絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

日本画制作の為の裸婦デッサン5 No.61

生徒の絵の傾向

 美術大学の同級生のなかには、S(男子)の様に、多浪して入学してきた者も何人かはいた。

 一般の大学であれば、学力に浪人したかどうかは関係なく考えるかもしれない。

 しかし、美大や芸大関係となると、力のある人のなかで、浪人経験をした人の割合はとても高い。

 たぶん現役高校生等では、絵の勉強は学校を終えた放課後に数時間行う位になり、浪人生の様なまとまった長い時間で絵を描く環境を作れないからだろう。

 でも、多浪しているから力があるかというと、そうでもなくて。

 特に2~3浪もしていると、本当に力があると見てとれる人と、1浪以降からは惰性で絵を描き、力のついていかない人とに別れている気がする。

 僕も一年の浪人してきた訳で、自分のことを棚にあげている部分はあるかもしれない。

 自分で考える自分の絵というのは、実際より幾つか上の段階に考えてしまう傾向にあり、僕自身も端から見れば、ここで偉そうに語っている程の腕ではないのかもしれない。

 だからこそ、僕の描いた絵を貼付したりもして、どの程度の腕かは見せたいのだが、当時の作品関係は、破棄したり実家にあったりで、殆ど公開できずにいる。

 そんなこともあるので、僕の語っていること等は、話半分に思ってくれたら良いのだと思う。

 

 多浪すると腕は上がらなくても、絵を描く上での流れや勝手は、よくわかっていく。

 わかっていながら、多浪してある程度の有名大学の受験を通過できないというのは、それ相応の何かはあるのだ。

 逆に、難易度が一番高いと言われている東京芸大では、競争倍率も70~80倍位になる時もあったそうで、8浪や10浪もしてようやく受験を通過できたという人の話も聞く。

 

 僕の入学した美大は、難易度の低い美術大学である。

 入学してからというか、入試の辺りから驚いたが、生徒は全体的に、デッサンも着彩(着色写生)もあまり描けていない。

 そのなかで、力はなくても多浪した人物の絵というのは、比較すると上手に見えるのかも知れないが…僕の同級生で、多浪したからといって、力があると感じる生徒はいなかった。

 そこには、僕の偏見も少しはあったかもしれないが。

 同級生のなかでは、浪人しないで入学してきた何人かの生徒の方が、絵を描き馴れている感じもあった。

 教員達の信頼を得て、まわりの同級生達に絵を教えているのは、4浪したというS(男子)と、浪人していないTaである。

 S(男子)は、デッサンや着彩等のながれや勝手はわかっているが、浪人をした経験を感じる程の力は感じ取れない。

 それでも、世話好きという性格から、いつも教員達にとって便利に動き、そういう部分から信頼を受けている。

 Taは絵(日本画)を描き馴れていて、皆が、同級生内では一番力があると認めている存在なのだが、デッサンやデッサン的な見方や着彩といった、受験等で基礎と扱われている様な部分は少し弱い。

 こういう僕なりの見え方に反し、教員達はこの2人の腕を無条件に信頼していて、同級生達は教員よりもこの2人の生徒から絵の描き方を学ばせる流れをつくっていた。

 そういう流れをつくる意味合いもあって、この2人の生徒の課題は、S先生とI先生からよく褒められていた。

  そのことで同級生達も、この2人の動向や描いた絵などに強く影響されていて、それを教員達は良しと見ていた。

 この学年や2人の生徒が…という訳ではないのだろうが。

 こういう生徒どうしで教え合う状況は、教員達にとっても便利であり、その流れをつくって便利に利用することで、教員達は、教員として負うべき責任というものを見失っていた。

 生徒の側としても、自分で考えたり判断するという場面を失っていて、絵の良し悪し基準が、教員達の描かせたい絵の傾向であったり、同級生のS(男子)とTaの描く絵となっている。

 疑問や質問事が出来ても、教員ではなくS(男子)やTaに聞くのが当たり前となっている。

 今の美大や芸大で絵を描き学ぶというのは、自分なりの絵を考えて追求するかたちをとっている。

 だから、教員や同級生であっても、誰かの描き方や考え方が、自分の描き方や考え方と同じものになる訳ではない。

 絵について誰かと何かが違っていても、自分にとっては、それが正解にもなる。

 そういうものを、美術大学の教員達が見失い、便利さを優先し、手抜きの指導に陥っているだけなのだ。

 この指導の在り方に、僕は1年次からずっと疑問に思っていて、同時に、K先生(女子)が生徒達に語っていたことをよく思い出す。

「生徒どうしで教え合わないでください」

「この大学には、考え方の違う先生が何人も居ますので、直接先生達の所に行って、色んな先生の話を聞いてください」

 疑問のなかで、こういうK先生(女子)の言葉も頭を過るのだが…この大学の指導では、二枚舌の様な要素が非常に多い。

 例えば、この大学の日本画教員達も、表向きには『自由に絵を描きなさい』と語るのだが、実際に絵を描き始めると、教員達による様々な指示や強要が始まり、自由というものはなかったりする。

 そうして指示の上で生徒が描いたものを、自由の元で生徒が自分の意思で描いたものとして扱われる。

 そういう背景があるので、矛盾のなかでK先生(女子)の言葉を思い出しては、K先生(女子)の存在も併せて腹立たしく思ってしまう。

 こういうことを考えてしまう僕だから、なにかと教えたがるS(男子)とTaのお節介を、僕は1年生の早い時期から拒み、自分で色々と考えて判断しようとしていた。

 そのことからも僕は、S(男子)やTaから『調和を乱す奴』とか『あいつは独りが好きなんだ』という批判を受けて疎まれていた。

 こういうこともあったりで、生徒間の僕の孤立には、色んな要素や積み重ねもあったのだ。

 その結果としての孤立を端から見ている者達は、細かな事柄を一緒に積み重ねてにたにもかかわらず『高木は頭がおかしい』という言葉で締め括り、その因果に自分等は何の関係もないとも語る。

 

ある日の出来事。

 前回の話とも話している事で、着色写生の制作が進んでくると、一番違和感のある僕の絵を、好きだと語る生徒が何人か出くる。

 この時の裸婦のモデルさんは、最初は僕の批判話を聞いていることで、僕には近付かないように心掛けていた。

 それから、僕の着色写生も進んでくると、「私は、この人(僕)の絵が好きです」という発言を始める。

 僕と教員達とのやり取りと、そのことについて批判して笑っている同級生達のことも、少なからず絡んだ発言をする。

「私は日本画の事はわからないから、何であの人がいつも先生達に怒られているのか、あの人の絵を見てもわかりません。
でも、この教室のなかでは、あの人の描く絵が、私は一番好きです。」

 この時のモデルさんの話を、僕は聞こえていない振りをしていた。

 僕の絵が好きだと言って貰えた事は嬉しい。
 でも、これ迄の学生生活からの習慣なのか、こうやって褒められると、何やら怒りそうな、嫌な予感ばかりする。

 そのモデルさんがお手洗いに行くと、モデルさんと会話をしていた同級生達は、モデルさんの悪口を言い始める。

ひとりは粗っぽい口調で、こう叫ぶ。
「あの女はああいう絵が好きなんだってよ。バカなんじゃねえのか。」

他の生徒の何人かも、モデルさんの言葉を否定する。
「あの女は、絵の事を何も知らないんだ」
「あの馬鹿女…」

 この場面までは、僕も黙って様子を見ていた。

 他の同級生達も、モデルさんの悪口を聞きながら、ずっと黙っている。


 ポーズ休憩も終わり、またモデルさんのポーズの時間は始まる。

 そこでも同級生達は、モデルさんへの悪口は止まらない。

「絵のこともわかっていないのに、高木の絵なんか好きだとか言い出して、バカ女だよな」

「ここから描いていると、あの女のアソコ(女性器)がみえるんだよ」
 等と言って、下品な笑いをしている。

 その場面を見て、僕はその同級生達へ注意することにした。

 タイミングとしては、モデルさんのポーズの時間が終わり、休憩時間に入った頃合いまで待った。

 休憩時感になり、話題はモデルさんの悪口から僕の惨めな存在批判に移っていた。

 僕が彼等に近付いていくことで、彼等の殆どは僕に気き、会話を止めるのだが。

 Toだけは僕の存在に気付かず、僕の名前を挙げながらYに対して「高木は屑だ」と語っている場面だった。

 そこへ僕は注意する。

「お前等、いい加減にしたらどうなんだ。
午前中の授業といい、今といい、自分のやってることを恥ずかしいと思わないのか?
周りの人間も何なんだよ。
同級生で、仲良く楽しくやってる友人が、こんな風にモデルの悪口を言っていて、誰ひとり何の注意もできないのか?
俺の事を頭がおかしいと話すのはいいけど、俺からしてみたらお前等の方がずっと頭はイカれてるよ。」

 そう言って、僕は自分の絵を制作していた場所に戻る。

 Toは延々と怒鳴り、Yはその場から逃げている。
「俺が何をしたって言うんだよ。何にもしてねぇよ!」

「俺やモデルさんの悪口を言ってただろ?いい加減にしろ」
To
「俺がひとりでお前の悪口なんか言ってたのか?
そんなことやってねぇよ!」

「俺から注意された瞬間でも、俺の名前を挙げていたし、ずっと何人かで集まって俺の悪口言ってだろ」
To
「訳わからん、俺は何もしてねぇよ!」

「お前は何でこんなことを言われたのか絶対にわかっている。
いつまでもわからない振りばかりするな」

 そう言って、僕はToとのやり取りを終えようとする。

 Toとの会話に区切りをつけて、モデルさんに謝りたい、という考えだった。

 しかし、Toはいつまで経っても「訳わからん」「俺は何もしてねぇ」「誰も高木の悪口なんか、しゃべってねぇよ」等と大きな声で叫び続ける。

 Toは同級生達へ「自分は何も悪くないよな?」という同意を求める。

 そのことに、それまで会話していた者も含めて、皆が黙っている。