絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

画材店からの視線 No.111

画材屋

 美術大学を卒業した前後の話。

 大学の敷地内には画材屋さんが入っていて、生徒向けに営業をしている。

 僕は幾つもの画材屋さんで、画材についての質問を持ちかけながら、買い物をよくしていた。

 大学の敷地内での画材屋さんに関しても、一般的な生徒より一桁くらいは多い金額を落としていく客だったそうだ。

 そうしたこともあり、店主さんから僕への接し方は、他の生徒とは少し違っていた。

 店主さんと他の生徒に関しては、日常的な雑談の会話が中心であったのに対して、僕に関しては絵や画材の話が中心になっていた。

 

 たまたま卒業の直前、僕は画材の取り寄せを、学校内の画材屋さんに頼む。

 その商品がお店へ届くのに少し期間がかかるという話で、僕がその商品を手にするのは卒業後となった。

 商品の受け取りや支払い等が大学の卒業後に股がってしまうと、画材屋さんとしても不安にさせるだろうと思い、僕はその辺りは必ずきちんとする、という話を振った。

 その画材店の方は、僕の事は信用している、それはこれ迄に接してきた経験上、根拠があってのことだと語ってくれた。

 画材についてよく質問してきていたことや、高価な画材をよく購入していたことや、僕の性格のまじめさや、絵への打ち込み方が他の生徒とは違っていることまで、これ迄ずっと見て感じていたという。

 それと卒業制作の時期になると、たまに取り寄せをして受け取った商品代金を、うやむやにしたまま卒業して踏み倒す生徒がいるそうだ。

 それは日本画の生徒に限った話ではないし、卒業生の全体のなかの少数でしかない。

 それが、僕の年の日本画の卒業生に限っては、踏み倒す生徒が少し多かったそうだ。

 それでもその画材店は、大学の敷地内で営業させて貰っている兼ね合いから、その件での取り立てはしないし、文句も言わずに諦めるのが毎回のことだという。

 そういう背景もあり、多くの生徒を見てきたなかでは、僕は信用していると言ってくれた。

 大学へ在籍していた頃、その画材店の店主さんも、僕の同級生からは

『あいつ(高木)は、教員や生徒の誰からも相手にされず、いつも独りで惨めな存在だ』

 と聞かされていたそうだ。

 画材店の店主である立場上、そこへ突っ込んだ話を聞くわけにはいかないし、僕も『仲は悪い』とは言っていたが、それ以上のことは語らなかったので、何も事情は知らない。

 そうであっても、傍目に誰よりも絵に打ち込んでいる美術大学の生徒(僕)が、誰からも相手にされずに惨めだと言われているというのは、そのまわりの教員や生徒達の側がおかしいのではないか。

 そんな風に、僕の事を見ていたという。

 卒業後の僕はどうするかわからないけれど、何をするのでも、頑張って欲しいとも言って貰えた。

 

 僕個人の視点では、同級生のなかには手癖の悪い生徒や、自分の価値観をまわりの生徒に押し付けたり、困っている者を見つければ、もっと困らせようとする者達がいた。

 勿論、そんなことはせず、そんな状況に呆れたり、そういう人物達と距離をとる者もいた。

 北海道にいた頃は、『北海道を離れたら、酷い人なんかは沢山いて、気を付けなくてはいけない』なんてことを、幼い頃から何度も耳にしていた。

 そうはいっても、その北海道にいる人達のなかには、一定数で妙なことをする人も居れば、色んな人はいる。

 何十人と生徒がいれば、そのなかにはよい人もいれば悪い人もいる。

 僕にはそういう認識を持っていたけれど、K先生(男子)やA先生(女子)からは、大分違ったことを聞かされてきた。

『この大学で長いこと教員をやってきたけれど、今まで悪い生徒なんか一人も出会ったことはなかった。』

『高木以外の人間は、教員や生徒も、みんな信頼できる素晴らしい人間ばかりだ。』

 僕は一年生の半ばから、大学で課題制作を諦め、人間関係が破綻することで、誰ともまともな会話さえしてこなかった。

 そういうなかで日本画の教員達は、生徒達を信頼できる関係を築けるように促し、立派な人物達へと育て上げてきたことで、僕以外の生徒はみんな無条件で信頼できるという話だった。

 そんな話も聞いてる傍から嘘臭いと感じていたけれど、画材屋さんとの話を聞いて、やはり自分の思ったことや感じたことは信じてよいと考えた。

 『高木くんの考えていることは、何もかも全て間違っている』

 という言葉を、僕は在学中に何度もかけられてきた。

 僕は、冷静で客観性を持った考え方が出来ていないのかもしれない…等と考え、自分の思ったことや感じたことを否定的に考えなおそうとしてきた。

 自分がそうとしか思えないものを、まわりの者達が全否定してきて、そのことにひたすら迷っていた。

 彼等が言うように『僕は本当に頭がおかしいのだろうか?』と、自分で自分の考え方や存在を否定的に考えてきた。

 でも、僕は自分の思ったことや感じたこと、自分が積み重ねてきた絵の腕とか、そういうものを疑わずに信じてよかったのだ。

 そういうことを、画材屋さんとのやり取りでも実感していた。

 

 日本画の絵具に限っては、僕は大学内の画材屋さんではなく、町中にある日本画・書の専門店へ買い物に行っていた。

 そこでも僕の存在はよく覚えて貰えていて、とても良い印象を持たれていたそうだ。

 その画材店の建物内にはギャラリーもあって、『会場費は無料でよいので、個展を開きませんか?』という誘いも何度か受けていた。

 でも残念ながら、僕は大学在学中に、自分の描きたいものや自分なりの考えでの絵を描いてはこれなかった。

 大学の課題だけで一杯一杯になっている時期が殆どで、制作過程で納得していても、やり直し等の強要を繰り返されることで、最後はゴミの様な失敗作へと誘導されてきた。

 だから、そこで展示できそうな作品も作ってはこれなかったのだ。

 残念に思うのと同時に、僕が画材を選び購入する過程は、意外と見られて認識されていたことに驚いた。

 

卒業後の手紙

 美術大学を卒業して、僕迷いながらもK先生(女子)へ手紙を出した。

 日本画の先生で、唯一、僕に気を遣ってくれた先生だろう。

 

 その時の正確な文面までは覚えていないけれど、僕はこんな内容の手紙を書いたのだと思う。

『大学在学中は、あまり接する場面も無いまま卒業となりました。
 それでも、後半の辺りでK先生から気に掛けて頂いたことは、ありがたく思っています。

 ご迷惑をお掛けするばかりで、僕も良い生徒にはなれず残念でもあり、申し訳ありませんでした。

 他の先生達からも、僕が大学に居ることで多くの生徒達が怯え、迷惑を被っている、と聞かされています。

 ですので、僕ももう大学へ顔を出すことも有りませんし、大学の先生達とも接点は無くない様にします。
 大学を恨む気持ちは、なかなか棄てられずにはいますが、K先生からの善意だけは信じて受け止めようと思います。
 こんなバカな生徒に、気を遣っていただいたことには感謝しています。
 ありがとうございました。』

 たぶん、いま思い返して書いたこの文章よりも、ずっと酷い文面だっただろうと思う。

 それでも、頭は悪く、あの頃の心の壊れた僕には、この程度の手紙を書いて出すだけでも精一杯だった。

 僕側からK先生(女子)へ手紙を出して、K先生(女子)からも手紙が来た。

 多分、こんな内容だったと思う。

『高木さん(僕)からのお手紙を読んで、とても残念に思いました。
これ迄の四年間、何も教えてあげられず、申し訳なかったと思っています。
大学のことも憎んでいることでしょう。
せめてものお詫びとして、高木さんさえ良ければ、日本画のことは私が何でも教えます。
またお手紙ください。高木さん(僕)からのお手紙待っています。』

 もっと長く、もう少し何かを書かれていたかもしれない。
 もう昔のことで、色々と忘れているのかもしれない。

 

 思えば、美術大学へ入学してから数ヶ月ほど経過した辺りでは、S先生とA先生(女子)からは、K先生(女子)に質問を持ちかけてはいけないと、何度も繰返し怒られていた。

 それでいて、K先生(女子)からは「わからないことがあるのに、質問にも来ない」と怒られて、その後も誤解から怒られてばかりだった。

 その状況からこの時まで、僕もK先生(女子)のことを恐く理不尽なことを言う先生と思い続けてきた。

 A先生(女子)から、K先生(女子)は僕の質問をしてくる行為にものすごく怒っていると伝えられた辺りから、僕もK先生(女子)には腹を立てて嫌いになっていった。

 でもあの頃は、S先生やA先生(女子)がK先生(女子)の手を煩わせないようにと動いていたり、教員間での考え方や方針の違いから、K先生(女子)の考え方よりもS先生やA先生(女子)の考え方に誘導しようと促してもきていた。

 そういう部分から、少しずつの嘘は始まり、お互いに誤解も始まっていたのだと、時間が過ぎてから理解はできた。

 それでも、僕は心のなかで疑いを溶くことはできず、K先生(女子)の存在を疑う気持ちと信じようとする気持ちがせめぎあっていた。

 損得で考えれば、僕が大学で学びたかった日本画の古典的な技術や知識等を、K先生(女子)は唯一持っている人物でもあった。

 そういう損得勘定が、漠然と僕の考えを都合の良い解釈へと導いている様な気もしていた。

 そういう漠然としたまとまらない考えが、これ以降の自分の在り方にも、暫くの混乱をもたらしてしまう。