絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

美大・芸大を目標にした浪人生活 No.8

 高校を卒業してから、一年間の浪人生活を送る。

 高校生の頃に美術部で経験した話は、また暫く後になってからも出てくるのだけど。

 取り敢えずはここで区切りとする。

 

一年間の浪人生活と未練

 高校卒業後は札幌で独り暮しを始め、美大・芸大を目指して浪人生となった。
 実家は北海道の旭川市で、札幌へは特急電車でも一時間半ぐらいの時間はかかっていたと思う。

 この浪人生時代で、初めて絵画の基礎らしい基礎を教わり、絵に関しては濃い勉強が出来た。

 でも、筆記の勉強は全く身が入らず、ダメダメだった。

 美大・芸大も大学なので、筆記の勉強はある程度出来ていることが前提なのであって、今にして思えば、そこが致命的だった。


 浪人生の頃は、毎日繰り返しデッサンや着色写生を行う。
 これまで数え切れないほどの絵を描いてきたが、勝手が違い苦労もした。
 自分はもっと絵が描けると思っていたのに、デッサンや着色写生ではうまくいかない。
 それが悔しくて、寝ても覚めても絵のことを考えていた。

 同時に、高文連の時に知った女性のことも忘れられずにいた。

 思うようにいかないことばかりで、勝手もわからず、不安や寂しさばかりだった拠り所が、思うようにいかない絵にしかない。

 そこから逃げたい気持ちが、高文連の時の女性に向かっていたのだと思う。

 入試の数ヵ月前、その好きだった女性に最後となる電話をした。
 その電話でその女の子は、僕の好意に応えられない事をはっきりと伝えられる。これまではっきりと振らなかった事も謝ってきて、受験頑張ってと言ってくれた。

 本当は、その時の電話なんかよりもずっと前から、その女の子は僕の好意に応えられない事を伝えてもらっていた。
 でも、僕側がそれをずっと聞き入れてこなかった。
「どこかで、僕の事を好きになってもらえる可能性が有るのではないか?」
 などと考えて、はっきり断ってこない事に漬け込んできただけだった。
 全部、薄々と判っていたのだけれど、この電話ではっきりとした言葉で振られた。

 頭のなかで、否定しながらも判りきっていた結末だが、それが具体的な結果となり、気持ちはより沈む。
 はっきりと振られて、僕は吹っ切れることはなく、未練ばかり残ってしまう。
 それでも、これ以降にこの女性へ電話をしたり、会うことを求めることもしなくなった。

『この後の人生の為に、今は受験に集中するだけだ。』
 そう何度も自分に言い聞かせた。

 これまで、この女性には随分と迷惑をかけてしまったけれど、この女の子を好きになった事は、その後の努力の糧になった。

 ただ、努力したからといって、それが良い結末に結び付くかどうかは、また別の話である。

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美大の受験勉強

 ここまで書いていても、情けないやら恥ずかしいやら。

 この後も、そんな話ばかり続く。

 

 一年間浪人生活を送り、頭の中は絵の事で一杯だった。

 美大・芸大の入試に筆記の勉強(英語や数学など)が大事なのは十分わかっていたのだけれど、やはり筆記の勉強には身が入らなかった。

 予備校から帰れば、本来なら勉強をしなければならない。

 それがどうしても、絵に対する気持ちばかり大きくて、その絵がいつも上手くいかず、いつの間にか絵を描いてしまう。

 自分の考えのなかで、高校を卒業する頃には、自分の絵にそれなりの自信を持っていた。

 その自信が打ち砕かれ、自分で思っていた程度の絵も描けていない。

 そんな毎日で、それではいけないと判っていても、筆記の勉強に意識が向いていかない。

 

 思うような絵が描けたのは、浪人生を始めた最初の辺りだけで、基礎を学ぶ程に自分の絵がわからなくなっていった。

 予備校で専攻していたのは日本画である。僕の通っていた予備校内では日本画を専攻する者は少なく、僕は洋画を専攻する人たちに混じって絵を学んでいた。

 洋画を専攻する人達は、みんなデッサンや油彩画も上手な人ばかりであった。

 みんな幼い頃から絵画の基礎を習い、努力してきた者ばかりなのだ。

 彼等が絵を学び始めた頃、僕は独りでひたすらキン肉マンの絵を書いていた。

 絵を描いてきた期間だけを言えば、僕も彼等と変わらないのに、明らかに自分だけが劣っている。

 僕は彼等を見習うべきだと頭は働くのだが、僕の感覚は『確かに彼等は上手だが、何かが違う』と考え、素直にはなれない。
 そう感じていたものが、日本画と洋画の違いなのか、モチーフを見詰める上での見詰め方の違いなのか、自分の劣る状況からの僻みなのか、自分の心の中ではっきりしない感覚や気持ちの内訳をずっと探っていた。


 日本画の試験では水彩絵具を使い、洋画の試験では油絵具を使う。
 深く絵画を学んでいく程、水彩絵具と油絵具の違いは大きく感じる。

 僕は水彩絵具で空回りばかりしているためか、油絵具を使っている彼等を妬む。

 油絵具は、水彩絵具よりも便利な道具じゃないか…


 いつも、何かしら考えて悩んでいる。

 本当に、僕はこのまま日本画を専攻していて良いのだろうか…
 本当は、僕も洋画を専攻するべきではないだろうか…
 僕は日本画を学びたいと思っているが、自分の持っている感性は洋画だろう…
 自分で選んだことではあるが、こんなよく判らない立ち位置で絵を学んで、これから先の自分は大丈夫なのだろうか…

 洋画の人たちの中に独り、日本画を専攻して混じっている事や、自分の考え過ぎてしまう性格や、空回りしている状況からも、いつも孤独を感じていた。

 入試の為のデッサンに関しても、知るほどに何かしら違和感を感じた。

 入試の為に描くべき絵はどういうものか、何となく判ってはいくのだけれど、自分の思う絵(写生・描写)とはなにか違うように感じる。

 上手くいかず、違和感も感じ、孤独も感じ、自分の持っている常識や感覚等の拠り所が崩れていくような、おかしな感覚を感じ続けていた。

 実家から離れ、親に迷惑をかけながら、知り合いも誰一人いない処で寂しい思いをして、その上で絵を学びに来ている。
 それなのに、以前より絵が下手くそになっている様な気がする。
 そして、これから先の自分が不安に思える。

 自分が思うデッサンや着色写生を目指してきたが、その方向性は、実は取り返しのつかない間違いだったのではないか…
 予備校にある参考作品や、上手な人たちの絵を見て、その様な絵になる様に努力するのが正解だったのではないか…

 柔道なんかやらず、もっと早くに基礎勉強を始めていたなら…

 当時は、考え出すと不安に思える事ばかりなのに、その考えは止まらない。
 だから、いつも絵のことで葛藤していた。

 

浪人生活の終わり

 それでも、それらの不安は全て乗り越えることができた。

 入試の1~2ヶ月ぐらい前から、ぐちゃぐちゃになっていた自分の絵が治りはじめる。
 そして、浪人生になる以前よりもずっと上達したことも実感できた。
 それらは、僕自身が逃げずに努力を続けた結果でもある。
 そして、浪人時代の先生たちの指導のお陰で、本来の何倍も色んな事を考え学べたとも思っている。


 肝心の大学入試に関しては、あまり良い成果はあげなかった。
 その辺の話は、また次回に書こうと思う。