絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

日本画と洋画

 今回は、日本画と洋画についての話を書きます。

 本当は今回、僕が使ってきた絵具や自分の立っている位置に関しての話を、調べながら書くつもりでいました。 

 ただ、少し書いてみると、日本画と洋画の内容ばかりでそれなりの文章量になったので、絵具の話はまたいつかにします。

 因みに、僕が画学生だった頃に専攻していたのは、日本画です。

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 薫り(日本画)

 

 今回で話を持ち出した日本画というもの、語り出すとかなりの文章量になると思います。

 ですので、話を小出しにしてる感じもありますが、たまにその話を書いていこうと思います。

 

 もう20年くらい前で画学生の頃、海外のどこか(忘れてしまいました)の美術館で大規模な日本画の展覧会が行われたことを、テレビで見ました。

 その講演会の最後の辺りで、特に現代の日本画を指して「これがなぜ日本画なのかわからない」「日本画の定義とは、精神論を指すのか、素材論をさすのか」という質問が出てきます。

 そこから議論が広まりまり、話はまとまらなかったといいます。

 

 この問題、実は日本画という言葉自体が不確かなものである為に起こった状況です。

 そして、日本人でも多くの人は、何となくでしか日本画のことを理解していない様に思えるものです。

 そんな問題を海外の人達へ説明しようとしても、それは難しいことの様に思えます。

 

 日本画の定義となるのは、素材論なのか精神論なのか。

 日本画を専門に制作する人の多くは、私が見る限りは「精神論だ」と語ります。

 こだわりを持っている人ほど、そうなっているように見えます。

 しかし、その精神論を主張しながら、日本画の精神論を語れる人は、多くは居ないようにも感じてきました。

 

 ここからは僕なりに学んできたことや、考え的なものにもなりますが、日本画と洋画という言葉の説明をしていきます。

 

 この日本画と洋画という言葉の発生は、近代に西洋から入ってきた絵画の様式を洋画と呼び、それまで日本にあった絵画の様式を日本画と語ることで始まりました。

 この言葉や分類の発生には、東京芸大の初代の学長であった岡倉天心が大きく関係していました。

 ですから、西洋絵画が日本に入ってきだした頃、まだ日本画という言葉はありませんでした。

 洋画とは、日本画という存在に対しての洋画という言葉・存在であるのです。

 日本画は、墨と岩絵具と水干絵具と願彩を併用して制作します。

 洋画は、主には油彩画と言われますが、水彩画やアクリル画パステル等も、洋画とひと括りになります。

 

 一部での主張として、「日本画とは、戦前から戦後にかけての絵画が日本画であり、いまの日本画日本画ではない」と語る人もいます。

 又、中国の水墨画と古い日本画では、使っている素材や技法の多くが重複しています。

 そこを日本画という言葉で分けてしまうことで、複雑というか面倒な理屈も生まれてきます。

 その問題を考慮し、実際に日本画という言葉が生まれてから、『日本画は、中国の絵画も含めた東洋画という名前にしてはどうか』という議論もあったそうです。

 それでも日本画という言葉を、別の言葉に置き変えることは出来ませんでした。

 

 一番説明が容易なのは、素材論ではないでしょうか。

 絵具は、顔料・染料といった色の粒子を接着剤で練って作られています。

 そのなかで、日本画の絵具の主になる接着剤は、膠となります。

 水溶性のたんぱく質で、例えば、薬を包んで飲む為の紙であるオブラートも膠で作られています。

 

 古書画などで見る水墨画や浮世絵とか、そういういかにもな日本画ですと、技術や表現から日本画と言えるのですが。

 今の日本画は、西洋の技術や文化の流入もあって、今の時代を絵にしても日本画らしく見えなかったりします。

 だからなのか、敢えて日本画を名乗りながら、日本画らしくない絵を敢えて描く人もいます。

 そういった日本画の枠から外れたものを描く日本画画家は割と多くいて、日本画としても評価され、日本画として展示されています。

 そうなってしまうと、日本画の精神性をどう語るのか、日本画を制作している人でも殆ど判らないのではないでしょうか。

 今の時代というのは、様々な文化や技術や物が溢れていて、作品として表現することがある意味では容易であり、ある意味では難しく思えます。

 

 またそのうち、このことについて書いていこうかと思っています。