日本画制作の為の裸婦デッサン9 No.65
辻褄合わせの行動
裸婦の写生の為に教室に行き、自分の制作場所に座る。
教室内では、昨日に起こった問題を同級生達はヒソヒソと噂している。
これくらいの声なら聞こえないだろう、という意識もあるのだろうが。
僕はこれまでずっと、何を言われても知らない振りをして、自分のことだけに集中しようと心がけてきた。
だから、僕には聞こえていないだろうと思って話していても、結構聞こえている上で、相手にしてこなかったのである。
いつもなら、まわりの噂話などどうでも良かったのだが、この時のこの会話だけ、僕はどうしても耳を傾けてしまう。
それはYが、それまであまり会話をしていなかった女子生徒達に対して、自分はこの件に関係ないというアピールをしているもの。
「あの時に俺はToのすぐ隣にいて、メチャクチャびっくりした」等と語り、何人もの生徒達に話回っている。
このYも僕が注意する少し前には、友人であるS(男子生徒)に対して「ここからは、あの女(モデルさん)の性器が見えるんだ」等と語り、大笑いしていた。
その後、僕がYとToに注意をする瞬間まで、YはToと一緒になって「高木は頭はおかしい」「高木は屑だ」等と語り合っていた。
それから僕が注意を始めると、Toは知らない振りをして怒鳴り始め、Yは逃げて小さくなって黙っていた。
あれから一晩経つと、Yだけではなく殆どの同級生達(名前は殆ど忘れた)は、自分達のやってきたことを隠し、全てが僕とToだけの問題だと語り、自分等は関係ないし何も悪くないとまわりへ語る。
そんな流れのなかで、Taは教室内で腕立て伏せ等を始め「Toくんのことは、俺が守る」等とまわりの生徒に語り聞かせ、友情や正義のようなものをアピールしている。
それから、裸婦のモデルさんの休憩時間中、Toは僕を挑発する意味合いで、僕の近くをわざとウロウロしてくる。
そこでTaはToに対して、離れた距離からわざとらしい小声の様な、それでいて普通の声量で話しかける。
Taは「Toくん、30秒以内にそこから離れないと、また暴れだすから危険だよ」と話す。
Toは「30秒なら余裕だ」と返事をして、時計を見ながら30秒を計り、その時間一杯まで僕の近くをウロウロして「ほら間に合った」等と語り合っている。
その会話も、僕には全部聞こえていたし、近くにいた同級生達も、新しい揉め事が始まる予感を持って、その迄の雑談がピタリと止まり様子を見ている。
勿論、僕はそんな彼等の相手などしない。
このわざとらしいToやTaの言動を見ている同級生のなかには、彼等と会話をするのを避け、僕に話しかけようと動き出す生徒もいた。
でも、そういう生徒をS(生徒・男子)は呼び止め、先生達からの指示で、高木には誰も近付いてはいけないことになっている、高木に近付くとぶん殴られるよ、等と説得する。
それから、S(生徒・男子)とTaとで「To君はいい奴だから、To君と仲良くした方がいいよ」と言って、高木よりもToと仲良くするべきだと促す。
そういう促しや意図とは逆に、S(生徒・男子)やTaやToに対する不信感を持たれる結果となっていた。
そういう状況を見ながらも、僕は誰とも関わらないことを決め込んでいく。
同級生達と友人となったり、絵を一緒に学んで競ったり、そういうものを入学当初は夢見ていたけれど。
教員達から誤解を受け、その誤解に同級生達が感化され、危害を加えてくる学生生活はずっと続いてきた。
同級生達との関係以前に、教員達からの誤解を溶こうと、一年生の頃は質問や話し合い等を求めて頑張ってきたけれど、教員達とは会話をする程に誤解や悪意は深まっていった。
だから、一年生の後半に、教員達との会話や質問等を諦めると同時に、教員達の誤解を溶くことや同級生達との人間関係等も、全て諦めたのだ。
こういう状況を見て、何かと迷ったり考えたりはしたけれど、僕は考えを改めなかった。
生徒間の疑惑は、時間の経過で直ぐに薄れていく。
嘘臭くとも、継続してS(生徒・男子)とTaとToとで、自分等の正義や思いやりや友情を語り続け、そこに教員達も応援する。
特に、教員達からの伝達や面倒事を引き受けるS(生徒・男子)や、絵の描きかたを教員達に代わって細かく教えるTaの存在は、同級生達のなかでは重要なものだった。
そういう利害関係や便利さというものから、S(生徒・男子)やTaやToのことを、疑い続けることは出来ず、自分等の把握していない何かがあって、きっと高木が悪いのだと思い直していく。
その場に居なかった者達の解釈
後々の話しとして、僕はこのことを教員達に何度も話した。
それは後々の話で、その時期の話の時に書いていけば良いのだが。
その時期の話では、書ききれない程の色々なことが起こっていて、僕の文章能力では書き切れないでいる。
だから、話を分散させる意味合いで、ここで書いておく。
この裸婦のモデルさんの件は、大学の2年生の頃の話である。
この時の事柄(生徒達から聞いた内容)は、教員達の記憶のなかでずっと残り、新しい揉め事となる。
僕は教員達に、課題のことで話しかけているだけでも、それを拒否される。
教員達が拒否する理屈は、
『高木は話の通じない悪い奴だ』
『みんなが真面目に一生懸命になって絵を描いているときに、突然叫んだり暴れたりする奴だ。』
『そんな奴に何かを教える気はない』
といったものだ。
その為、僕は3~4年生の頃になって、このことについての説明を何度も行うのだが、僕の話をまともに聞き入れて貰えたことなど、卒業まで1度もなかった。
この件で、K先生(男子)やS先生やA先生(女子)から、毎回言われていた指摘がある。
『もし高木が言っている様に、高木が悪くないのだとしたら、生徒のなかで高木だけが孤立するのはおかしい。』
『あんなに生徒が沢山居るなかで、悪いことをしている者が居たなら、必ず何人かはその悪いことに対しての指摘を必ずする筈だ。』
『高木以外は、悪い生徒なんか一人もいなくて、みんな信頼できるいい生徒ばかりだ。』
こういった理屈で『高木だけが悪いとしか考えられない』と語り、話を押しきろうとする。
人間関係で苦労したことのある人なら、こういう感じでの指摘やら意見やらで、実際に起こっていたことを否定される経験は有るのではないだろうか。
そういうのは在り来たりな、事実を否定する論理だと思う。
多くの人というのは、そこまで良心的に動くものではないし、利害関係や職業上の責任や義務とかでもなければ、誰かの悪ふざけを見ても、その悪ふざけに意見したり抑止的に動いたりは出来ず、大きな流れに流されて終わる。
実際に、僕が欠席した新入生歓迎会では、僕の悪口で盛り上がり、たまたま顔見知りだった先輩のDも、その悪口を見て黙っている教員達の様子から、教員達はこの悪口や悪口を語っている生徒達の味方なのだと判断した。
その上で、Dも僕に対して敵対心を持ったことを認めている。
教員達がしてこなかったこと・出来ていないことを『自分の可愛い教え子達はいい子たちばかりだから必ず行う』と語り、そういう理屈をゴリ押しする滅茶苦茶な人達なのだ。
ナチスのヒトラーも 『嘘もつき続ければ、それは真実になる』と語っていて、人の集団的な動向というのは、基本的にはこういうものだと僕は思っている。