絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

高校生3 No.6

 進学科に編入して、僕はすぐに美術部へ入った。

 最初から柔道なんかやらずに、絵を描いてだけいれば良かったのだろうな、等と当時は考えたものだ。

 

美術部

 美術部に入部した頃は、上級生にも顧問の先生にもあまり相手にされていない感があった。

 実際に活動している人物は数人しかいない美術部で、僕なんかも最初だけ顔を出して消えていく存在に見えたのだろう。

 それでも、僕が絵に取り組む姿勢が他の生徒と違っていることは、数ヵ月程で見てとれたのだと思う。

 それと、元が体育科で柔道部員だったことは、最初のあたりで警戒心する要因だったのかもしれない。

 

 美術部の顧問は平田先生という方で、時々奇抜な行動を起こすとのことで、アパッチというあだ名を持っていた。

 僕は放課後に部室で毎日絵を描き、家でも別の絵を描き、時々は顧問の先生のところへ持っていっていた。

 最初は気のない対応だった平田先生だが、いつの頃からか、僕に絵について色々と語ってくれる様になり、可愛がってもらった。

 ご飯を何度もご馳走になり、先生のアトリエも何度か使わせてもらったり。

 たぶん、まわりに絵について語り合える友人や知人が居なくて、僕の様に絵に打ち込もうとする存在が現れたことが嬉しかったのだと思う。

 学校内では、僕の学年の柔道部が例年に無いほどのトラブルを起こしていく。

 そこを僕は退部したとはいえ、そういう柔道部の生徒が自分の部に来て手懐けていると端から見えていることも、平田先生には気分が良かったのかもしれない。

 平田先生は何かと不器用な処があり、絵画の基礎は余り教えてくれなかった。
そんな状況でも、僕は高文連という高校生美術部向けのコンクールで、他校の先生たちから褒められる場面が何度かあった。

 3年生の頃には学園祭のポスターを描いたこともあった。

 そういう場面で平田先生は「こいつおもしろい絵を描くだろ?こいつに絵を教えたのは俺なんだ!」等と言ってまわる。

 美術部での平田先生は、生徒に自由に描かせるばかりで、絵画の基礎的な事など何も教えてくれてないのに、なぜ「俺が教えた」なんて言ってしまうのだ?
当時の僕は、何度かそんな風に感じて腹をたてた場面もあった。

 でも、それらの発言は先生から僕への愛情であったり、自慢の教え子だという意図の発言だったのだろう。

 絵を描ける環境を整えたり、美術館の企画展のチケットを渡して、絵の勉強をさせたのだって、教えたと言えることだ。

 

 余談だけど、初めて見た美術館の展示は今でも覚えている。

 黒田清輝展で、平田先生に貰ったチケットで見に行った。

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黒田記念館

 平田先生から「これから先も長く絵を描いていくなら、この展示はきっとお前の為になる」なんて、もっともらしいことを言われていた。

 ここでは細かな説明まではしないけれど、黒田清輝は日本の美術史のなかで有名な人物である。

 そんな存在だから、高校を卒業してから読み始めた美術史関係の本では、黒田清輝は何度も出てきたし、その度に平田先生のことも思い出してしまう。


 その他に、見えない色んな意図を持ってやっていたことも沢山あっただろう。
 そういう意図や愛情とかを、当時の僕は殆ど何もわかっていなかった。

 平田先生からは絵画の基礎は余り教わらなかったが、実は色んな事を教わっていた。
 その事に気付いたのは、高校を卒業して何年も経ってからのことである。
そんな事でたまに腹を立てたりしていても、絵を描き、絵について平田先生と語り合えた美術部は楽しかった。

 

楽しさと同時に沸いてくるモヤモヤ

 それから、編入した進学科も楽しかった。

 同じクラスの子で、可愛いなぁと見ていた数人の女の子たち側も、僕の事を好きだと言ってくれていた。
 一緒に遊びに出掛ける男子生徒も出来たりで、毎日を楽しいと思う反面、モヤモヤは大きくなっていく。

 特にそのモヤモヤが具体性を持ってくるのは、新学期で1年生が入学してからのこと。

 漠然と判っていたことではあるけれど、体育科の新入生達が2~3年生達に虐められているが目につき始める。

 これまでに柔道部の問題として書いてはいたけれど、これは体育科の野球部も同じ問題を抱えてはいる。

 そういうのを見て「僕はこのまま知らない振りしていていいのだろうか」等と、繰返し考えていた。
 小・中学生の頃の僕は、こういうものを見過ごせなくて、すぐに首を突っ込んでいったじゃないか?
 これを見過ごすなら、何のために格闘技なんかやってたんだ?
 でも、非力で弱く体育科から離れた僕なんかには、何も出来ることはない。
 そんなことばかり考えて、いつもモヤモヤしていた。