美大2年生の年度末 No.75
年度末
S先生との約束のなかで、I先生を加えた話し合いを行うか、課題や授業関係での再説明を受けるか、どちらかでの連絡が来る筈だった。
しかし、そんなものは幾ら待っても来ない。
僕は課題関係の締切関係で苦しんでいて、S先生から連絡が来ないことに不安を覚えながらも、連絡が来るまでは自分の終わらせるべき課題に必死に取り組んでいた。
この頃は、時期は年末年始の辺りだった。
この時期まで、僕はこれからどう頑張っても、3年生には進級できないという認識を持っていた。
課題の提出を守れず、多くの課題が提出を許されない状態になっているからだ。
それから、年が明けた頃に母からの電話がきて、課題が幾つも未提出になっている事で叱られる。
僕側の持っている認識としては。
S先生の滅茶苦茶な要求のせいで、僕は多くの課題を提出期限までに仕上げられずにいた。
提出期限が1日でも過ぎた場合には、どんな事情があろうとも、提出物はうけとらないということで2年生をやってきた。
そういうことで、もう3年生には進級できないことを、僕は母へ、前期の半ばか後半あたりから振っていた。
しかし、母の処へ届いた大学からの手紙には、提出されていない課題のことを各々書かれ、それ等の全てを2月の某日(だったと思う)迄に提出しなければ、進級はさせませんと書かれていた。
過去に提出期限を向かえ、完成させられなかった課題を完成させる、というものばかりなら、状況はまだ少しマシまったのだろうが。
盗難によって、制作していた絵そのものまでもを紛失し、材料を買いに行くところから始めなければならないもの迄ある。
もう少し事情を言うと、S先生の指示・命令によって、僕は制作の方向転換ややり直しを何度も強要されていた。
課題の制作時間に関して言えば、どの生徒よりも多くの時間を費やし、自分のやりたいことをする時間まで犠牲にして、それでも間に合わなかった。
僕にしてみれば、S先生からはそうなる様に仕向けられたと考えている。
それから、年末にS先生との話し合いをしていたのに、未提出の課題の件は当人の僕には説明せず、実家の母にだけ連絡している。
この事でも母とは電話で喧嘩になるけれど、課題に対して、やれるだけのことはやらなければならない状況は変わらない。
課題の構成上、一点の課題に数ヶ月かけて制作するものが殆どであるのに対して。
母に手紙が届いてからは一ヶ月程の猶予期間しかなく、そこで5~6点の課題を仕上げなければならない。
しかも、その内の2点は一から始めなければならない(1月に制作を開始する課題もある為)。
その状況に腹を立てながらも、手を抜きながら必死に課題を終わらせようとするのだが、やはり数点の課題は終わらなかった。
ダメ元と思いながら、この理不尽な状況を大学事務へ報告し、3年生へ進級できなかった場合は、大学を相手に裁判を起す等と伝えていた。
今にして思えば、裁判を行う為の証拠などは何もないのだけど。
そうするという考え自体は、ハッタリではなかった。
裁判等と大学事務へ口にすることで、そうなった場合には、その様に実行しなければならい状況へと、自分を追い込もうとしていた。
僕はこの大学へ入学してきてから、絵に対して全力で取り組むつもりでいた。
絵を描く為に費やしている時間だけは、同級生や教員達を含めても、誰よりも長い時間を設けていた自負もある。
それなのに、いつまでも自分の為の絵を描かせては貰えず、年度末辺りにでは、提出期限へ間に合わせる為に、わざと手を抜いた作業をしながら、納得のいかないゴミの様な作品ばかり提出している状況が哀しく悔しかった。
そうしなければ、頻繁に夢で見ているように、母はいのちを断ってしまう可能性がある。
そういう状況に追い込んでしまう教員や同級生達に、いつも腹立たしい気持ちが沸いてきてしまう。
同級生達が雑談で何気なく笑っている、その笑顔でいられること自体が、妬ましく思えて仕方なかった。
いつも胃がキリキリと痛み、毎晩悪夢を見てしまう。
そういう自分が、何とも情けない存在に思え、嬉しいとか悲しいとか思う感情を棄てられないものかと考え、そうありたいと願ってもいた。
後になって思い返せば、既にこの頃からスランプの兆候は始まっていた。
まず、時間を忘れて絵に集中する場面など、この頃には無くなっていた。
僕はいつもイライラしていて、自分ではそのイライラを止められずにいた。
アルバイトや何気なくボーっとしている時もイライラしているのだが、絵を描いている時の方がイライラは高まっていく。
自分が計画していた様に絵の制作が進んでいても、I先生やS先生やA(女子)先生からの理解不能な指示や命令や暴言等の数々が、必ず頭のなかに響いてくる。
そうなることで、そのイライラはより高まり、自分では堪えきれない場面も出てくる。
それまで何十時間も制作に費やし、時には寝ないで描いてきた絵を叩き壊したこともあった。
そんな事をしても気が晴れる事はなく、逆にイライラの気持ちは昂った。
鉄やコンクリートの壁等に拳を打ち付けたり、足に鉛筆を突き刺したことも多々あった。
経験上、身体を痛みつけることで、堪えきれない程のイライラは微かに和らぐ。
そうしなければ、気持ちが収まらずに絵を進められなかった。
数えきれない程、怒り、叫び、拳や足などを傷付け血を滲ませながら、寝ずに課題を制作したりした。
身を削りながら絵を描く。
そういう言い回しをすれば、少しは格好よく思えるかもしれない。
しかし、出来上がってくる絵はゴミの様な、目も当てられないものばかりだった。
そんなゴミの様な絵を、自分の作品として提出しなければならない。
いつも、全てを投げ出して逃げ出したい気持ちに駆られていた。
でも、ここで逃げたら母は亡くなるかもしれない、という焦りの方がずっと強かった。
寝ないで絵を描いていると、途中で居眠りする時は何度もあった。
そういう時にも、母が実家でくびをくくって亡くなる夢を見て目を覚ます。
そんな学生生活だった。
イライラから感情が昂っていく感じは、自分で自分が恐いと思っていた。
人をあやめる人の気持ちというのは、こういうものなのだろうか。
いつか僕は理性を失って、大学の教員や同級生達のなかの誰かを、なぐりころしてしまうのかも知れない。
ここまで危険な精神状態と気持ちでいるのに、この大学を辞めたくても辞められずにいる。