美大受験 No.9
時間が経過すれば、入試の時期はやってくる。
僕個人は、どこか特定の大学を目標に頑張るという考えはなかった。
どの大学でも通用する腕を身に付けたい、それが難関高と言われている処であっても。
美大・芸大の予備校のなかで、僕は力もないのに力のある者に競り合おうとして、よく笑われている存在ではあった。
それだけに、一番の難関と言われている東京芸大も視野にいれて努力している、等とは口には出来ない。
それでも、そういう意識は持っていた。
その意識以前に、自分の思うようなデッサンや着色写生も出来ていないことを自覚していて、その悔しさから、予備校から帰っても絵を描いてしまう。
家に帰ったら、絵ではなく勉強をしなければならないのに、いつのにか絵を描き始めている。
それではいけないことも、自分では理解していながら、そう動いてしまう。
入学試験
受験する大学を考えると、自分の未熟な腕と経済的な事を考えてしまう。
中~高校生の頃であれば、多少は自分の腕に自信を持てたが、浪人生活を始めてからの自分の絵はグチャグチャで、自分でもどうしてそうなるのかが解らなかった。
そういう背景から、自分には腕がないことを受け入れ、難易度の高い有名大学は避ける考えしか持てなかった。
そして、学課と言っていた英語やら数学やら筆記試験は致命的なほど点数がとれない。
そんな状態で始まった入学試験は、散々なものである。
デッサンや着色写生といった実技試験の出来以前の処で、学課をある程度重視している大学は全部落ちた。
前回にも書いていることではあるが、グチャグチャになってしまう僕の絵は、入学試験が少し前に治っている。
受験した大学のひとつに、学課を重視していないところがあった。
これから先の話の兼ね合いから、学校名の記載は行えなくなるが、その大学の実技試験に関しては文句無しのトップで通過する。
合格を貰えた大学に関しては、試験中から手応えはあった。
その上で、幾つかの大学入試を経て、自分より上手だと思える人は何処の試験会場にも見あたらない。
そればかりではなく、合格を貰えた大学では、着色写生の試験中に、試験官たち(大学の在校生や大学の教員など)に「上手だ」と指を指されていた。
しかし、その時の「着色写生」の試験に関しては、自分で納得できる迄の出来でもはなかった。
それでも、その時の作品は翌年の大学の入試参考作品として扱われてる。
同じ予備校で絵を学んだ洋画の人たちの合格状況は、特に学科で点数をとれる人ほど、良い大学から合格を貰えていた様に覚えている。
しかし、絵の技術面で上手だと思える人では、実技を重視する有名大学からは合格を貰えない厳しい状況だった(僕の通っていた予備校では)。
そういう人達は、そこから多浪していくか、技術からは不釣合に思えるようなランクを落とした大学へと入学していく。
自分の結果やまわりの結果に、色々と考えてしまう処はある。
でもそれは、僕の立場からははっきりとは解らないことであったり、これから書き綴っていく方向から外れていきそうなので、ここではそのことに触れないようにする。
僕の専攻は日本画であり、日本画・洋画(油彩)・彫刻を指して、ファインアート(純粋美術)系とよく語られる。
ファインアート系のそんな状況に反して、デザイン(商業美術)系を専攻していた人たちは、それまで例がない程に良い合格状況だったらしい。
特に、多摩美術大学デザイン科の合格者の2/3は、僕の通っていた予備校の生徒だったという程。
これに関しては、予備校側での試験対策をかなり徹底していたので、不正や変な疑いなどは全く無いことを、ここで伝えておく。