日本画制作の為の裸婦デッサン3 No.59
I先生との会話
裸婦のデッサン。
モデルさんのポーズが終わった後、僕はI先生とデッサンの話をしようと、研究室へ行く。
その時には、I先生から怒鳴られた時のデッサンも持って行った。
研究室に行くと、そこには目的のI先生は一人でいた。
僕はそのI先生に話しかける。
「さっき怒鳴られていた件で質問にきたのですが、質問しても良いですか?」
I先生「いいよ」
僕「このデッサンの何が悪いのでしょうか?」
I先生
「どうせこのデッサンは、消ゴムであの時より色を落としてるんだろ?」
僕
「落としてませんし、あの時より濃い鉛筆を使って加筆してます」
I先生
「ふぅ~ん。俺が見たときはこれよりももっと真っ黒だったぞ。まぁいいや。」
僕のデッサンに顔を近付けながら
「うわぁ、まっ黒で彫刻のデッサンみたいだ。酷いなぁ~」
この時のデッサンのでは、僕は消ゴム類は一切使わずに描いていた(そういう描き方を、浪人時代から訓練していた)。
だから、最初にI先生の見たデッサンの鉛筆の濃淡より、薄くなることはない。
それからI先生は、沈黙する。
I先生から話が切り出されないのを感じて、僕は質問する。
僕
「日本画に適したデッサンとはどういうものですか?
僕はこれ迄に、そういうものを誰からも教わってきませんでした。
デッサンが黒いと、何か悪いのですか?」
I先生は声を荒げる。
「じゃあ言うけどなぁ、こんなに真っ黒な女の人を描いて、これからこの横に黒人の人を描くとしたらどうするんだ!」
僕
「最初から横に黒人の人を描くなら、こんな濃度の鉛筆では描かなかったかもしれません。
でも、このデッサンは最初から最後まで黒人の人は描かない前提のデッサンです。」
I先生
「いや、そうなんだけどさぁ…」
そう言ってまた沈黙する。
僕
「黒く描いたのが問題なんですか?
これは、デッサン自体が中心の課題ではなく、日本画制作を始める前の段階のデッサンです。
僕は黒いとか白いとかよりも、何をどう描くか、何の為に描くのかを考えながら描いています。
描きかた次第でなら、もっと濃い鉛筆を使って白人を描けますし、もっと薄い鉛筆で黒人も描けますよ」
I先生
「そうなんだけどさぁ…」
また沈黙する。
僕
「今回は、女性の髪の処でEBの濃い鉛筆を…」
I先生は、僕の言葉を打ち消すように怒鳴る
「何でそんなことするんだ!」
僕
「髪の毛の一番黒い処だから、真っ黒な鉛筆を使ったんです。」
I先生
「ああ、そうか」
また沈黙する。
僕
「割りと早い段階から髪の黒い部分を…」
I先生はまた怒鳴る
「何でそんなことするんだ!」
僕は話の話し始めで怒鳴られ、「ああ、そうか」の後に、続きの話をしかけて怒鳴られている。
I先生が怒鳴ってこなければ、この話の続きを語る処だった。
その事で、僕はこの話の続きをしようか迷う。
I先生側で何か語りたいことがあって、僕の話を怒鳴って中断させているのだろうか…迷いながら少し待っても、I先生は沈黙したままでいる。
そこからは、やはり僕側から話すべきと考え、続きの話をする。
「早い段階で、色合いの濃い部分を描き始めることで、全体の濃淡の把握を…」
そこで、またI先生は「何でそんなことするんだ!」と怒鳴り付けてくる。
そこで、ようやく僕は諦める。
「…ですから、早い段階でデッサンの完成時のイメージを掴もうとしていたんです。
I先生は最初から、僕に何かを教えたりまともに会話する考えとかないですよね?
これ迄のやりとりで、貴方が僕に何をやろうとしているのかも、よくわかりました。
だから、もういいです。
失礼しました。」
僕はデッサンを持って、研究室を出ようとした去り際に、I先生は少し話しをする。
「俺は大学生の頃に教わったことを、そのまま生徒に教えているだけなんだけどなぁ…
あの頃に俺は黒い石膏デッサンを描いていたら、その時の大学の先生から『デッサンが黒いんじゃないか?』と言われたんだ。
確かにあの時のデッサンは黒かったんだけど…」
I先生は少し語るのだけど、内容的にまとまっていない、会話にもなっていない返答をして、また沈黙する。
僕にしてみれば、そのI先生の言葉にも、反論したい要素は幾らでもあった。
その時のI先生の石膏デッサンは、何の考えもなく黒く描いていたのではないか?
白い石膏像をなぜ黒い木炭や鉛筆で描くのか、洋画の人達が、なぜ黒いデッサンを良いデッサンと語るのか。
I先生は、そんな風に考えたり研究してさえ、して来なかったのではないか。
生徒には、「自由」「個性の尊重」「生徒の自主性」「悪いところを直して良いところを伸ばす」等と普段から口にしていながら、今は「大学で教わったことをそのまま教えているだけ」といっているのも、矛盾していないだろうか?
これ迄のI先生は、僕に対して言葉をかけることは殆どしてこなかった。
前回のデッサンで、「うわぁ、まっ黒だなぁ」等と言葉をかけてきたのが始めての会話で、その次が今回の怒鳴り付けである。
僕がどの様に絵へ打ち込んできたのか、どんな考えを持っているのか、そんなことも全く知りもせず、いきなり怒鳴りつけてくる行為に前向きな意味などあるだろうか。
こうなってしまったことの原因は、新入生歓迎会ではないだろうか。
僕が欠席した新入生歓迎会で、同級生達は僕の悪口を語り始め、I先生もその悪意に感化され、それでとった言動こそがコレではないだろうか。
あの頃の動向といえば、上級生のDの様子がおかしくなり、助教授のS先生もその歓迎会の影響を受けていた。
今回のI先生の言動も、それ等と同じ性質のものだろう。
それでも僕は、そんな勘繰りなどは僕の思い過ごしだと自分に言い聞かせ、I先生のモラルを信じようとしていた。
きっと、何か伝えたいことはあったのだけど、それを上手く伝えることは出来なかったのだろう。
たまたま新入生歓迎会の件や、同級生と僕とのトラブルの件等も重なり、僕も先生達も神経質になって、一時的にこういう愚かな考え方や見え方をしているのかもしれない。
少時間が経過すれば、I先生も自分の愚かさに気付くだろうし、僕もどこかで自分の悪いところに気付けるだろう。
だから、I先生とのやり取りのことを、あまり悪く深くは考えないようにと、自分に何度も言い聞かせていた。
I先生の嘘
I先生との件の翌日。
裸婦デッサンのポーズが始まる時間の少し前、廊下を歩いていた時に、僕はS先生から呼び止められる。
S先生
「話を聞いたけど、お前I先生に怒鳴りつけていたんだって?」
僕
「僕はそんなことはしていませんよ。」
S先生
「もうI先生から全部聞いた。
I先生はお前のデッサンを見て、少し黒いんじゃないか?と言っただけなのに、その後、お前は研究室に怒鳴りこんでいったんだろ?
I先生は何を言っても、お前は怒鳴るばかりで何も聞き入れず、キレていたそうじゃないか。」
僕
「いえ、そんな内容ではありません。
まず、僕は一度も怒鳴っていませんし、一方的に怒鳴っていたのはI先生で…」
僕の話を遮って、S先生は力一杯の声で怒鳴る。
「何か言われたら、黙って言われたことだけをやれぇ!!」
そこから暫くは、S先生の怒鳴りつけが続く。
「お前はいつも口答えばかりして『僕はこう考えている』等と言ってくるけど、そういう問題じゃないんだ!
お前が何をどう考えているかなんて、一切関係無い。
大学で俺たちに何かを言われたら、黙ってすぐにそれをやれって言ってるんだ!
わからないことがあってもイチイチ聞きに来るな!」
他にも、まだ色々と怒鳴られていたのだけれど、書くのはこれくらいにしておく。
S先生が廊下で怒鳴っていた言葉は、その階に居る他の生徒たちも聞こえていただろう。
S先生が怒鳴り終えた後、僕はまともに会話することを諦める。
「I先生の話は事実とは違いますし、いまS先生がやっている様なことを、昨日のI先生は僕にしてきたのですよ。」
そんな僕の言葉も、S先生は何かを怒鳴りながら打ち消していた。
「こんなやり取りになったら、もうお互いに何を言っていても無駄ですよね。」
そう言って、僕はS先生との会話を諦める。