僕は誰からも相手にされないのはわかっていた。

 それでも、僕は大学に高い授業料を支払っている生徒であるし、教員達も、場の勢いで酷い言葉を使いながらも、教えを求められれば教員や絵描きとしての責任やモラルを果たそうと動くかもしれない…

 そういう人達であると信じたかったし、それを確認するための行為だった。

 しかし、僕の求めに対して、A先生(男子)に会わせて貰うことは一度もなく、それ迄はS先生が代わりに対応しようとする流れにあったそのS先生も、僕には関わらないことを徹底していた。

 僕としては、S先生等から無責任な返答をされて散々に困ってきた経緯もあり、教員達に相手にされないことは逆に楽ではあった。

 それでも僕は、A先生(男子)の意思を確認しようと会話を求め、避けられていた。

 そんな時期の話。

 

 いつもの様に、僕は研究室へA先生(男子)を求めていく。

 そのある日は、研究室にK先生(女子)だけがいた。

 僕はK先生(女子)へ「3年生の担当教員であるA先生(男子)に絵を見て貰いたいのですが、A先生(男子)はいませんか?」と声をかける。

 そこでK先生(女子)は「私ではダメですか?」という言葉を返してくる。

 僕にとっては予想外の言葉に、僕は少し動揺しながらも「見て貰えるなら見てください」と返答する。

 

 1年生の頃には色々とあった為、僕にとっては、K先生(女子)は恐い存在だった。

 入学当初、僕はK先生(女子)に対して、何度も繰返し質問を持ちかけたり『絵を見て欲しい』と求めながら一度も相手にされなかった。

 それでもK先生(女子)とのやり取りを諦めない僕に対して、S先生やA先生(女子)は声を荒げて感情的に怒っていた。

 何度も聞かされてきた話で、K先生(女子)は僕を物凄く嫌い、怒っているのだそうだ。

 そういった僕と教員達とのやり取りを同級生達が面白がり、バカにし、その結果として僕は孤立していった。

 だから直感的に、また新しい火種が生まれるという思い、僕はK先生(女子)を恐く思うのだが、僕は絵を学ぶということに対してだけは、臆する訳にはいかなかった。

 思えば、K先生(女子)と直接の会話をするのははじめてで、どんなキツい言葉をかけられるのかと、僕はK先生(女子)に対して身構えていた。

 

 K先生(女子)との会話

 言い訳がましい話からはじまってしまうのだが。

 この時の僕の課題は、結構恥ずかしいものだった。

 課題で初めて破墨への挑戦をして、やはり上手くもいっていない。

 下図相談もしていないのに、勝手に作業を進めていて、本来大学で課題制作用に用意されている麻紙を使ってもいない。

 そんな突っ込みの入りそうなものばかりの絵を見せて、僕は説明を始める。

 

『僕は1年生の頃に竹内栖鳳のことを知り、竹内栖鳳の絵が好きになった。

 それで、竹内栖鳳のことを自分なりに調べながら絵を描いている

 今回の絵もそういうもので、自分で画仙紙を用意して使っている。

 この大学の課題では、盛り上げや厚塗りをしていないとダメだとか、抽象画ばかりやっていると怒られるけれど、僕は僕なりに日本画のことを勉強しながら絵を描いていて、そういう処は理解されないし、そういう話をしても聞いては貰えない。

 

 紙に関しても、僕は色んな種類の紙のことを学ぼうとしていて、2年生の頃からは大学から支給されている紙を基本的には使わなくなった。
 自分で紙を用意していることに関しては、2年次のはじめに許可を貰った上でやっている。

 この課題で使っているのは中国の画仙紙。
 画仙紙を使うことにしたきっかけは、竹内栖鳳のことを勉強してのこと。
 竹内栖鳳はドーサ(滲み止めの液)を使わずに絵を描いている場面があり、その描き方を僕は研究していたこと。

 この絵で使っている胡粉は、1年生の頃にK先生に教わった胡粉とは違うもので、発色も酷いものになっている。

 生徒間で、水彩絵具の様なチューブに入った胡粉絵具を使うのが便利だと流行っていて、僕も今回は初めて使ってみたが、これは酷かった…等々。』

 

 話す前の本音として、K先生(女子)も僕の話なんかまともに聞かないだろう、と予測していた。

 聞いても、わかろうともしてくれないだろうと考えていた。

 教員達が自分等の価値観に沿ったものしか認めず、僕はそこから離れた処にいるから、僕は何を言っても馬鹿にされてしまう。

 それでも、僕は自分の絵に対しては適当になれず、まともに耳を傾けては貰えないと思いつつ、語っている全てを否定されると思いつつ、この後の口論を覚悟しながら説明した。

 

 K先生(女子)は僕の話を黙って聞きいていた。

 その黙って聞いている感じは、2年生の頃のI先生が僕に対して、
『こんな絵を描くならこの学校は辞めた方がいい』
と言ってきた場面と雰囲気がそっくりだった。

 僕の語ったことについて考えているのではなく、僕にどんな暴言を言おうかを考え、その暴言を口しようか微かに躊躇していて、少しの間を作ってしまう…

 K先生(女子)も、あの時のI先生やS先生と一緒で、どんな乱暴な言葉をかけてくるのだろう…そこへ僕は、どれだけ考えの整理された反論を出来るのだろう…

 そんなふうに、僕はK先生(女子)の沈黙する姿を見ていた。

 そういう僕の考えは浅はかで、この時のK先生(女子)は、予想外にも、きちんとした話をしてくれた。

 K先生(女子)の話は、教員達の件からはじまる。
「この学校の先生方も、実は日本画というものがどういうものかを、よくわかっていないのです。」

 それから、僕の説明の中心となっている竹内栖鳳の話に対して「どうして栖鳳紙を使わなかったのですか?」という質問を僕にする。

 僕自身は、本で栖鳳紙の存在は知っていたのだが、それは竹内栖鳳の求めによって作られた特別な紙で、今の時代にそれが買えるとは思っていなかった。
 だから、「どうして使わなかったのですか?」という質問に対して「買えるものだったのですか!?」と驚いていた。
 K先生(女子)は驚いた僕を見て、栖鳳紙についての話を始める。

 その話は、あまり細かくまでは覚えていないのだけれど、全部何かしらの本で読んだことのある話ばかりではあった。

 ただ、知っている話ではあっても、その栖鳳紙を作った人物として『岩野平三郎』という個人名など、具体的なことまではっきり口に出来ている事が、僕の様な付け焼き刃の知識とは全く違うのだと感心した。

 竹内栖鳳についての話をすれば、日本画の教員達であろうと、知識の上では僕の土俵だと思っていた。
 それなのに、その竹内栖鳳の話を僕から突然切り出されても、K先生(女子)は何の準備もないところから、正確で詳しい話を語って返してきた。

 他にも、知りたかった墨の扱いや、僕の絵の適当になっている部分への指摘等もあるのだが、長くなりそうなので細かい処までは省こうと思う。

 

 これ迄の大学生活のなかで、初めてまともな批評を受けて、僕は驚いた。

 僕の悪い噂はK先生(女子)も聞いているであろうから、揉めないように優しい言葉や丁寧な言葉を選んでいたのかもしれない。

 或いは、僕という存在は、今までに全く会話をしてこなかった人物であるから、自分の教え子ではなく、他人行儀としての言葉だったかもしれない。

 そう勘繰りながらも、K先生(女子)がきちんとした話をしてくれたことに、予想外で驚くほど、僕はK先生(女子)のことを悪く考え決めつけていた。

 今回はたまたま、という考え方もあるだろうし、この会話をしながらも、K先生(女子)は僕を嫌っているのかもしれないけれど。

 正規の日本画の教員達が、僕には悪意の込めたいい加減なことしか言わなくなっているなかで、K先生(女子)だけは唯一、きちんとしたことを教えてくれた事実は受け入れよう。

 一年生の頃、この大学の先生達がどんな絵を描いているかを調べることで、K先生(女子)は僕がこの大学で学びたいと思っている技術の殆どを持っていることを知ったものだ。

 あの頃に、そう感じたことを思い出す。

 K先生(女子)の絵に描かれる線は、大雑把な性格の僕には描けない、丁寧でぶれていないものだった。

 きっと几帳面な性格で、大雑把な僕とは性格面では噛み合わない人なのだろう。

 だから、数年経った今がこんな関係になったのだと思う。

  担当教員でさえ僕の相手をしてくれないこの状況にあって、K先生(女子)から絵について話を出来たのは単なる偶然であるから、こういうやり取りは最初で最後になると考えていた。

 そうであっても、『もしも』という仮定のなかでのみ、K先生(女子)は微かな可能性を感じる存在であった。

 そういう可能性の存在は、直接的に接しないで仮定のなかで考えるからこそ、想像のなかで喜ばしいのであって。

 これから直接的に接していこうとすると、表面的な綺麗事から厳しい現実が分離して突き返され、同じ結末なのに苦しみばかりが加算されていくのではないか。

 だから、『もしも』という可能性を心のなかに残して、諦めたり風化させるべきなのかもしれない。

 悪いことが続いていると、そんな考え方をしていくものだ。

 でも、このK先生(女子)とのやり取りは、これで最初で最後とはならなかった。