なぜ日本画を専攻したのか No.11
美術大学へ入学してからの話に入る前に、今回は、僕が日本画を専攻した考えについて書こうと思う。
そのことを高校生の頃の話として、時系列的な流れで書いていっても良かったのだけど。
そうすると文章は長くなったり、話としてまとまらなかった。
その為、ここでこの話を書いておかないと、この話を書く場面は失くなるだろうとも思えている。
日本画とはなに?
美大・芸大への進学を志望したあの頃、洋画を学ぶべきか日本画を学ぶべきか、随分と悩んだものだ。
特に、浪人時代や画学生時代に、「何で日本画なの?」と聞かれる場面は何度もあった。
それ以前に、まわりから「日本画ってどういうもの?」という質問もそれ以上に多かった。
日本画とはなにか。
大雑把に言ってしまえば、戦前から日本にあった絵画の様式である。
後々の話にも触れるけれど、戦前に西洋人が日本へ西洋絵画の文化を伝えようとした時に、日本には日本なりの絵画があった。
そこから、日本にあった絵画の様式を日本画と名付け、西洋絵画を洋画として区別したものである。
日本画では、主に膠という動物由来の接着剤を使い、絵具を作り描いている。
洋画では、油絵では油、水彩ではアラビアゴム、パステルなら粘土、といったものを主な接着剤として絵具を作っている。
細かく書いていくと、いつまでも話が進まないので、今回はここまでの説明とする。
なぜ日本画を専攻としたのか
当時は理屈的な事は何もわからず、それでも日本画の感じを吸収したかった。
その切掛けは上村松園や伊藤深水といった画家の描いた美人画だった。
↑は上村松園の代表作である「娘深雪」。
↓は伊東深水の代表作である「湯気」
この2人の画家に関してよく言われているのは、上村松園の絵は女性の目線で描いた美人画であり、伊東深水の絵は男性の目線で描いた美人画である、という話。
こういう美人画に、高校生の頃の僕は興味を持っていた。
高校時代の頃と言えば、高文連で知り合った女性を好きになった頃。
その女性をモデルに絵を描けたなら、僕は誰よりもその女性の素敵な処を見出だせる自信があった。
そして、その女性らしい身体の線や肌の色などを、絵にしたい気持ちで溢れていた。
そのイメージは、洋画の写実的なものではなく、日本画の線と色こそ近いと感じていた。
僕の描きたいものは美人画だけではないし、僕自身の感性は洋画に近いだろう、という考えはあった。
それでも日本画の美人画のことを学ぶならば、日本画を専攻して学び、そこから日本画を続けるか洋画に戻ってくるかを考えても良いのではないか、とも考えていた。
その反面、洋画(ここでは主に油絵を指しておく)は素材的にも写実的に描きやすい性質がある。
洋画の写実は、そのままの場面・情景をキャンバスに持ってきたかの様に表せる。
逆に日本画(特に昔の日本画)の素材は写実的に描くのは難しく、作画の筆跡や線は残りやすく、目で見たような情景は表しにくい。
しかし、見たままではない絵だからからこそ、伝わる雰囲気や思いもある。
小・中学生の頃に描いていた僕の絵は、絵画ではなく漫画でしかないが、そういう部分では自分にも、日本画らしい面は有るような気もしていた。
もっと深い勉強は、美大・芸大の入試を通過した先になる。
そういうことからも、美術大学の入学してからは、どうしても大きな期待を持っていた。
この後、美大へ入学してからの話が中心となり、日本画というものに関しても多く書き綴ることになる。