絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

美大3年生の新学期2 No.77

再受験への意思

 入学して数ヶ月経過した辺りから、ずっと思っていたこと。

 僕がこの美術大学へ入学するまでに身に付けた絵を描くための技術は、そんなにも程度の低いものだろうか?

 僕は、この美術大学で例を見ない程に基礎力がなくて、3年生になろうとしていても、普通の生徒と同様には扱われず、課題の内容について教員達へ質問を持ちかけても、結局は「お前には、どうせ説明しても(力がないから)理解できない」「同級生達の絵を見習って、同じ絵を描きなさい」としか言って貰えない。

 それでいて、同級生達は見習わなければならなほど腕や力があるとは思えないでいる。

 僕としては、これは教員達自身の力不足や偏見によって、生徒の腕を見抜けないでいることや、過去の判断の間違いを受け入れられない為、このような結果を作っているのだと思っている。

  そう思い・考えながらも、美術大学の教授・助教授という立場にある人達が、そんな愚かな存在である筈はない、等と何度も考え直そうとしてしまう。

 このことを何度考え直しても、頭では、この美術大学の教員達や同級生達の語る話や判断が間違っている様にしか思えない。

 しかし、まわりの状況からは、僕の語る話は全て間違っているとあしらわれ、会話がいつも噛み合わない。

 多くの者が自分の都合のいい様に事実を歪めて考え、皆でまわりの空気ばかりを読み、皆で間違った方向に向かっている様に見える。

 しかし、何十人もの人達が揃って間違い、僕一人だけが真実を見ているなんてことが、起こるものだろうか。

 僕の視点からは、同級生達は中高生の気合いの入っていない美術部レベルの絵しか描けていないのに、自分等は高木よりも遥かに上のレベルにいると感じ、優越感を持って僕をバカにしてしまう。

 絵を描いていると、自分の絵を客観的に見れず、実際に上手く描けていなくても『それなりに描けているのではないか』と思おうとしてしまう~そんな心理が働くことがある。

 そういう心理が、今の僕にも働いているのではないかと、何度も自分を疑ってきたが、いつもそうではない様に思える。

 自分が未熟であるのは認めているけれど、この大学の教員や同級生達が豪語しているような段階に、僕が居るとは考えられないでいる。

 それを確かめる意味合いからも、この大学よりも上位の大学の入試の現場を見て、自分との違いを確認してみたい気持ちがあった。

 こういった考えから、僕は他の美大・芸大の再受験を考える。 

 僕はこのままこの大学にいても、普通の生徒として扱われず、これからもずっとバカにされるばかりで、何かを学ぶという環境は与えられずに終わるだろう。

 それならば、もうこの大学の課題は適当にしながら他校の受験をやって、自分の立ち位置や視野を再確認することの方が収穫は大きい。

 受験する大学は、有名な処ばかりにする。

 只でさえ受験から離れ、大学でもまともに絵を描かせて貰えずに腕を鈍らせてきた僕は、全部が不合格で終わるだろう。

 不合格で終わっても、有名な美大・芸大を受験する人達の絵がどんなものか、受験会場で見ることで、僕の考えの視野は広がるだろう。

 薄々と、僕の考えるものは正しいと気付いてはいたけれど、それを具体的に見て、自分のなかではっきりと確認したかった。

 どうせ全部は不合格だろうと考えることで、後々にガッカリする気持ちを抑えようとはしていたけれど、『意外とやれるんじゃないか?』という気持ちも僅かにはあった。

 それは過信や自惚れといった恥ずかしいもので、同級生達の持つ考えと同質のものかもしれない、というの迷いの様な考えも、頭のなかにはあった。

 

仔猫

 僕の住まいの近所には、ペットを飼えるマンションがあるせいか、時折野良猫を見かける。

 僕は幼い頃から猫が好きで、野良猫と遊んだ記憶も沢山ある。

 でも、この美術大学へ入学してからは、野良猫に話しかけて仲良くするような、気持ちや考えの余裕はなかった…筈なのだけど。

 

 ある日の朝、住まいの近くで仔猫が一匹で鳴いるのを見かける。

 親離れするにはまだ幼く、きっと親猫とはぐれたのだろうと想像できる。

 この仔猫は、自分でご飯を調達できないのではないか…

 猫好きな僕は、その仔猫に「おいで」と話しかけて食べ物をあげた。

 それから、母猫と再会できるとを願っていたけれど、この仔猫は母猫に再会できなかったようだ。

 その為に、この仔猫は僕の住まい付近へ、毎日やってくることになる。