労働裁判の終わり No.147
最後の和解案
話し合いを終え、裁判官から最後の和解案を提示される。
原告である僕側から残業代請求した額より、数割ほど(だったと思う)少ない額が提示された。
理由は2つある。
ひとつは、勤務時間内に休憩は取れなかったとしても、食事休憩をとる様な時間はあったのではないか。
もうひとつは、弁護士さん側で計算した残業代の請求計算に間違いがある、という指摘だった。
ひとつ目の食事休憩の問題。
これに関しては、拒む。
パチンコ店であれば、食事休憩をとる体制を作り、多少の時間差はあっても、食事休憩はみんな取っていた。
しかし、カラオケ店での僕に関しては、その食事休憩への想定をして貰えた場面すらない。
顧客の少ない場面を見計らい、食事をしては居たけれど、客室からオーダーが来ればその対応をし、電話が来れば電話対応を優先し、顧客が来れば顧客対応を優先する。
休憩とは業務から一時的に離れている状態であり、これは休憩時間ではなく、仕事時間や待機時間と考える。
原告としては、タイムカード上でのはっきりしている残業代に対してのみ請求しているのであり、見なし残業という曖昧な部分での残業代請求は行っていない。
◯◯だろう、という憶測で減額される要素はないと考えている。
もうひとつである、請求金額の計算間違い。
こちらに関しては、異論はない。
裁判官の和解案に対して、原告である僕側は、計算部分の間違いによる減額だけは認める。
この内容で被告側が了承しなければ、Kによる証言や、アンケートを書いた従業員達の証人尋問や、裁判官から原告や被告への人証、といった段階に入り、その後に判決となる。
これに対する被告側は、その額で了承し、和解に応じるとした。
終結
この後、和解した金額を支払って貰えるかどうかで不安に思ってはいたけれど、そこは考え過ぎだった様だ。
和解金は、一旦は弁護士さんへ支払われ、弁護士さん側の取り分や経費を差し引いた後、僕の銀行口座へ入金された。
2019年の11月末で、労働裁判は終わった。
色々と思っていることや、省いた話も多くあるけれど、労働裁判のことで省いてきた話は、省いたままでよいかな、と思っている。
訴訟の終盤から終了以降に思うことを、少し書いて、労働裁判の経過の話は終ろうと思う。
勤めていた会社では、あんな扱い方をされてきた訳だけど。
社長自体の考えとしては、もう少しだけ、まともな会社であろうとしていたのではなかろうか。
有給休暇を与えないとか、たまにサービス残業をさせるとか、そういう部分は社長の意図したものだったのは確かだと思う。
そこから、会社の幹部達の都合による独断や暴走等で、更に、従業員達の権利を奪っていこうとする状況になっていたのではないか、と思えてしまう。
そのことで僕に裁判を起こされ、S専務とS常務(最終的には社長だったけれど)の独断や暴走は社長に知られ、その末に会社から去っていったのではないか。
社長が好きだと語る松下幸之助だけど、僕はその著書を数冊は読んだ。
それなりに勉強にはなったが、今の世のなかの流れから考えると、その松下幸之助の考えに寄るか、極端に反るか、という両極端な流れにあると感じている。
その松下幸之助の考えを、社長が参考にしているのは、在職していた時に見てとれる処はあった。
しかし、会社の幹部達の言動からは、社長の手前『松下幸之助の本を読んだ』と語っていても、仕事のなかで、その松下幸之助の考えに学んでいると感じる場面はなかった。
こんな風に考えるのは、僕がいい歳をしながら、いつまでもお人好しの世間知らずだということだろう。
それでも僕は、『従業員は家族だと思っている』等と口にしていた社長のことを、少しだけ信じたい気持ちを残している。
僕は裁判まで起こしたのだから、社長側は僕を憎み嫌悪しているだろうが、それはそれでいいとも、僕は思っている。
労働裁判は終わってみると、訴訟はやってよかったと思っている。
20代の頃は、裁判関係の小説や漫画を幾つかは読んでいて、当時はシドニィ・シェルダンの『天使の自立』が好きだったりした。
でも経験した裁判は、かなり違った感じだった。
そこには労働裁判という性質や、海外の制度的なものもあったのかもしれない。
そういう処も、また良い経験だったと思う。