絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

3年次の新入生歓迎会 No.82

 裸婦のデッサンと着色写生の時の話は、今回まで続く。

 

 放課後に行ったK先生(女子)とS先生と、他の生徒たちとの話し合いのことについて、多少の葛藤もあった。

 あの話し合いの場で、僕がこの美術大学で受けている仕打ちを話していくすべきだっただろうか。
 もっと、具体的にS先生や他の教員たちの悪いところを挙げていき、あの場にいるS先生を追い込むところまでやるべきだったのではないだろうか。
 そういう後悔や迷いの様な考えが、何度も頭を過る。

 …いや、あれで良かったのだ…という考えもあり、過ぎてからも、あの時はどうするべきだったかで悩んでいた。

 

 新入生歓迎会

 後になって考えてみれば、この頃に新入生歓迎会が行われていた。

 一年前に行われた2年次の新入生歓迎会でも、僕が出席していないのを良いことに、僕の悪口で盛り上がっていたという。

 だからこの年も、そういうことは同じく行われていたのだろう。

 おそらく、その新入生歓迎会の翌日以降、また妙なことになる。

 

 K先生(女子)とS先生の言動から、教員間で、生徒の人間関係についての会話をしていたらしいことがわかる。

 そうして、生徒の制作状況を見に来た時や作品の返却時等の合間でのこんな発言を始める。
 K先生(女子)
「皆さんは、生徒間で何か陰湿なことをしているそうですね」
 S先生
「生徒同士、仲良くした方がいいよ」

 彼等からこういう言葉を聞くと、直感的に、これは僕の絡んだ問題についてだろうか?と感じてしまう。
 でも僕は、理屈的にそうではないと考え直す。

 この教室のなかには、僕以外にも人間関係の上手くいっていない人物がいる。
 例えば色弱と難聴を抱えている人物で、僕と同様に「あんなんで何で試験(受験)を通れたんだろう?」と噂される人物がいる。

 僕が、違和感や嫌悪感を感じながらでも、まだ何人かの同級生達とも会話をしていた頃(入学して数ヵ月位の時期)、僕は彼とも雑談としての会話はしていた。

 それから、教員達とのやり取りがメチャクチャになり、生徒間(主に男子生徒)でも僕を遠ざける流れが出来てからは、彼もまわりと一緒になって僕を避けるようになった。

 そうなってから暫くすると、彼は同級生達との関係が上手くいかなくなり、一年生の頃の僕のように、まわりから批判されながら遠ざけられ、彼自身もまわりから遠ざかっていく。

 それでも、僕みたいな酷い状況とまでは見えなかったが、誰かと雑談していたり、同級生達と笑いながら会話している場面も、それ以降は見かけたことはなかった。

 そう語る僕は、限られた場面でしか日本画の校舎時に顔を出さないので、たまたまそれらしい場面を何度か見かけただけで、実際にはそうではないのかもしれないが…
 きっと、K先生(女子)やS先生の言葉は、その彼とか、僕の認識していない誰かのことだろう。

 もし、その言葉の対象が僕であったならば、『こういう状況を教員達は意図して作っておきながら、今更どの口がそんなことを言っているんだ』と批判される様なことである。

 だから、僅かに『これは僕のことを言っているのだろうか』と考えてしまったことに、自意識過剰だったと恥ずかしく思う。

 僕はただ絵に集中したいだけであるから、僕を除いた生徒間のことは、彼等で勝手に上手くやれば良い。

 妬ましい気持ちはあるけれど、彼等は彼等で良い関係作りを築いていくことを願っていた。

 僕個人はそう考え直していたけれど、実際にはそうではなく、僕を対象とした話だった様だ。

 S先生の発言は、生徒の為とか状況をよくしようとか助言とか、そういう性質のものではなく、過去に自身がしてきたことを誤魔化し、自分はこの件とは関係なく悪くない、生徒達が勝手にはじめた陰湿なことであると、まわりや生徒達に語って見せて、そう認識させる為の行為だった。

 元々は、教員達の動向を見ながら、同級生達は僕を馬鹿にし続けてきたのだが、同級生達も何やら様子がおかしいと察し、生徒間でも色んな勘繰りが始まる。

 

 このことを契機に動きだしたのは、悪意を持った生徒ばかりではなかった。

 入学した当初に、少し会話をして友人になりかけた生徒や、それ迄に一度も会話したことのなかった生徒の数人かから、翌日に「おはよう」などと声をかけられてくる。

 それが僕に向けられていたものの筈がないいう思い込みから、最初は無視してしまう結果となった。

 それでも不安がって、弱々しく話しかけて来られたことで、僕に話しかけていることは理解した。

 そうであっても、僕は「僕に関わると面倒ごとに捲き込まれるよ」と返して、友人や同級生としてのやり取りをしようとはしなかった。

 それでも何人かの生徒は、迷いながらも僕に話しかけようと、機会を伺っている。

 この状況に危機感を感じたS(男子生徒)は、僕に話しかけようとする同級生達に「高木には話しかけない方がいい」と呼び止めて、S(男子生徒)自身が変わりに僕へ話しかけてくる。

 S(男子生徒)は親し気に「おはよう、元気にしてる?」と話しかけてくる。

 こういう流れになる直前まで、Sは一部の生徒と一緒になって、延々と僕の悪口や嫌がらせをしては面白がってきた。

 僕は、そんなSとは関わりを持ちたくなく「お前なんかと仲良くする気はないから、話しかけてこないでくれ」と返す。

 そんな僕の言葉にS(男子生徒)は苛立ちながら、こんなことを言ってくる。

「先生達が俺(S)に対して、高木と仲良くしてやって、絵の描き方とかも教えてやれと頼んできているんだ。

だから、俺(S)だって嫌々高木に話しかけてやっているんだ。

そういうことだから、俺や高木がどう思うとか関係なく、仲良くしないといけないんだ。」

 僕はS(男子生徒)に対して、こう語る。

「俺はお前から何かを教わる気なんかないし、先生達がお前に何を頼んだかも、俺には関係ないから。だからもう話しかけてくるな。」

 それに対するS(男子生徒)も、こう返してくる。

「もうお前のことなんか知らん。

これからは、高木の為には何もしてやらないし、それで困ったって俺の知ったことじゃない。」

 その後、S(男子生徒)やTaやToは、教員や同級生等に対して、自分等の都合に合わせた話をしてまわる。

『高木には、生徒みんなで仲良くしようと話しかけてきた。

 それでも、高木はいつも勘違いして、暴言ばかり返してくる。

 だからみんな、高木とは仲良くしようと努力してきたのに、それが出来ない。

 高木のことを悪く言っている人なんか一人も居なくて、全ては高木一人の勘違いなんだ。

 高木が孤立しているのは、高木が勝手にみんなから離れていっているだけで、誰のせいでもない。

 だから、悪いのは全て高木であり、悪い人物は一人も居ない。

 高木は暴力的な性格で、殆どの生徒は高木の暴力に怯えている。

 その暴力に最初に立ち向かったのがToであり、そのToや生徒全員を、今はS(男子生徒)やTaとで守っている。』

 S(男子生徒)とTaとToとで語るこの話は、この学年の生徒全員の意思として、教員達は認識する。

 S先生やA先生(女子)も、自分は悪くない前提でこの問題をまとめたい為、SやTaやToの話に合わせる。

『高木の暴力的な性格には、入学してきた頃ずっと困っていて、いつも身勝手で、教員達の話には一切耳を傾けない。

 課題についても、いつも力がないのを隠そうと抽象画ばかりやっていて、まわりの生徒に悪影響しか与えない。』

 こういう内容で、日本画の教員達は全員で『高木は悪い奴だ』という認識をする。

 これからは、高木の相手は一切せず、何も教えず授業も受けさせず、困らせて大学を辞めさせる、という意思を一致させていた。

 

 K先生(女子)が設けた生徒との話し合いの場で、S先生は自身の間違いに気付いてはいた。

 気付いてはいても、自身の間違いを認める訳にはいかず、悪意が拡大するこの流れに、話を合わせることしか出来なかった。

 公に間違いを認めるということは、これ迄に行ってきた指導の嘘や間違いに、他の先生や生徒達は気付くであろう可能性は高く、自身の首も絞まる。

 課題のなかで、やってもいいことをダメだと語り、課題のなかで自由を語りながらも教員達の目の色を伺うのを求め、そのことに僕以外の生徒達は疑いもせずに従ってきた。

 それ等のことも『全て高木が悪い』と押しきれば、自分の間違いを公に受け入れる必要はなくなる。

 逆に、間違いを認めたり、高木の立場や主張を受け入れるというのは、自分がどんな状況に陥るかもわからない恐いことだった。

 悪意を持って高木の悪口を語ってきた対象は、同じ大学の日本画の教員達や一部の生徒だけではない。

 他の科の先生や、自分が所属している美術団体の知人にも語りまわっている。

 そういった人達に語ってきたことや、大学で生徒達に嘘や間違いを教え、自身の我儘を生徒に押し付け、強要してきたことを考えると、認めるよりも誤魔化すことしかできなかったのだろう。

 当然、誤魔化して押しきれば風化して終わる訳でもなく、問題は深刻化したり、新しい問題が始まったりもする。

 だから、この悪意の隠った話を信じた他の教員達も『高木はこの退学から追い出す』という意思を持って、悪意を持った対応をしてくる。

 そうして、時間の経過や様々な事柄から『自分達が間違っていたのではないか』という疑問が湧く場面があっても、それ迄に自分がしてきたことを考えると、その間違いを受け入れられず、やはり誤魔化して押し切る方向に向かってしまう。

 

 こういう状況になっていることを、この頃の僕は、まだ殆どを知らない。

 この頃の僕は3年生になったことで、S先生やA先生(女子)から離れ、3年生の担当教員であるA先生(男子)から指導を受けようと、何度も課題についての話を持ちかける。

 でもA先生(男子)は僕を拒み、僕が課題の出題内容についての質問や下図相談を持ちかけても、居留守を使ったり忙しくて対応できないと断る。

 その変わりにS先生が僕の対応をしようとするが、それはA先生(男子)の変わりに教えようとするものとは違う。

 S先生の都合や誤魔化しの兼ね合いがあって、いつもA先生(女子)と一緒になって、こんな話をしてくる様になる。

『高木は1年生の最初の頃からずっと、俺達(教員達)の話なんか一切聞かずに身勝手な絵ばかり描いてきた。

 他の生徒達とも誰とも会話をせず、話しかけても暴言しか返してこなかった。

 そんなことばかりしてきたのだから、これからは俺達(教員達)も高木の相手はしないから、高木も俺達(教員達)の話なんか聞かなくていい。

 他の生徒とも、もう会話したり関わったりしなくていいし、授業にも出席しなくていい。

 課題内容なんかも無視して、これまで通りに好き勝手な絵を描いて、黙って提出すればいい。』

 S先生と課題の話をしようとしても、そういう話ばかりをかけられるので、僕はS先生の対応を断り、時間を置いて再びA先生(男子)とのやり取りを求める。

 そんなことを繰返す過程で、A先生(女子)は、A先生(男子)やS先生の立場を守ろうと、S先生から聞いた嘘の内容を僕にぶつけて説教をしてくる。

 『高木君の言うことは、何もかも全て間違っている』

 こういう言葉がA先生(女子)の口癖になっていて、僕の話を全て否定するA先生(女子)に対して、僕は最終的に『うるせえ糞ババア』と怒鳴り返し、以後はA先生(女子)からの話しかけを全て無視することになる。

 A先生(女子)や他の教員達の手前では、S先生は必ず僕を悪く言う。

 しかし、S先生と僕しか居ない場面となれば、S先生は言うことを変える。

 『どうせ高木は、俺(S先生)のことを絶対に許さないとか思っているんだろ。』

『芸術の世界は騙し合いそのものなんだ』

 こういった言葉をかけられた度、僕はS先生にこう返してきた。

『今からでも、きちんとしたことを教えてくれたなら、これ迄のことは水に流します。

 だから課題について、嘘ではなくちゃんとしたことを教えてください。』

 僕にこんな言葉をかけられる度、S先生はその都度『これからはちゃんとしたことを教える』と返し、その場をやり過ごす。

 そうは言っていても、S先生は嘘をつき続け、同じことを繰り返す。

 S先生と僕との関係は同じことの繰返しだが、他の教員と僕とは、顔を合わせ会話する度に険悪さを増していく。

 

脱線した話

 大学から離れて何年も経ち、ビジネス書の類いで読んだ話。

 僕の抱えていた問題とは、少し違った問題に感じ取られるかもしれないが。

 学校等のいじめ問題で、学校の先生達は、そのいじめ行為に気付かなかったと語る場面は多い。

 その報道を第三者がテレビ等で見て、「それだけのことがあって、教員達が気付かない訳がないのではないか?」と疑問に思われる場面も多々ある。

 そのことについての、教員達側の言い分の話。

 いじめが行われている教室の生徒達というのは、先生の側から見ると、とても統率がとれていて、皆が良い生徒に見えるのだという。

 そして、いじめ被害を受けているその生徒こそ、その教室や生徒達の統率を壊す問題児・悪い生徒という様にも映ってしまうという。

 細かな話をいえば。

 僕のこの話は美術大学での話ではあるし、一番に危害を加えてくるのは、生徒ではなく教員達だったりする。

 それでも、根本的な問題として考えると、共通した問題として考えられるのではないだろうか。