そぼろくん 7
動物病院に通っていた頃のそぼろくんの写真は、もうストック切れしたので、出会った頃の写真を添付します。
そぼろくんを動物病院へ連れていき、病院の先生と話します。
少しだけご飯を食べたことや、寝床から出てくる場面も僅かでも増えたこと、など。
そのことで「少しでも自分からご飯を食べたなら、この子はこれから良くなりますよ」という言葉を貰えました。
それでも、僅かなご飯しか食べずに痩せ細ってきているそぼろくんに、点滴をして貰い、帰ってきました。
その後に、僕は仕事に出勤する準備を始めた処、そぼろくんは僕の歩き回っている一番じゃまな所に座り込んで、僕を見詰めてきます。
昨日までは、苦しそうに寝床で大人しくしてばかりだった事を考えると、やはり調子は良くなってきているのでしょう。
歯磨きやら着替えやら、そぼろくんの所を通過する度に、頭を撫でて話しかけて、そうして職場へ出勤したのでした。
そぼろくんが僕の家にやってきて、この辺りでようやく2週間位です。
勤務先のアルバイト達の話し合いで、そぼろくんの名前が決まったのもこの辺りです。
ここから数ヵ月後、このそぼろくんが元気になっていて、それに合わせ、僕も何かと生活の変化を始めている…そんな未来を予想していました。
でも、世の中は上手くいかないことばかりですね。
動物病院の先生から「この子はこれから良くなりますよ」と言って貰えたその日の夜。
僕が仕事から帰った頃には、そぼろくんは既に亡くなっていました。
最後の数日は、そぼろくんが回復していた様に見えていて、それなのに亡くなってしまったことが予想外で、僕はすぐにはその現実を受け入ずにいました。
翌日、勤務しているお店の清掃員さんや事務員さんやホールアルバイトの子達にも、そぼろくんが亡くなったことを伝えたました。
みんなそぼろくんのことが好きで、悲しくて、涙を流す人も何人か居ました。
後日、そぼろくんを火葬してもらい、骨はペット霊園に入れて貰い、動物病院へ挨拶に行きました。
そぼろくんを火葬してから、菓子折りを持って、動物病院へ行きました。
他の飼い主さんですと、こういう時はどうしているのでしょうか。
亡くなった後、わざわざ動物病院へ行かなくても良かったのかもしれませんけどね。
お医者さんへ、そぼろくんが亡くなった話をすると、少し驚いていました。
亡くなる数日前から、少し元気を取り戻した感じがあったのに、最後はトイレの前に吐血した後があり、寝床の前で目を開けたまま亡くなっていました。
この話をした後にお医者さんは、
「もしかすると、心臓にも病気があったのかもしれません。
そこまで気付けなくて、申し訳ありません」
と言っていました。
そぼろくんが亡くなったばかりだったからでしょうが。
この言葉だけで、僕は何かと勘繰ろうとする大人げない自分も、心のなかにはいました。
でも、お医者さんはそぼろくんを救おうと、出来ることはやってくれたと信じています。
そぼろくんも、病院の検査を嫌がりながらも、自分の為に何かをしてくれているのを理解していたかのように、大人しくしていました。
でもそれだけでは、そぼろくんを救えなかったのです。
そこに足りなかったのは、病気で苦しいときや寂しいときに、接してくれる人の存在だったのかもしれません。
そういったものがもう少しあったなら、そぼろくんに天国から迎えが来ても、この時に天国へ旅立つことは拒めていたかもしれません。
或いは、そんなことも関係なく、そぼろくんの肉体は限界で、天国へ旅立つしかなかったのかもしれません。
何が悪いのかが解らないなかで、そぼろくんの為にやれることをやれなかったのは、動物病院の先生よりも、僕の側だと思います。
二十代の前半までなら、僕は心と体の病気を繋げて考えることもありませんでした。
でも二十代の後半。
僕は絵を描けなくなって一番思い悩んでいた頃、急性腸炎を何度も繰り返していました。
なぜ急性腸炎を起こしてしまうのか、いつも理由らしきものは判らず、治ってもまた再発してしまうのです。
その要因のひとつに、精神的なストレスを語る病院の先生もいました。
その経験を重ねて考えると、寂しさから、免疫力が低下することもあったかもしれません。
そぼろくんが、人に一番求めていたのは、食べ物よりも優しく接してくれることでした。