高校生1 No.4
高校生になってから、色々思い悩み始めることになる。
でも、ここはまだ本題には入れておらず、これから長い話になる。
わざわざこの時期の話を持ってきているのも、僕はこういう流れを作ってばかりの存在なのだろう、という話を書こうと思うからだ。
柔道
高校では、柔道部の強い学校の体育科に入学した。
僕の出身地では、毎年実績をあげている学校であり、中学生で実績をあげている生徒を特待生として集めて入学させたりもしていた。
そういう学校の科に入学したが、僕自身は特待生ではなかった。
それから、僕はその高校は入学した最初の月で、退学を申し出る。
今になって考えるのは、この考えたことこそ、ある意味で正しい思考や判断だったのではないかと。 部活動で実績をあげているところというのは、上級生のイビリや暴力や意味不明な決まりごとの厳しさ、訓練による身体的な辛さとか、何処ででもあることだろう。
そういうものに高校入学後に触れ、自分はここにいてはいけないと考えてしまう。
少し考えてしまえば、そういうことも当然に起こる在り来たりなものだか、当時の僕はそれを理解していなかった。
まず高校へ入学してすぐに、同級生内で揉め始めた。
当時の内容は、特待生として入学してきた者のなかで、弱いのに口先ばかり強気の者がいて、それが原因でいじめられていた。
僕はそれを黙って見ていられず、庇おうとすることで、僕は同級生たちと揉めていく。
その部活の生徒間で、正しい・間違っているの議論は、直ぐに暴力に結び付いて結論付けられる。
その環境に僕は驚き、そのことで柔道を辞めようとしたが、体育科として入学してしまった以上、柔道を辞めることと退学は直結してしまう。
学校の教員や親等からは「なぜ直ぐに辞めようとするのか」と問い詰められるが、事実を語ることが自分の弱さや卑怯さを認めるような気がしていた。
仮に事実を語ってしまったなら、学校側の組織は改善で動くだろうが、同級生や上級生達からの報復も考えられる。
恐いのと同時に、この学校にはいられなくなる、という心配もあった。
それまでに柔道を諦めて退学していく者達も、僕と似通ったことを考えていただろう。
因みに、柔道で体育科に入学した生徒の半分くらいは、毎年、この問題で退学していて、学校側は練習の厳しさによるものと考えていた。
学校を辞める辞めないで、はっきりしない日が続いたなかで、僕は左腕を脱きゅうする。
部活動の最中、監督が少し部室から離れた場面でのこと。
練習中の事故であり、きちんと受け身を取らなかった僕が悪い…とまとめられた。
でも実際は、監督の不在時に上級生から暴行を受け、その結果の怪我だった。
そんな事までも、実は割りとよくある内容だった。
後で情報を集めると、脱臼程度なら軽いもので、似たような状況下で死亡したり意識不明の重態となる者も居る。
柔道というスポーツは少し特殊で、練習中の怪我や死亡等の割合は、他のスポーツと比べても突出しているとのこと。
そのなかで、監督不在時に怪我をするというケースは特に多いと指摘される。
柔道部内の悪ふざけやいじめなどでも、部活絞め落とされる事がある。
首に通う血管を圧迫し、脳への血流を止めることで気絶させる。そういう性質の技なのだ。
そのまま脳への血流を止めたままにしておくと、脳に障害を持ったり、命を落とすことにも繋がる。
僕のなかで、その絞め落とされる感覚と眠りに落ちる感覚がイメージ的に結び付き、眠ることまで恐くなった時期もある。
強い学校で柔道を練習してきた人なら、どこかしら共感を得られる話かもしれない。
前回の話に出てきた仮面ライダーでは、恐怖を感じて戦えないという場面を見たことがない。
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キン肉マンは、泣きながら「恐い」「嫌だ」などと騒ぎながらも悪者と戦う。
しかし、僕は恐さを感じると、思っている事など何も出来なくなることを経験していった。
作られた物語だから、正しい者が間違った者と戦っても良い結果に行き着いていける。
でも現実は、強ければ正しさも間違いも余り関係無かったりする。
助けた者も、こちらが弱ければ敵にしかならない。
勇気も強い意思も、自分を追い詰めるばかり。
この頃は特に、テレビなどで見るヒーロー物の番組展開に矛盾を感じ、その影響を受けて育ってきた自分に悩んだ時期だった。
目の前で起きていることに屈服し、黙っていてはいけないことに黙るということ、これが大人になることなのかもしれない。
同級生と揉め、上級生からも嫌われ、喧嘩や暴力やいびりも受けて怪我をする。
見栄や恐怖やらで、真実を話すべき処で僕自身も真実を隠してしまう。
入学した月のうちに退学を申し出てはいたが、色んな事情も絡んで高校を辞めることもできない。
自分の事なのに、何もかも自分の思うようにはならない。
当時はそう思っていた。
先に「勇気」「強い意思」という言葉を使った。
でも、これ等を今考えれば、僕の意思は弱く勇気も足りなかっただけだ。
でも、当時はそう思っていた。
それから一年間、自身の在り方に疑問を持ちながら柔道を続けた。
その間にも色々なことは考えるのだけど、話が長くなるばかりで進まないので、続きは次回の話になる。