仏教伝来(後半)
二十歳前後の頃、仏教美術の本を数冊ほど読みました。
今では殆ど内容を覚えていないのですが、当時面白いと思ったことは、幾つか覚えています。
仏教の教えの象徴となる仏像に関する話で、色々と解釈があるのです。
お釈迦様の姿を表す仏像に、性器の造形や描写をしません。
これに対する古くからある解釈では、お釈迦様の性器は、普段は象やライオンなどの動物になっていて、必要なときに戻ってきて機能するとか。
仏像の頭にあるイボは髪型ではなく、脳が拡大して頭蓋骨を押し上げた結果、あの様な形になっているとか。
子供の屁理屈を聞いているような、イマイチ納得できない解釈が多くありました。
そういう話を読んでいた僕も、それらは
「仏像を作っていた人はそういう考えを持たずに作ったものではないか?」
「何となく作って出来上がったもの(仏像)に対して、後から細かな意味合いを持たせた為、こんな解釈が生まれたのではないか?」
等と思いました。
ただ、実際の処はわかりませんし、僕が勝手に思ったことです。
平山郁夫『入涅槃幻想』1961年作
画像元http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_03/event_04/event_04.html
紀元前5世紀という時代に生まれたお釈迦様が仏教を開き、様々な教えを残して亡くなりました。
その教えは僧侶達の旅と共に、もちろん日本にも入ってきました。
前回から語っている様に、これらの仏教の話は、平山郁夫の絵の題材であるということです。
平山郁夫『流沙淨土変』1976年作
仏教ばかりではなくキリスト教の布教でも、宗教の教えと同時に、様々な文化が持ち込まれ、受け入れた国の発展に繋がったとも言います。
建築の技術や医療など、今では宗教と分けて考えられているものが、仏教伝来のなかに含まれていたのです。
幾つも語られている日本画のルーツのひとつにも、この仏教の布教とする説があります。
仏教の教えを広める過程には、書物を書き写すことが必然であり、仏教徒の僧侶達によって、その書き写しは行われていました。
その書き写しは文章だけではなく、絵図も僧侶達が描き写していたと言われています。
古い日本画の修行として、師のお手本を描き写し、決まった範囲のお手本を写し終えると、その写したら記録はその後の弟子のお手本となります。
この日本画の描き写しと、僧侶達の書物の書き写しは、起源としては同じものに思えるのです。
僕のなかで日本画のルーツの話は、この説が一番しっくりきます。
文章の組み立てが下手なもので、話の流れからは強引に結論的な話にもっていきますが(^_^;)
僕の様に40数年と生きていると、自分の上の世代の人達の心の変化を目にします。
宗教など殆ど語ってこなかった人まで、年配者へと向かっていくほど、宗教や密教の様な考えに寄り添う人は増えていく様な気がします。
宗教の教えという考えばかりではなく、霊や神や悪魔や精神世界とか、そういう話を現実の話として急に語りだし、「あれ?この人はそういう話をする人だったかな?」等と思う場面が時折あります。
僕なんかは、そういうのを漫画や小説やゲームの様な、娯楽の範囲内でしか見ていませんが、僕もいつかはそんな考え方に移っていくのでしょうか。
歳をとり、移り変わる心の依る処さえも、仏教美術である仏像や仏画の仏様達は受け止めてくれます。
絵を描く立場として、いつかはそういう性質の絵を描きたい、という気持ちも僕にはあります。
でも、今の僕には描けない題材です。
話がまとまらず、書こうと思っていたことも書ききれずに終わりました。
文章量から言えば、もう一回分くらいの投稿が必要になりそうです。
書ききれていないことも書いていこうか迷いましたが、腕も無いのにこれ以上大きな風呂敷を広げる気にもなれないので、この話はこの辺りで止めておこうかと思います(^_^;)