美大での人間関係2 No.23
同級生との関わり
美術大学へ入学して、最初に会話をするようになったのは、Toという人物だった。
座席はすぐ隣で、男どおしだったから自然な流れだった。
何気なく会話をしていて、僕はToのことを知っていくし、Toも僕のことを知っていく。
Toは、多浪して美術大学へ入学してはきたけれど、特別に絵を描くことに拘るつもりもないし、行けるなら美術大学でなくても良かったと語る。
Toが学びたいものは上手く言葉に出来ないらしく、哲学や文学の様なものを学びたいと考えていて、その学びたいものの範囲に、絵画が絡んでいるのだという。
教室のみんなは、絵を学ぶことを主に考えて大学へ入学してきているけれど、Toが主に学びたいとしているのは別にあり、絵はそのついでに当たるのだと語っていた。
そういうToの語る理屈を、僕はイマイチ理解は出来ないものの、はじめの内は友人らしく会話はしていた。
それから、少し離れたところに席をもつGという男子生徒がやってきて、3人で会話する場面が多かった。
男子生徒のなかで、僕にとってはGが1番気の合う存在だったと思う。
Gは大学入学前まで、洋画を学んできたそうだ。
大学の専攻を洋画ではなく日本画にしたのは「気分転換だ」等と言っていたが、多分僕と同じ様に、日本画から学びたいものがあったのだと思う。
そういう部分での共通点は持っていたけれど、性格的なもので、相性は良かった。
座席の配置では、GはTaやS(男子生徒)の席に近いのだが、彼らのお節介や強引な性格に合わず、いつもボーッとしている僕のところにきて話しかけてくる。
この他にはSという女性とも、友人としての会話をよくしていた。
Sというイニシャルの者も、同級生には複数いた訳だけど、特に誰かを特定させる必要もないので、これ以上の表記はしない。
S(女子)の通っていた高校は美術関係の学校だったということで、その高校での授業のこと等を僕はよく質問していた。
それまでよく使っていた水彩絵具の道具でも、S(女子)は僕のものとは違う目新しいものを使っていたり。
そういった会話を、主には僕側から話しかけては会話していた。
これまでに書いてきたと話とは、重複した内容となるが。
大学の授業が始まってから2週間程で、僕は授業の内容に疑問や違和感を感じ、教員達に質問を持ちかける。
その質問へのやり取りや、その後の講評会なども、教員と僕との間で噛み合わず、かけられる言葉には早い時期から、粗っぽさや怒りが込められていく。
この状況に対して、最も判りやすい反応を示したのはKと?(名前は忘れた)いう男子生徒だった。
同級生達で遊びに行こう、飲みに行こう、そんな会話になっているなかで、僕を名指しにして
「みんな誘おう。でも、高木だけは誘いたくない」
「高木だねは、絶対に俺の仲間内には入れない」
「あいつとは関わりたくない」
「高木には関わらない方がいい」
そういう発言を次々として、明確に僕を遠ざけていく。
このやり取りには、男女間の恋愛的な駆け引きも絡んでいて、そこまで書いていこうとすると、話はもっと長くなってしまう。
だから、この辺りはザックリとした話で終らせる。
友人関係や男女の恋愛的なものも含めて、僕に話しかけて仲良くしようとする女子生徒に対して、何人かの男子生徒は、その話しかけを止めて『高木には関わらない方がいい』等と語っていく。
僕には、そんな生徒間の動向が面倒臭かった。
少なくとも、基礎に関する誤解がとける迄は、僕の生徒間の人間関係は悪化するとしか考えられなかった。
だから僕としても、僕に話しかけようとしながら止められている同級生達の問題に対して、『僕はみんなと上手くやっていくのは諦めているから、僕のことは気に掛けないで、みんなで楽しくやってなさい』という返答をしたり、そういう姿勢を持って離れていく。
考えのひとつに。
面倒臭い男子生徒だけを避け、僕は僕なりの友人グループを作ればよかった、という考えも頭には過る。
でもそれをしてしまうと、TaやS(男子生徒)から絵のことを教われなくなったり、教員たちの伝達事項等でも、不便な状況に追いやられていく。
僕個人が困るのは仕方ないけれど、僕と親しくなった為に、僕と同じ様な苦しみを共有させる考えも持てなかった。
入学当初に仲良くして貰ったS(女子生徒)に関しては、大学へ入学前から日本画を学んでいた人物であり、その『同級生から教えて貰う』という問題に不安はなかった。
だからある程度の期間は、気兼ねなく仲良くして貰っていた訳でもあった。
それでも、教員達の伝達事項をTaやSを通して伝えてしまうことや、人間関係の問題からも迷惑をかけていることを感じ、僕は一方的に遠ざかっていった。
Gについてもそうなのだが、そうしないと、彼等のことまでも、不幸にしてしまうと実感したからだ。
何人かの同級生達も、最初はこの状況に躊躇していたかもしれないが、時間の経過に合わせてその様に流され、気にしなくなっていく。
彼等の作るこの状況は、楽しい大学生活を送ろうと頑張っていた結果なのかもしれない。
でも僕にとっての優先順位では、絵を学ぶことを一番に考えていて、交遊関係はその後なのだ。
だから、彼等(彼とその友人のグループ)が僕を遠ざけようとするのを見て、僕も彼等と交流する気持ちにはなれず、遠ざかり、寂しい気持ちを持った分だけ、ただ絵に集中しようとする。
この流れが日本画の生徒間で出来て、僕と友人のように会話する関係にあったToも、その状況を早くから察して『友人のように会話をしているけれど、本当は仲良くしている振りをしながら馬鹿にしているんだよ』とまわりへ語っていく。
その為に、最初の講評会を終えた以降の時期では、Toとの会話から口論へ発展するのが頻発していく。
教員達は、生徒全員の作品が褒められているのに対して、僕に対してだけ「力がない」「何でこんなことがわからないの」と繰り返し叱り、教員や同級生達と色んな物事が噛み合わないことが、こんな状況を作り、悪化させている。
そうなった以降も、僕は何度も研究室(日本画の職員室)へ質問を持ちかけるが、絵画の基礎として認識しているものに、僕と教員達とでは大きな開きがあり、僕の質問や話はいつも程度の低いものとして扱われ、まともには相手にされない。
そうやって、僕が教員達へ質問を持ちかけて怒られるという状況によって、同級生達は教員達に質問や意見を持ちかけない流れを固めていく。
そんな状況だから、Taの様な日本画の描きかたを大学入学前から知っている人物から、日本画の描きかたを教わるということも、生徒間での重要性を増す。
こんな状況になる以前から、僕はToに対して「僕は大学の4年間は絵に集中するつもりでいる」と語っていたこともあり、Toとの会話ではいつも「これだけ頑張っているのに、このレベルの低い大学でさえ通用しないのだから、高木は終わっている。絵を描くのは辞めた方がいい。」という方向へ、いつも話を持っていく。
こういうやり取りをしていても、これは誤解が基になっている事柄だから、僕と教員達との誤解が溶ければ、同級生達との誤解も溶けると信じていた。
だから、口論で腹をたてながらも、いつも会話の最後には許していた。
Toともこんな関係だったので、僕の一番怒る部分に触れてくるのも時間の問題だった。
僕としては、高校時代に絵を見て貰っていた平田先生の死期の件が、頑張ろうとする意識の中心だった。
平田先生がまだ生きているうちに、僕が平田先生の自慢の教え子として、何かしらの実績を残していくことこそが、平田先生への恩返しと考えていた。
だから、僕は学ぶ上でやれそうなことは全てやるつもりでいた。
一般的な生徒の様に、ゆっくりと楽しく時間を過ごす考えはなく、同級生達と遊びに出掛けるよりも絵を描くことを優先しなければならなかった。
教員達との基礎に対する捉え方の違いも、1日や1時間だって早くに解消したかった。
そういうつもりで動いている僕の心のうちを、誰も知らないということはあるのだが…
Toとの口論から
「今まで高木に絵を教えてきた奴の程度が低いから、間違ったことしか教わってこなかったんだ」
という言葉が出てくる。
これと同じ様なことは、S先生やA先生(女子)も語っていて、Toはそれを真似しているだけではある。
でも僕は、S先生やA先生(女子)のこの言葉に対してだけは、強く反論していた。
Toに対しても、この件だけは聞き流すことは出来ないと注意するが、Toも「これは紛れもない事実だ」と声を粗げて譲らない。
僕はToに対して語る。
「俺のことだけを馬鹿にするなら、ある程度は我慢もする。だけど、俺に関わる者を馬鹿にするというのは、人の在り方として間違っているし、俺もその行為に対して我慢はしない。」
Toも「高木ごときにそんなこと言われたくない」と怒鳴って返してくる。
僕は「考えを改めないなら、これからはもうToとは会話をしない」と語り、会話を終える。
そんなやり取りをした翌日。
Toは珍しく、これ迄に全く話し掛けてこなかった同級生達へ話し掛けてまわり「俺は正論を言っただけなのに、高木はそれで怒り、口を聞いてくれなくなった」「やっぱり高木は頭がおかしい」「高木は誰にも相手にされない奴で惨めだ(これ迄は俺が可哀想で相手してやっていた)」等と語り、そんな話で盛り上がっている。
それから、それまでのToは、S(男子生徒)やTaのことを嫌いだと語っていたのに、この日から急に、3人は大の仲良しになる。
こんなToとのやりとりのある少し前、以前の投稿で書いた竹籠と野菜の静物画の課題を提出し、僕の課題が最高点がついたという場面を経ていた。
あの課題では、みんなの誤解を解く意味合いからも頑張ってはいたけれど、この同級生達の言動を見ていると、そんな頑張りももう手遅れだったと感じてしまう。
それでも『この教室のみんなは、みな同じく絵を描く者どおしなのだから、そのうちどこかで解り合えるさ』などと、僕はこの状況を楽観的に考えようとしていた。