日本画制作の為の裸婦デッサン2 No.58
これまでと同じ流れ
動物画の後、改めて始まった裸婦のデッサン。
この時のデッサン(デッサンの後には着色写生も行う)は、後の日本画制作用の写生・スケッチという意味合いがあり、この時に描いたものを見ながら日本画制作をする。
そういうことを前提にして、各自で考えてデッサンを行いなさい、という説明を受けて始まった課題だった。
この時に来たモデルさんは、前回のデッサンの時とはまた別のモデルさんだった。
時間が経過し、教室内で各自のデッサンの制作がある多少進んでくると、前回の裸婦デッサンと同じ様な流れになっていく。
何人かの男子生徒達は、裸婦のモデルさんに話しかけて雑談を始めていく。
このモデルさんとその男子生達とで、親し気な口調での会話になってくると、話題は僕の悪口へと移行していく。
それからまた、ある程度の作業が進んでくると、このモデルさんは僕のデッサンを指して「みんなは悪く言っているけど、私はこの人のデッサンが好きです」等と言い始める。
この時のモデルさんの発言を契機に、急に教室内の空気は変わる。
こういう内容に進んでいく話である。
黒いデッサン
前回のデッサンの制作の過程で、S先生とI先生はひたすら、僕のデッサンを悪い見本として扱ってきた。
同時に、僕のデッサンの感じとは真逆の様な考えで制作している生徒のデッサンばかりを褒めていく。
この流れも、前回の裸婦デッサンの場面と同じだった。
僕は濃い鉛筆を使い、モチーフとしてのモデルさんの情報を、少しでも拾いを描こうとしていて、それを『黒いデッサン』と言って批判されている。
逆に生徒全体は、教員達の褒め称えもあって、モデルさんの輪郭線ばかりを追い、線の内側(身体部分)は鉛筆を寝かせて塗り込むように描き、繊細な色の変化・『白いデッサン』というものを意識する。
3~4年の浪人生活を経験した~多少のデッサンの描き方を知る生徒が、そんな描き方をしていて、そんな描き方をI先生とSとで褒めちぎっている。
だから、生徒全体はそういう流れに向かってしまう。
こんな状況を見れば見る程、I先生とS先生、それから同級生達も、デッサンのことをよくわかっていない人達なのだと感じていた。
デッサンをわかっていない者・教える力のない者が教員となって、生徒にデッサンを教えている為に、生徒全体がおかしな方向に向かっている。
それを自覚している僕も、大学ではもっと腕をのばそうと努力をしているのだが、その妨害を教員達がしてしまっている。
S先生が、課題の最初に『各自で考えて…』と説明で語っていたのだから、僕は僕なりの考えて描いて良いと考えていたし、それを同級生や教員達へ語ろうともしていなかった。
でも、教員達の考えはそうではなかった。
デッサンの制作がある程度すすんでいった日、I先生はこの教室に入ってくると、直ぐに僕のところへ来て、第一声から怒鳴り始める。
「お前だけ一人で何やってるんだ!」
「モデルの肌は、本当にこんなに黒い色しているか?」
僕
「黒くないです」
I先生
「じゃあ何でこんな黒くしてるんだ」
僕
「僕は肌の色ばかり追ってデッサンしている訳ではありませんし、各自で考えてデッサンしなさいという課題ですよね?」
I先生
「いいや、それでもこんなに黒くするのはおかしい。俺は日本画には日本画に適したデッサンがあると思っている。」
僕
「前回は黒いデッサンを悪いと言っている訳ではないと言ってましたよね?
それなのに今回は、黒いデッサンは悪いと言っているのはおかしいです。
この課題でも先生達側で、何か説明の不足していることがあるんじゃないですか? 」
I先生
「あっそう、じゃあ勝手にしろ!」
僕
「日本画に適したデッサンとは、どういうものですか?」
I先生
「どうせお前には、何を言ってもわからん!」
こんな会話のやり取りを見て、同級生達(主に男子生徒)は笑い「またやっている」「惨めだ」等と口にしながら笑って楽しんでいる。
この後、I先生は他の生徒たちの絵を見て回り、僕のデッサンとは対照的な描き込みの少ないデッサンを褒めてまわる。
僕は2年生になってから、教員達の意見はあまり聞かないようにと考えていた。
しかし、ここではI先生が怒鳴ってまでしてきた注意や意見であるから、それ相応の考えはある筈なのだ。
この場面での僕は、I先生と会話を最低限にして、モデルさんのポーズの後にまわそうとする。
それは僕なりのモデルさんへの配慮であり、モデルさんの前で、喧嘩の様なやりとりは避けたいと考えていたからだ。
それともうひとつ。モデルさんを使った貴重な時間を、後でも出来る会話で潰したくない気持ちもあった。
そうして僕は、デッサンの授業が終わった後に研究室へ行き、そこでI先生の話を聞こうとする。
僕の意識としては、I先生に反発する意味合いではない。
僕の持っているデッサンの基礎や常識と、I先生の考え・教えるデッサンに大きな開きがあり、この時は、その内容を知るよい機会だろうと考えていた。
この大学の教員達は、生徒に対して『少しでも解らないことがあったら、解るまで何度でも聞きに来なさい。』と語っている。
そういう面からも、僕はこういう行動をとるべきなのだと考えていた。