漫画の話1 No.96
今回の話も、省いた方がいいのではないかと迷いながら、やっぱり書いてみようと思う。
タイトルに漫画と書いているけれど、アニメ等も含めた話とするつもりでいる。
超時空要塞マクロス
芸大受験であちこちまわっていた時のこと。
何気なく行った銭湯内のサウナでは、ラジオが流れていた。
そのラジオでは、飯島真理という女性が、昔のことを幾つか語っていて、僕は何気なく話を聞いていた。
飯島真理という女性は歌手ではあったけれど、僕はその名前さえも知らなかった。
それから話を聞いて、その歌手が歌った昔のアニメソングが流れてくると、色んなことを思い出し、涙が溢れてきた。
その時の曲は、劇場版アニメで『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の主題歌で『愛・おぼえていますか』という曲だった。
あれは小学生の頃だっただろうか。
僕はこの劇場版アニメを、兄に連れられて映画館に見に行った覚えがある。
涙が溢れてたのは、曲に感動したというものではなくて、色んな思いでと考えが入り交じって、そんな気持ちにさせた。
色んな思いが巡って干渉に浸り始めるまでは一瞬だけど、それを文章などで語ろうとすると、それなりに長い話となる。
感性とか勘とかいうものは、生まれ持った感覚から的確で鋭いものが生まれるのではなくて。
それまでの人生の経験や学んできたことが、感覚に繋がりながら生まれてくるのだと、僕は思っている。
少し長くなると思うけれど、むかし好きだった漫画の話も絡めて、この辺りの話を書いていく。
週刊少年ジャンプ
僕は幼い頃から漫画が好きで、いつも絵ばかり描いていた。
家でも小学校の授業中でも、いつも絵(漫画)を描いていて、それを起因とした内容でよく怒られていた。
授業を聞いていないとか、宿題をやってこないとか、そんな内容だ。
そうやって毎日絵を描いていても、絵が上手な訳ではなかった。
むしろ下手で、それだけ毎日絵を描きながら、いつまでも進歩していかない。
同級生とかが、何かの気まぐれや図工の授業でたまに描いた絵の方が、僕よりもずっと上手だと感じながら見ていた。
そういうのを見ながら、僕はまわりよりも能力の劣る存在だと感じ取っていた。
僕の描いた絵を見て、上手だと誉めてくれる人は居たけれど、それはお世辞であったり、その人が僕のように絵を描けば、僕よりも上手に描けることも知っていた。
でも、僕にはそんなことは関係なく、気にすることもなく、漫画のことで色々と妄想をしながら絵を描いていていることが楽しかった。
その当時といえば、今もある少年週刊ジャンプの漫画が好きで、ドラゴンボールやキン肉マンや北斗の拳といった漫画の虜だった。
当時の週刊少年ジャンプの価格は120円で、今現在の2020年4月27日号(2020年4月16日時点)では、270円となっている。
小学生の中~高学年にかけて、アメリカで北斗の拳が人気である噂をはじめて聞いた。
中~高生になった辺りでは、ドラゴンボールの物語を作者は終わらせたがっているのに、海外で人気が高まりすぎて、出版社がそれを許してくれないという噂を聞いた。
僕が小学生の頃は、漫画家は儲からない職業であると認識していたけれど。
それがいつの間にか、漫画家は(人気作家になれば)儲かるという話を聞くようになっていた。
日本の漫画は凄いと語られ、大人は漫画なんか読まないのが当たり前と言われていた時代から、大人が漫画を読んでも普通の時代に移り変わってきた。
でも、その過程のなかで、ある事件と偏見も起こることはあった。
宮崎勤事件
宮崎勤の事件。
僕の世代なら誰でも知っている事件なのだけど。
今の時代の認識はどうだろうか。
今の若い世代には、忘れ去られていく存在にむかっているのかもしれない。
宮崎勤は4人の幼女を手にかけて捕まり、逮捕後の捜査で、宮崎勤の自宅からは非常に多くの漫画やアニメ等が見付かった…という内容で、この事件の情報は拡まっていった。
この件を、少しWikipediaから引用すると。
アニメ・漫画の影響と誤解編集
宮崎が暴力的、性的、猟奇的な内容の漫画やビデオを多数所持していたことから、一部マスコミではそれらの悪影響を主張する意見もみられた。実際はそれら内容の漫画やビデオは、宮崎の膨大なコレクションのごく一部であった。宮崎の趣味の特異性は、むしろジャンルに関係なく無作為に多数の漫画やビデオを収集していたこととされる。
この事件により「有害コミック騒動」が活発化してアニメ・漫画・ゲームなどが青少年に悪影響を及ぼすとする風潮が高まり、マスコミやPTAなどでの議論となった。のちの「有害コミック騒動」で、事件の代表格である「幼女連続誘拐事件」が取り上げられている。
当時の反応として、漫画やアニメばかりを見ていると、異常な人間に育つと判断する家庭は多くあった。
だから、漫画やアニメが好きな子供に対しての親は、漫画やテレビアニメを禁じてしまう家庭もあった。
僕の家庭では、そういう感じは全くなかったけれど。
大好きな漫画やアニメを禁じられ、悲観しなり反発する同じ世代の悲しむ声などは見かけていた。
事件と全く関係のない家庭へ、そういう影響を及ぼす程に、話題になった事件でもあった。
この時代を通り、当時から今でも漫画やアニメを好きだと語る僕にとっては、漫画やアニメの記憶の断片に宮崎勤の記憶は多少なりに絡んでいる。
そして、僕は漫画やアニメに影響を受けながら育った立場であり、その事を隠したりする考えは持っていないけれど。
漫画やアニメが好きだと考えたり語ったりするなかで、抑圧されたり後ろめたく思う要素として、宮崎勤の事件の記憶は絡まりながら残っている。