テッポウユリ3 No.16
講評会の直前
テッポウユリの課題。
鉛筆デッサンや水彩絵具での写生から始まり、日本画絵具を使った細密描写へと移行する。
それから講評会前後までの話。
これまで書いている通り、課題については、僕は自分の思うような描きかたでは、課題は描かせては貰えなかった。
それは、僕が何度も繰り返して質問していた『光があたった結果表れるものは一切描かない』という問題を歪め『高木君は、極端な程に力不足だからわからないんだ』等と、教員間で結論付けられていた為の状況である。
それからS先生とA先生(女子)は、S先生とA先生(女子)なりの写生のしかたや絵具の扱い方を強要してきて「なんでこの程度のことがわからないのだ」「こんなことさえわからないな、君だけだ」「基礎的なことが何もわかっていない」等と怒り、叱りつけてくる。
僕にとっては、そうして強要してくる内容は基礎でも何でもなく、僕の持つ常識からは外れたものばかりだった。
それでも『日本画の世界に限っては、そういうものなのだろうか?』と、僕なりにも納得できる理屈を探り続けていた。
もう少し語ると、基礎という言葉を使いながらも、基礎をわかっていない人の言葉の数々の様にも感じてしまう。
でも、美術大学の助教授という立場の人達の語る言葉であるから、そんな訳はない…という考えを、頭のなかで何度も繰り返していた。
その為、指示や強要を受ける度に、僕は反論や意見はするけれど、課題の制作の作業に関しては、全面的にその指示には従ってはいた。
僕側は、いつも主に質問することは同じで。
それに加えて、描きかたに対して強要きたことについても『やらせようとしていることに、理解やなっとくができません』と返していく。
そういう流れから、主にA先生(女子)は「納得するしないは関係なく、言われたことだけをやりなさい」と声を粗げて怒り、僕の発言する言葉は全て聞き流し、無視する姿勢をとる。
僕が「K先生(女子)から直接話を聞きたい」と求めていることに対しては、A先生(女子)は『A先生(女子)も、私が言っているのと同じ考えです!』と声を粗げていく様になる。
それでも僕は、日を改めて『納得できません』と質問をしなおす。
せめて1度くらい、K先生(女子)と直接の会話ができて、粗っぽい返答でも受けていたならば、質問を持ち掛ける行為にも諦めはついたのだと思う。
テッポウユリ課題の講評会
僕の課題はグチャグチャの状態のまま、講評会を迎える。
講評会の直前にも、A先生(女子)は僕に対して「この色を上から塗って絵を壊しなさい」といって、赤い色の絵具を僕の手元に置く。
僕は「講評会の直前なのに、今からなぜそんやなことをしなければいけないのですか?」と質問をするが、A先生(女子)は声を荒げて「黙って言われたことをやりなさい!」と怒鳴り付けてくる。
僕はその指示に従って絵を赤く塗り壊し、この後にどうするべきなのかを、講評会で訊ねようとしていた。
この課題に限った話ではなく、A先生(女子)から絵を壊すことへの強要を受けるまでには、何十時間という作業を積み重ねている。
この指示の強要は、その何十時間の積み重ねた作業を台無しにする行為でもある。
同じ指示をするのでも、作業の早い段階であったり、講評会の前日に指示を出すことではなかった。
講評会では、それまで取り交わしていた会話や指示等は、全て無かったことにされて、散々に怒られる。
モチーフを見て描いていない、身勝手に抽象画をやっている、人(教員)の話を全く聞かない、解らないことがあったなら、研究室へ聞きに来ればいいじゃないですか。
そんな内容で、K先生とA先生(女子)からはずっと責められる。
僕は、自分なりの描きかたを仕方なく止め、S先生とA先生(女子)に強要された描きかたをしたつもりでいた。
でも、講評会に出した僕の絵は、僕が自身の意思で描いたものとして扱われ、指示に従いなさい、力がない、身勝手に抽象画を始めている、等と終始怒られる。
僕側も幾つかの反論はするのだが、僕の描いた絵を見ながら、僕の述べている内容とは関係なく「こんな絵を描いているのは、あなただけではないですか」という指摘で怒り、僕の言葉は何ひとつ聞き入られることはない。
そんな感じなので、僕も途中からは、この講評会の場では何を言っても無駄だと諦め、講評会の後に研究室へ行って話をしようと考える。
僕が講評会に出した絵は、自分から見ても酷いものであり、それを前に力がないと怒られると、こちらは反論や意見がし辛く、何を言っても理解はして貰えない。
それとは対照的に、僕以外の生徒達は、皆が力があると、お世辞を込めて褒められていた。
褒めて、これから良い気持ちで絵を描いて貰おうという指導上の意図があったのだろう。
その同級生たちの作品を見ても、僕よりも力があると考えられる生徒の作品はなかった。
そうは見えても、こういう状況に置かれてしまったのだから、冷静に他の生徒達の作品を見れていないだけではないだろうか…そんな風に、僕は自分の目や感想や経験を否定したり疑って考えようともしてしまう。