盗難とその後2 No.51
提出期限
S先生が僕に言ってきたことで、
『どんな事情があろうと、提出期限を1日でも過ぎれば、その課題は受け取らない。』
という話があった。
僕はこの言葉をその通りに受けとめていた。
しかし、後から同級生達をどう見ても、提出期限を過ぎながら、制作を終えていない場面を数えきれないほど見かけてしまう。
こんな言葉をかけられ、必要以上に厳しくされているのは僕だけでもあった。
でも、そんなことに気付くのは、もう暫く後になってから。
僕は、主にはS先生とのやり取りによって、ある程度描き進めた絵へのやり直しや方向転換を強要される。
下図相談で、どういう絵を描くかを説明して許可を貰っているのに、どうしてそうなるのか。
S先生やA先生(女子)の考えには、本画を制作していく過程でも、色んなイメージや考えが沸き起こり、描くものは変わっていくべきである、という考えがある。
僕の様に、描くものやイメージを早い段階で決めて、その早い段階でのイメージや考えを完成まで持っていこうとする描き方が悪い、という説明を2年生になってから受けはした。
でもそれは、S先生やA先生(女子)なりの考え方や作画方法であって、そういう処までを押し付けて強要してくることに、僕は納得しない。
だから『言われた通りにしないと、単位を与えない。』という言葉も添えられる。
そして、やり直しや方向転換を言い渡してくる場面に、提出期限まであと◯日という配慮もされない。
いつのころからか。
そんなことばかりを繰り返す課題制作で、S先生は担当教員ではあるのだけど、僕は下図や途中経過もS先生には見せなくなる。
見せろと言われても「◯先生に見て貰って許可を貰った」という嘘をつき、提出まで誰にも絵を見せずに制作を進めていく。
(生徒の側から教員は選べないが、教員側は、気紛れで担当ではない生徒の絵を見たりはする)
そうでもしないと、課題は進められない。
自分の為の勉強を行う時間も確保できない。
S先生側も、僕の嘘は判っていたかもしれないが、面倒くさがって、それ以上に詰め寄ってくることはない。
こういう行為に踏み切っても、僕のなかでは『既に手遅れで、3年生には進級できない。』という認識があった。
提出期限切れという状況から、提出できなかった課題が幾つも続いていたからである。
その事で、新学期が始まって半年もしない内から、僕は母へ『もう今の時点で、3年生には進級できなくなった。』『だから、もう大学は辞めるし、授業料や生活費も入金しないでいい。』という話をする。
大学の進級や留年に関わる単位のことで、少しだけ話を追加しておく。
次の学年に進級できずに留年してしまっても、その年度に取得した授業の単位は、翌年の授業に持ち越しになる。
だから、留年が確定したからといって、それ以降の課題等の制作が無駄になる訳ではない。
そういう状況から、僕は留年すると思っていても、以降の課題制作は続けていた。
母との喧嘩 (前半)
それまで大学での揉め事は、母には語らないようにしてきた。
同級生とも教員達とも、どうせその内に和解して、いい関係を築けると信じてきた。
不用意にそんな話を話して、母に心配させたり、発言することで新たな問題が発生することを避ける考えも持っていたからだ。
しかし、進級が絶望的だとすれば、黙っている訳にはいかないと考え、母には説明した。
提出物が幾つも提出期限を過ぎ、それを受け取らないといわれている為、もうどうにもならない。
そうなった原因は、教員達の嫌がらせが主なもので、今後の関係の修復等も見込めない。
授業内で、同級生達から画材の殆どを盗まれても「盗むやつより盗まれる方が悪い」と叱られ、その盗難で課題が制作できなくなっても自己責任として扱われてしまう。
そういう僕と教員とのやり取りを見ている同級生達も、僕へ嫌がらせをすることで、僕と教員達との関係が悪くなっていくのを楽しんでいること、等々。
母からは、盗難にあった時の画材代は、その都度工面してくれることや、1年留年してもいいから卒業までは頑張りなさい、といった話を何度もされる。
僕自身は、大学には学歴の為に来た訳ではなく、自分の絵の勉強には余りに酷い環境であると語り、この大学の授業は絶対に僕の人生のプラスになることはないから辞めさせてくれ、と何度も繰り返し求める。
僕の家庭は母子家庭で、美術大学の授業料は母一人で工面している訳である。
美術大学の高い授業の工面で、生徒の親がどれだけ苦労しているのか、僕という生徒がどれだけの覚悟を以て絵に打ち込んでいるか等、S先生等は何も気に止めず、気に入らない生徒だからと僕を大学から排除しようと動いている。
そんなだから、僕は大学を辞めたいし、母にはもう、こんな苦労はさせたくないと考えていた。
今この時を振り返っても、S先生の言動には対しては、今でも悪意ある行為ばかりだったとしか見れないでいる。
これ以降は母と電話で会話する度、大学を辞める辞めないという喧嘩を毎回していく。