『#あの時の話』の終わり No.148
随分と長く書いてしまった『あの時の話』というカテゴリーの話は、今回で終わりとする。
またいつかこのカテゴリーを使って、新しい話を書くかもしれない。
でも今のところは、その予定や考えはない。
人生は、色々とある。
誰かからは小さな問題に見えても、別の誰かには、一生つきまとう大きな問題だったりもする。
誤解もある。
ただ愚かに見える行動でも、そこには必然や深い意味や悪意や善意が隠れていることもある。
善意でとった行動が、仇になったり、悪意に受け取られたり、そのことで恨まれたり。
能力や思考的なもので、出来ることや出来ないこともあり、そのことで面倒なことにもなる。
こういうのは多少なりとも、みんなあると思う。
僕の人生も、そういう事柄に振り回されてばかりで、色々とあり、そんな一個人の話がこのブログの話だった。
これから先、僕の人生をもう一歩進めた時、また幾つかのトラブルや不安なんかも想定している。
そうなる要素も既に幾つかあって、その根本になる部分を、全てではないけれど、ここには書き起こしてきた。
僕の持つ漠然とした考えを、文章に置き換えようとする意図もあった。
僕という個人へ憎み恨んでいる人に対しても、あの場面はどういう状況であったかを、僕なりに書いてきたつもりだ。
(そういった人物達は、僕のこのブログなんかを、読もうとなんかしないだろうけれど。)
そういった、細々とした意図は多々あったけれど、今回でこのカテゴリーの話は終わりとする。
何度かの手直しで、何とか書き起こせた話もあれば、うまく書けなかった話もある。
省いた話も色々で、日展改組やオレオレ詐欺で警察に捕まった人の話など、細かく書こうか迷いながら、話の収拾に苦労しそうで諦めた話もある。
そういうもので『書けばよかったかもな』と思うものは多々あるけれど、それはまたいつか機会があったときに、改めて語ればよいと考えている。
訴訟や今ある人間関係の都合やらで、書けなかったこともある。
だから、またまだ不十分に思えている内容でも、これで終わりにする。
ブログ自体をやめる訳ではなくて、この後も、何かしらの話は投稿するつもりでいる。
ブログ以外で、新しく手を出そうと考えていることもあったりで、幾つかの記事を書いた後には、このブログは暫く放置してしまうかも知れない。
という訳で、僕の長々と書き綴ったこんな話を、ここまで読んでくれて、ありがとうございました。