絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

テッポウユリ2 No.15

りんごの絵

 課題は、テッポウユリの写生から日本画制作に移行する。

最初の課題では、生徒へ様々な事を段階的に教えていく関係上だと思うのだが、期間はひと月ほどの時間を設けていた。
 だから、手順や勝手を知っていれば、一週間もかけずに出来てしまう制作内容でもある。

 このことをK先生(女子)自身も語っていて、
「課題以外でも絵を描いて学びたい方は、りんごの絵を描いて持ってきてください。描いてきたら、課題でなくても見ます。」
 等と教室の生徒たちに話す。

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https://www.ajfarm.com/1893/

 たぶん、この時にりんごの絵を描いていたのは、僕だけではないだろうか。

 K先生(女子)の「りんごの絵を…」という発言を切っ掛けに、僕は何度も水彩画やデッサンを描いては、研究室へ持っていく。

 その時も、僕は必ずK先生(女子)を指名して取り次いで貰う様にお願いするが、取り次いでは貰えない。

 やはり毎回、僕の対応をするのは、S先生かA先生(女子)である。

 S先生やA先生(女子)は、K先生(女子)が生徒に「りんごの絵」の話をしているのを知らない様子でもあり、そのことを説明しながら絵を見せるのだが、

「突然こんな絵を描いてくる感性が独特で、理解できない」
「こんな絵を描くよりも、今の課題に集中しなさい」
 等と、遠回しに僕を小馬鹿にしている様に感じ取れる発言が耳につく。

 そうして最後の辺りでは、

「課題以外の絵を持ってくるのは止めなさい」

「K先生(女子)はあなたのことを物凄く怒っているから、K先生に質問をするのも止めなさい」

 等と叱られる。

 そうして、僕はK先生(女子)へ質問や描いた絵を持ちかけることを止めてしまう。

 K先生(女子)が教員間で、僕を毛嫌いしている話をしていることや、こちらが何度質問を持ちかけても一切対応しないのに、授業内では「解らないことがあったら、研究室に聞きに来てください」等と発言してしまう矛盾などから、僕はK先生(女子)に対して不満も持つ。

 今にして思えば、 S先生やA先生(女子)が勝手にK先生(女子)の名前を借り、適当なことを述べていただけなのかも知れない。

 それでも当時の僕は、そんな適当な話を鵜呑みにして、 S先生やA先生(女子)を通して僕を嫌っていると伝えてことに腹立たしく思い、K先生(女子)への不満や嫌悪感も募っていく。

  S先生やA先生(女子)からの話から、僕に限っては、K先生(女子)に質問を持ち掛けてはいけないのだと認識し、K先生(女子)へ質問だけではなく、声をかける気持ちさえも失くしてしまう。

 

 一応、質問について補足的に書いておくと。

 最初の内は、授業内でも教員達へ質問をしていた。

 しかし、A先生(女子)からの話で、他の生徒のことも見て回らなければならず、僕一人のやり取りばかりに時間をかけていられないとのことで、『質問は授業内ではなく、授業の後で研究室(日本画の職員室)に来なさい』という指示を受けていた。

 

 

日本画制作の始まり

 繰り返しの話となってしまうけれど。

 テッポウユリのデッサンや写生など、最初は普通に行っていた。

 そこから「光が当たった結果現れるものは、

一切描かないでください」という言葉が出てきて、その意味合いを正しくは理解出来ず、僕は教員達へ何度も質問をする。

 でもその質問は、いつも適当な話ではぐらかされる。

 例えばここで、

日本画には影はありません。床に映り込むような影のかたちは描かないでください」

「陰影という言葉あって、そのうちの陰は描きますが、影は描かないのですよ」

 といった言葉を選んでいたり、こういう解説があったなら、僕は納得していただろう。

 でも恐らくS先生やA先生(女子)も、この日本画の影については論理的に理解はしておらず、何となくで解釈したまま美術大学の教員になったのだと思う。

 だから、質問を受けても答えられず、はぐらかすことしか出来なかったのだろう。

 それでいて、自分等でもわからないということを、他の教員達に知られる訳にはいかなくて、同じ様な質問を繰り返す僕を黙らせようとする。

 それは、根本的な解決や生徒の為の指導ではなく、教員の都合や便宜上による誤魔化しでしかない。

 

 S先生やA先生(女子)の話から。

 僕の行っていた『日本画の影』についての質問に対して、何十年と教員をやっていても、

誰一人として、こんな処で疑問に思い躓く生徒なんかはいなかった、という。

 しかし、僕のブログの足跡情報を探すと、インターネット検索で『日本画 影』という検索ワードから、僕のブログへアクセスしてくる人が多い。

 僕のブログを見る人は少ない方だけれど、毎日数十~多い日で400くらいのアクセス記録がついている。

 この日本画の影について、疑問に思う生徒は全くいないと美術大学の教員達は口にしていても、このキーワードを検索する人は一定数以上はいる、ということをここに書いておく。

 僕の美術大学での躓きはこの話からで、大学生活の最後まで、この問題は解決することはない。

 

生徒間で教え合う行為

 入学した最初の月に、K先生(女子)は何度かこういう話もしていた。

 『これから日本画の基礎について教えていくのですが、この基礎については、生徒間で教え合わないでください』

 この話の具体例もあげていて。

 K先生(女子)が芸大に入学して、日本画で扱う膠という絵具の接着剤を何気なく作っていた時に、芸大の先生から強く叱られたという。

 K先生は、膠を水に浸してふやかし、それを暖めて溶かしていた。

(洋画での膠作りは、このやり方が主だと思う)

 でも、芸大の指導のなかでは、膠と水の分量を測り、その分量を湯煎して時間をかけながら溶かしていくやり方を指示していた。

 K先生(女子)は大学へ入学する前から日本画を学んでいて、日本画のことをある程度は知っていたけれど、大学で順をおって教えていく流れには沿っていなかったという話だ。

 僕のいるこの日本画の教室内でも、大学へ入学する前から日本画を学び、描きかたを知っている生徒は何人かいた。

 そういう生徒から日本画の描きかたを教わってしまうと、大学でこれから教えていこうとする基礎とで食い違いが起きてしまう。

 大学入学前から日本画を学んできて、色々と知っている生徒も、この大学ではこの大学で教えていくことを基にして、日本画を学んでいってください。

 こういう説明を、生徒全員が最初のあたりで受けていた。

 そうであっても、生徒間で教える行為は、最初の1~2ヶ月、日本画の絵具を扱い始めるあたりから始まっていた。

 同級生で、日本画画家から絵を教わっていたというTaと、4浪したというSの2人が、この頃から過剰に同級生達へ教えていく。

 

 後になっての話ではあるが、S先生は僕に対して「俺たちの所に聞きに来ないで、TaやSから聞け」という発言も始める。

 それでも、僕はそんなS先生の指示よりも、K先生(女子)の言葉を選び、同級生には教わらずに教員達の所へ質問しに行った。

 その行為も、 S先生やA先生(女子)から強い顰蹙を買っていた。

 K先生(女子)は『日本画のことを書かれている本も沢山ありますが、大学では私(教員)達の生きた指導を受けて学んでください』とも語っていた。

 だからこそ、僕は教員達に嫌われると判っていながら質問を繰り返していた。

 もし、K先生(女子)のこういう言葉がなかったならば、僕は勝手に本を読み漁り、日本画のことを自分で学んでいただろう。

 

 教員達は大雑把に教えて、教員達の信頼している生徒が同級生達へ教えていく、そういうかたちで、教育や指導で楽をしようとする傾向にある。

 この頃の動向から考えると、既にそういう促しもしていたのかもしれない。

 勿論、K先生が逆の発言をしていることは、S先生やA先生(女子)も知っていながら、K先生のいないところでそういう促しを行う。

 教員単位で、こんな感じで矛盾したことをしていても、その矛盾のなかで上手くやれる生徒や、何もものを言わない生徒こそが、可愛がられる生徒になる条件でもあることも、時間の経過と供に薄々と感じ取れてはいた。

 そんなことを薄々と感じ取っていながらも、僕は教員達に可愛がられる良い生徒であることよりも、絵に打ち込んで、良い絵を描く生徒でありたいと考えた。

 だから、教員達から誤解を受けたり好かれないという状況は、この頃はあまり問題視していなかった。