絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

美大3年生の新学期1 No.76

進級問題

 二年生の年度末の話から。

 課題関係では、全部を提出できたわけではないが、やれるだけのことはやった。

 しかし、提出したものの半分くらいは、本来の段取りなどは無視して、下図相談や制作の許可等も貰わないまま制作してきた為、この課題が提出物として通ったのかどうかわからず、日にちだけ過ぎていく。

 I先生を交えた話し合いの日取りの件も、音沙汰はない、というよりも無視されているのだろう。

 

 進級問題の結論を述べると、進級は出来た。

 この件では母も愚痴っていたが。

 年度末の辺りで、大学から『このままでは進級をさせません』という内容の手紙を実家の母の処へ送りつけ、とても不安な思いをしていた。

 その後の進級判定に関しては、僕にも母にも伝えてくることはない。

 だから僕は、3年生になった前提で大学へ出席して、その行為を誰も止めないことから、3年生になれたと判断した。

 後で考えれば、そんなことも大学事務へ、直接質問したり文句をつける等をすれば良かったのだ。

 もっと言えば、大学や大学の教員も、自分の置かれている状況に危機を感じなければ、基本的には何もしないし、面倒なことは知らない振りで無視をしてしまう。

 随分と前から、僕には訴訟という発想を持っていたのだから、証拠を集めるとか、日本画の教員や同級生達の立場や面子等を気にかけず、大学事務に苦情を何度も言っていくべきだった。

 そういう判断をできないのが、お人好しとか世間知らずとか、考えが幼稚等と言わて来た要因そのものなのだ。

 それでも当時の僕は、そういう判断がいつまでもできないでいた。

 

I先生とS先生との話し合いの件

 新学期を迎えてすぐに、僕は大学の事務に対して怒っていた。

 I先生とS先生と僕とで行う筈だった話し合いがまだ始まらず、日程については、S先生と大学事務とで話をして決めることになっていたからだ。

 大学事務の人の説明によると、S先生側から『この問題は、本人(僕)と直接のやり取りで解決した』と説明を受けていたという。

 僕は『話が違う』と怒り、日本画の研究室に居る、S先生を呼びつけて話をする。

 S先生の言い分としては、年度末は忙しくて、話し合いの場を作ることは不可能だった。

 新年度の今では、I先生が既に退職していて、I先生を含めた話し合いはもうできないという。

 その上で、これからの授業のなかで、僕の納得のいくような授業内容や課題の説明を行っていくという。

 このS先生の話に対して、僕はずっと怒り反論するのだが、『必ず良い状況を作る』『今度こそ俺達(教員達)のことを信じてくれ』『授業や課題の内容等は、必ず高木が納得する段階までの説明をする』という理屈で押しきられる。

 僕自信も、S先生とは和解したり信じたい気持ちは持っていた。

 そういう話をいつまでも信じようとしてしまう僕が、結局はバカそのものなのだ。

 

K先生の復帰

 新学期が始まって、退職したK先生(女子)が職場復帰していた。

 この当時、K先生(女子)の退職や職場復帰の経緯について、僕は何も知らず、退職によってもう二度と見かけなくなるものと思っていた。

 

 K先生(女子)の大学内での立場は非常勤講師で、大学の経営上の問題による解雇だったそうだ。

 画家としての立場はそれなりの地位には有るのだけれど、生まれつき身体の弱い体質のため、正式な教員にはなれずに非常勤講師の立場でいるのだという。

 退職ではあるけれど、 一年で大学へ復帰する状況等、もしかすると殆どの生徒が知っていたのかもしれない。

 しかし、僕はその辺りの話は何も知らず、職場復帰したK先生(女子)を見て気落ちしていた。

 次々と面倒臭いことが続いている上に、これからはまたK先生(女子)が加わって、もっと面倒臭い状況を作られていくのだろう…当時の僕は、そう考えていた。