漫画の話2 No.97
前回に書き綴った宮崎勤の事件は、1988~1989年のことで、劇場版マクロスは1984年に公開されたもの。
宮崎勤の話は、ちょっと脱線しちゃった感じかな。
まぁ~宮崎勤の件があって、漫画やアニメは見ない方が良いとか、見すぎると馬鹿になる、という感じのイメージも一部であったなかで。
それでも僕は漫画やアニメが好きで、もし抑圧された環境が出来ても、好きな気持ちは棄てられなかっただろう。
漫画やアニメが好きな人は、みんなそうだったんじゃないかと思う。
漫画の話を語ろうとすると、際限なく色んな話が頭に浮かんできて、書きたい話は幾らでも出てきてしまうもので。
話が広がるばかりで、なかなか話がまとまらずにいる。
むかし特に好きだったキン肉マンやガイバーやAKIRAの話とかも、一度は文章に書いてみたけど、どうしても話が進んでいかないので、省くことにする。
誰もが子供から大人に成長する過程で、楽しいことも苦しいことや悲しいことなど、色んな経験をしていく。
そのそれぞれの時期に読んだ漫画やアニメというのは、人の心に結構な影響を与えているのだと思う。
そのなかのアニメ作品のひとつで、前回にあげたマクロスへ話を戻していこう。
劇場版『超時空要塞マクロス』
マクロスは、元々テレビアニメとして放送されていたものだ。
それを、劇場版として作り直したのが『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』となる。
総集編ではなく、作画は一から作り直したということで、物語の最後(エンディングロールの辺り)は劇場での放映に間に合わなかったという話もある。
映画版のあらすじをかなり簡単に述べると、こんな感じになる…のかな。
少し記憶違いもあるかもしれない。
『大宇宙で抗争を続ける異星人の二大勢力があり、その戦火は地球にも及び、人類もその抗争に巻き込まれて戦うことになる。
その抗争の過程で、異星人達は文化を棄て、戦いに明け暮れることで、文化を忘れ去っていった。
逆に人類は、文化を持ったまま抗争に巻き込まれている。
物語のヒロインであり、歌手であるリン・ミンメイは、歌を文化の象徴として、人類の戦いの高揚歌として歌った。
そのことで、異星人達は人類の持つ文化を知り、異星人達にも文化を感じる因子があることに驚き、異星人達が失った文化を取り戻す為に、人類と団結して抗争を終結させた。
リン・ミンメイの歌っていたのは、人類の文化を意識した特別な歌ではなく、大昔に流行した大衆歌のラブソングで、サブサイトルでもある『愛・おぼえていますか』という曲だった。』
回想
前回に書き出した話に、そろそろ戻っていこうと思う。
マクロスの話では、歌を文化の象徴として、人類と異星人が解り合えたという結末を迎える。
前回から幾つか例に出した漫画やアニメも、日本で描かれたものではあるけれど、文化様式や考え方の違いがあると言われている海外でも受け入れられていた。
そういうものを、僕は漫画やアニメを見ながら成長してきた過程で、無自覚ながらも感じ取ってきた。
だからだと思う。
僕は美術大学で人間関係が破綻しながらも、絵を通して、いつかどこかで解り合える日が来ると信じてきた。
美術大学で学んでいるのは日本画という絵画であり、漫画やアニメと違うのは理解している。
こういう僕の考え方に対して、ある教員や同級生等からも「世間知らず」とか「お前が思っているほど世の中は甘くない」等の批判は何度もされていた。
そうであっても、 いつかは解り合えるという考え方を僕は棄てられず、状況は時間と共に悪い方向へ向かうばかりだった。
そういう思いというか考えが、芸大受験の合間でたまたま聞いた曲によって、頭を過ったという話。
本来なら、絵を絵に集中して充実している筈であるこの時期に、大学でのトラブルで、本来やるべきこととは違ったことをしている。
楽しいことを犠牲にしながらも、無駄にしてきた時間の経過とか、そういうものに対する悔しく哀しい気持ちもあった。
ようやくここまで書き綴ったけれど。
話が上手くまとまっていなくて、書こうとしていたことも書ききれていない感はあるかな。