デッサンの話2 No.27
ここの処、更新が遅れがちです。
今回の話も、前回の記事でまとまらずにはみ出した内容だったりするので、今回は早かったという訳でもないのです。
読んでくれる人もあまりいないので、ゆっくりでも良さそうですが。
この話を終らせないと、最近の話を投稿しづらいのもので、頑張って進めていかなくてはですね^^;
今回の話とは関係ありませんが、いま描いている最中のアクリル画を添付します。
まだ完成していないのと、部分です。
画像のない投稿が続いていて、読む方も読みづらいかもしれませんよね。
もし読んでくれている方いましたら、すいません。
浪人生
浪人で一年通った予備校には、日本画の先生は居なかったけれど、僕は洋画・彫刻・デザインのそれぞれの先生達から、デッサンを見て貰ってきた。
絵を教える先生達は、教えることへとても力を入れていたし、いま思い返しても尊敬できる人達だった。
受験の時期が近づけば、各大学の受験対策もやるのだけど、それ迄は基礎的なことを沢山教わった。
先生達の考えのなかで、入試の傾向や対策を頑張って受験を通過するのは大事だけれど。
それ以上に、受験を通過した以降で使う基礎力や腕こそしっかりと身に付けないといけない、等とよく語っていた。
そういう話に僕も心を動かされながら、僕も頑張っていた。
僕の頭のなかは、絵のことばかりになっていて、大学受験で必要な筆記の勉強のことも聞かされていたけれど、そっちにはどうしても集中できなかった。
それから、通っていた予備校では洋画の生徒に混じって絵を習うことになった。
そこは規模の小さな予備校だったけれど、洋画の生徒達はみんな上手な人ばかりだった。
みんなが小学生や中学生の頃から絵画の基礎を学び、その上で1~3浪をやっている。
絵に関しては、描写力とかデッサン力といった基礎的なものは、浪人生活を経験している人の格違いに上手い。
中学・高校生の絵の訓練だと、1日辺りで描ける時間も限られてくるせいだろうか。
それに対する僕は、高校で美術部には属したけれど、基礎的なことは敢えて教えない方針で、自由に描きたいものばかりを描いてきた。
そんな僕は、この予備校で初めてきちんとした基礎を習い始めるという状況で、描きあげた作品も、誰から見ても僕の絵が一番下手だった。
それを僕は悔しく思っていて、いつも背伸びをして頑張っていた。
絵を描いてきた期間だけならば、僕だって小学生の頃から沢山描いてきたではないか(マンガばかりだったけれど)。
浪人生活は一年もある。
下手なのは今のうちだけで、浪人生活の後半では絶対に追い抜いてやる、そんな考えで1年間は頑張っていた。
それでも、学ぶほどに彼等の腕の凄さが解るばかりで、最後まで彼等の腕を追い抜くことなんか出来なかった。
僕はいつも強がって張り合おうとして、それが傍目にも愚かで、よく笑われていた。
本音の処では、みんなの上手さは認めてはいるし、自分の下手さも解ってはいた。
でも、いつまでもそんな自分ではないぞと自分に言い聞かせ、頑張っていた。
そんなあの時期を思い返すと、先の不安ばかりで楽しくなんかなかったのに、思い出は楽しくばかり思えてくるし、充実した毎日だったと思える。
予備校で主に指導してくれたのは、洋画の堀田先生で、よく「見る」ということについて語っていた。
絵を描くためには、ものを見る目が大切なのだ、と。
しっかりとモチーフを描くためには、ものを見て正しく捉える訓練が必要だ。
絵を描く者の目が狂っていると、描く絵も狂ってくるもので、描かれた絵は、描く者の見たもの以上のものは描けない。
モチーフを見て、それがどういう色や形をしているのかは見えて判っているのだけど、その様に描けない…等と語る人もいるけれど、それはモチーフを見えていない、ということなのだ。
そういう話も、繰り返し聞いてきた。
他にも、絵を描くには視点を意識的に固定すること、しつこいくらいに計ること。
普通の人は、左右で合計2つの目があるけれど。その2つの目のどちらかは利き目であり、もうひとつは補助的な使い方を無意識にしていること。
絵画の基礎や基礎に繋がる話等を、沢山語り聞かせてくれた。
一緒に絵を学ぶ洋画の人達は、聞き慣れた当たり前の話ばかりだった様だけど、僕には新鮮な話ばかりだった。
予備校では年に3~4回程、樺山ゼミというのもあった。
武蔵野美術大学の名誉教授をやっている樺山先生が、北海道で僕の通っている予備校に来て、絵を見てくれるのだ。
この樺山先生は、厳しいことをはっきり言い過ぎる人で、樺山先生の講評で泣き出してしまう現役生の女子生徒も時折いた。
僕なんかも、最初は「このレベルで合格する美大・芸大はないよ」なんて言葉をかけられて、へこんだ記憶がある。
そんなやり取りから始まって、下手糞な僕の存在なんか目もくれていないと思っていた。
それから受験が始まる直前で、最後に樺山先生と会った時。
僕は、この時期に描いたなかで1番上手く描けたと思えるデッサンを見せていたのだけど、大した言葉もかけられないだろう、僕の存在なんか気にかけてもいないだろう等と思いながら、なんの期待もしていなかった。
でも、樺山先生は僕がこれ迄にどんな絵を描いていたかを覚えていて、
「描けるようになったねぇ。
どこの大学なら合格できるとかは言ってやれないけれど、これだけ描けるなら自分の腕に自信を持っていい。頑張れ。」
という言葉をかけてもらった。
この段階まで描ける迄には、もう1~2年はかかると考えていたのだという。
樺山先生は、受験を直前に控えている生徒だからと、お世辞を言う人ではない。
絵について、嘘をついたりもしない。
この時の樺山先生との会話は、僕にとっては大きな自信になった。
受験のことだけではなくて、絵を通して理解して貰えたり、解り合えることもあるのだと感じた。
その後、僕は実際に幾つかの大学を受験する訳だけど、受験会場で見る受験生達の絵を見て、 上手な人があまり見当たらないことに驚いた。
僕が自分で、難易度の低い大学を選んで受験したこともあるのだけど。
一緒に絵を学んだ洋画の人達は、本当に腕に力がある人ばかりだったのだと感じた。
その洋画の彼等が、有名で難関の美大・芸大に合格したかと言えば、そうでもなくて。
最終的には、筆記と言われている英語や数学などの勉強を人一倍頑張っていた人こそ、良い結果を出していた。
そういう現実の受験の厳しさなんかも、浪人生活の最後には見てきた。
僕なんかも、筆記を重要視される大学は全て落とされ、入学したのはランクの低い美大だった。