ノーマン・ロックウェルのはなし2
ノーマン・ロックウェルの心のなかには、幾つものコンプレックスがあったようです。
両親とのことや、やせっぽちで内股に生まれたことで、運動関係が苦手であったとか。
そういうものが、彼の絵には、結果としてよい方向で結び付いていたように思えます。
交通渋滞
画像元:https://www.google.com/amp/ymt-kamome.seesaa.net/article/120200248.html%3Famp%3D1
何となく添付した、この絵。
この絵の左下でこちらを見ている男性、これはノーマン・ロックウェル自身である、という説もあるそうです。
サタデー・イブニング・ポスト
前回にも書きましたが、ノーマン・ロックウェルの絵は、1916年から1963年にかけて『サタデー・イーブニング・ポスト』紙の表紙を飾りました。
このサタデー・イブニング・ポストは、1960年代に読者が減っていき、1969年に休刊となります。
こういういいまわしをしてしまうと、ノーマン・ロックウェルが表紙を描かなくなったせいで…みたいに見えるかもしれません。
でも、たぶんそうではなくて、時代の移り変わりや世の中の関心ごとの変化など、そういった要素によるものでしょう。
過去に見た番組関係の記憶ですが、ノーマン・ロックウェルがこの世を去った以降の雑誌の印象を語っていたものがありました。
『むかしは、各社雑誌の表紙イラストは、色とりどりに競いあって描かれていました。
それが近頃では、写真ばかりが表紙絵を飾り、雑誌が店頭で並んでいても、大切な色を失ってしまった様に思えてしまいます。』
大体、この様なことを語っていました。
時代の移り変わりによる変化は、寂しいことは多いです。
そうはいっても、それまでとは違った新しいものごとが生まれて、別のところに楽しさや便利さが生まれている場合も多いのです。
ノーマン・ロックウェルの作品は、アメリカの古き良き時代というイメージと結び付いていて、彼の亡き後も作品を愛する人は絶えません。
そして、彼の作品の存在自体も、古き良き時代そのものかもしれません。
ノーマン・ロックウェルの作品
今回は、少しまじめな絵と話を交えてみます。
読むのが面倒くさかったら、文章なんか飛ばして絵だけ見たらいいんですよ(^^)
閉店後の理髪店
むかしの理髪店は、自然と人が集まる場所でもあったといいます。
閉店後、店主とその友人たちとで、趣味の楽器演奏の練習をしている場面でしょう。
4つの自由
1941年にアメリカの大統領のフランクリン・D・ルーズベルトの行った演説の4つの自由を題材にしています。
第1は、世界のあらゆる場所での言論と表現の自由である。
第2は、世界のあらゆる場所での、個人がそれぞれの方法で神を礼拝する自由である。
第3は、欠乏からの自由である。それは、世界的な観点で言えば、あらゆる国に、その住民のための健
全で平和時の生活を保証するような経済的合意を意味する。
第4は、世界のいかなる場所でも、恐怖からの自由である。それは世界的な観点で言えば、いかなる隣
国に対しても、物理的な侵略行為を犯すことがないような形で、世界中の軍備を削減することを意味する。
引用元:https://americancenterjapan.com › 2015/10
1943年に、制作・発表された一連のこの作品は、全米をまわって戦争資金を集める展覧会の目玉になりました。
その後の火災により、この絵を含めたノーマン・ロックウェルの作品の多くが失われます。
この流れのなかでの火災とか、何かと勘ぐって考えてしまうのは、僕だけではないですよね?
パピーラブ(冬)
小難しい話を幾つか書いてしまいましたが、やはりノーマン・ロックウェルの絵は、こういう優しい感じの絵が人気ですね。
そして、もっと深く色々と知りたいとなったときには、ノーマン・ロックウェルをネット検索してみてください。
これまで書いてきた以外にも、色んな話や絵はたくさん出てきますよ。
Sunset