デッサンの話4 No.29
アメーバブログからはてなブログへ記事を移行する過程で、手直しをしながら投稿している。
デッサンの話に関しては、かなりの手直しをしていて、元の投稿とは別の話のようになっている。
アメーバブログを書いていた時は、当時の事を思い出すことに重点を置いていた。
でも今回は、あれから数十年経った視点も交えたりもしている。
僕は昔から教養がなくて、文章を書くのも苦手なので、下手な文で話も上手くはまとまっていない自覚もある。
ただ、このブログは何度か手直しをしていることもあり、最初にアメーバブログで書いていた内容よりは、本来書き綴ろうとしていた内容に近いものになっている。
そういったことを、本文より先に書いておく。
ちなみに、今回の話に関しては、アメーバブログで書いた話の内容、そのままにしている。
クロスハッチング
僕の描くデッサンでは、「クロスハッチング」という洋画の技法を多用している。
今回はデッサンの画像を幾つか用意できたけれど、当時の絵などは北海道の実家にあって、殆どお見せすることができないでいる。
下のデッサンは、美大生時代の後半に描いたもの。
デッサンのモデルは、彫刻課の大学院に在籍していた田中さん。
描く時間を10分ぐらいに設定し、大学ノートにボールペンで描いた。
先に述べた「クロスハッチング」という技法を使いながら描いたもの。
この技法を学ぶにあたっては、誰かに教わったり本を読んで知った訳ではない。
美大生になるまで、この技法は僕個人の編み出したオリジナルの技法と思い込んでいた。
でも、少しずつ洋画の基礎を知っていくと、既にクロスハッチングという名前付きで語られている技法であった。
最初に、このクロスハッチング的なものを意識し始めたのは、浪人時代の頃。
その時の先生の名前が思い出せないのだけど、木路先生と一緒にその予備校を設立した先生…その先生の発言が少し絡んでくる。
その先生は東京芸大を卒業した経歴があり、当時は札幌の大谷短大の校長もやっていたと思う。
その先生が他の生徒に対して教えていた内容を僕は盗み聞きし、その時々の言葉をも糧にしよとしていた。
その時の話は、
「昔の東京芸大のデッサンの入試では、消し具類の使用は禁止されていたんだ。」
「消しゴムなんか無くても、石膏デッサンは出来るものだよ。」
「消しゴムを使わないで、鉛筆を重ねて出来るトーンは結構綺麗なんだよ」
こんな発言を聞いていて、僕も消し具類を使わなくても、難しいモチーフのデッサンを描きあげられる様になろうと考えた。
そこから始めたのが、ボールペンでのデッサンだった。
このボールペンでのデッサンに対しても、色んな事を考えながら模索していた。
ボールペンで紙に一度線を引いてしまえば、もう消すことはできない。
だからこそ、紙に引く線は自信の裏付けのあるしっかりした線を引こう。
計画的に、ひとつひとつの線を丁寧に引こう(これは、僕の性格的に無理でした)。
細部ばかり見ないで、もっと全体を描こう。
描く為の時間感覚を研ぎ澄まそう。
仮に10分しか時間がなくても、その時間でも描ける腕を身に付けよう。
物を描くのも大切だが、空間や空気も描けるようになろう。
もっと、色んなことに応用の効く汎用性の高いデッサンには出来ないだろうか…。
色んな事を考えながらデッサンを模索し、行き着いたクロスハッチングがそれらしい形になったのは、美大生になってからだった。
端から僕のデッサンを見る人は、
「バッテンばかりでデッサンえがいている」
と面白がって見る人も多い。
そして、美術大学で接してきた人達の殆どが、「そういう描き方もある」という程度に語り、簡単に出来るものと考え、わかったつもりになってしまう。
数本の線にどれだけの意味合いを含めた描き方なのかなど、理解していないのに理解しているつもりになって、軽く語られてしまう。
しかし、絵を見るだけの者であれば、技法の難しさや細かな意味合い等は関係ないとも言える。
その絵をひと眼見て、ただ感じた事だけで認識するのも、絵の性質だと思う。
見る側の知識や感性が深まった時に、その深まった分だけ、その絵の事を改めて理解できるというのも、絵を鑑賞することの面白さとも言える。
だからこそ、そのひと眼の感じ方のために、多くの絵描きは人生をかけて研究しているのかもしれない。