裸婦の日本画制作1 No.68
制作に対する指示
裸婦の日本画制作は、それまでに制作した着色写生やデッサンを見ながら制作することとなっていた。
この時の下図相談も、見て貰うのはS先生となる。
出来ることなら、僕としては他の教員とのやり取りをしたいのだが、生徒の側は担当教員しか選べない。
教員の側は、何となくの気紛れで、担当の生徒以外であっても、口を挟んだり指示を強要したりも出来る。
僕自体は、それ迄のS先生とのやり取りなど全く意識せず、それ迄通りというか、臆せず堂々と話しかけるように意識した。
下図相談の段階では他の教員も居たこともあり、僕側がやりたいと主張していたことは全て通り、本画制作の許可を貰う。
しかし、途中段階にS先生から「作品を見せろ」と強く求められ、この時も突然の方向性の転換を強要され「言われた通りにしないと単位を与えない」という言葉も付け加えられる。
僕は最初から、戦前の日本画の様な絵具の塗りかたを行うことを伝えていて、S先生等がやらせたがる絵具の厚塗りや盛り上げを行わないし、使う紙も薄手のものを自分で用意し、大学で仕入れ代金を一部負担させられる紙は使わないとしていた。
それがS先生の気分や機嫌によって無視され「ここ迄に使っていない色を、この上から30回以上塗り重ねろ」とか「絵のメリハリとか考えないで、モデルさんの肌の色だけを追求して塗れ」とか「こういう薄い紙を使おうとするのが間違っている」といった発言をして、わざと僕を困らせてくる。
この当時の作品自体の画像もなく、理屈ばかりを語っても、読んでいる側はイメージも持てずに判らないと思う。
当時の作品を見せて説明したい気持ちはあるのだが、その作品も今では廃棄している(自分で納得していなかった)為、ここで見せることも出来ない。
ただ、昨年末に描いていたアクリル画が、当時の絵と似通った色調を出しているので、ここで参考までに貼りつけておく。
アクリル画『姉妹』
着衣と裸婦の違い等はあったりけれど。
ボヤけた色のなかから、実体が浮かび上がるような色合いを、僕は当時も今も好んでいたし、当時はそういう絵を、自分が納得いく処まで描き込みたいと考えていた。
計画的に作業を進めていても、突然、その描きかたの否定が始まり、方向転換を強要される。
そのことで、課題の制作時間の多くを無駄にし、提出期限に間に合わせようと雑な作業に追い込まれる。
その方向転換の過程や、追い詰められてうまく行かずに終わってしまった結果の作品を指して「抽象画をやっている」と怒られて口論となり、それを同級生達が面白がりバカにしながら笑ったり、どうしていいかわからずに苦笑いしながら見ているというのが、この頃の僕とS先生とのやり取りの定番だった。
このS先生とのやり取りからは、もう前向きなことにはならないと諦めていた。
だから、課題は早く終わらせて、自分の為の絵を描こうと考えるのだが、制作の方向転換ややり直しを強要されるというのは、そういう時間までも奪われていくのだった。
僕はこんなことをしている場合ではない…自分の為の絵を頑張らなければならないのに…
そういう焦りを持つと同時に、いつもイライラしていた。
胃がキリキリと痛み、これから先の学生生活に不安ばかり持ち、それでも自分は正しい方向へ向かっている様にしか考えられないでいる。
苦しいことを自覚しているとき程「そんな悪意に屈するつもりはない」という気持ちを強めていた。
そういう時ほど、例えば、S先生からかけられていた言葉『そうやって頑張ろうとするのが良くない』という批判等が、頭のなかでこだまし、僕はその言葉を否定しながらイライラをより募らせる。
僕はそのイライラを隠し、前向きな状況を作ろうと考えて動くのだが。
それ迄に、S先生やA先生(女子)やI先生から受けてきた悪意ある言葉の数々は、いつも頭にこだましていくようになる。
そして、K先生(男子)やI先生やA先生の語っていた描き方を、僕は感情や体からも無意識に拒否しようとする。
絵から離れ、夜に何気なく見る夢のなかでも、同期生や教員達から暴力を受けていたり、いのちを奪われていたり、実家にいる母がクビをくくり、そんな夢のなかで絶望しながら目を覚ます。
頻繁に、そんな夢ばかりを見てしまう。
たまに見る良い夢もあった。
高校の頃に平田先生に可愛がって貰っていた時の場面や、浪人していた頃に、もっと良い絵を描こうと必死に足掻いていたけれど、充実していた時の場面など。
そういう夢から覚め、今日も絵を頑張ろうと考えるのだが…今の自分は大学生で、さっきまでは夢であったことを把握してくると、やはり気持ちは沈んでしまう。
今思い返しても、こんな悪意にまみれた環境下で良い絵なんか描けないと思う。
そんななかで、当時の僕はよくやっていたと思う。