高校生2 No.5
高校の一年時。
毎日毎日、嫌々な気持ちで柔道を続けていた。
「早く柔道を辞めたい」
いつもそう思っていた筈が、いつの間にかそんな事を考えなくなっていた。
親や担任の先生とのやり取りのなかで、二年生になるまでは編入できず、それでも柔道を辞めるには、高校を退学するしかなかった。
母とのやり取りのなかで、退学もしないことを決めていたので、柔道を続ける以外に道が見付からなかった。
怪我の痕
僕は柔道部のなかで一番非力だった。
脱臼して数ヵ月間は、顧問の先生の指示で筋トレばかりしていたが、それでも一番の非力であることは変わらなかった。
脱臼のギプスをとった腕は、以前よりもずっと細くなり、肘間接をずっと固定していた為に肘が固まっていて、固定していた状態から殆ど動かない状態にあった。
それでも、月日の経過と共に、腕は少しずつ動く範囲も広がっていった。
逃げ場がないなら、やれることはやっていくしかない。
そう考えて、脱臼のギブスがとれた頃から、部活を終えて帰宅したあとにランニングを始めた。
数キロを走った後に、腕立て伏せや腹筋等の筋トレもやる。
高校に入学してすぐに弱音を吐き、すぐに怪我で練習をしなくなった僕だが、それでも、僕は同級生のなかで一番下の弱さではなかった。
そして、ランニングや筋トレは意外と成果を上げていて、それまで全く歯が立たないと思っていた相手にも競り合える場面ができた。
しかし、同時にそのことで相手が敵に変わり、部活の時間以外の処でも嫌がらせを受けるようになる。
実力で弱い筈の者に追い付かれる、その事に抵抗する気持ちはわかる。
でも、実はもう少し深い部分もあった。
柔道部の部員の半分以上が、幼い頃からその格闘技の訓練を積み重ね、大会でも実績をあげてきて、親やまわりの人達から期待を受けてきた者ばかりでもある。
そんな中での僕は、柔道の歴は浅く、誰より非力で体力もなく、入学してすぐ学校・柔道を辞めようとしていた存在。
勿論、特待生でもない。
僕にとって、柔道は絵の掛け持ちのものであり、一番は柔道よりも絵の方だった。
それが僕にとっての心の逃げ道でもあった。
後になって思うことだけれど、それでも、必死に強くなることを考えて、お互いに技を競い合って、お互いに強くなるべきだった。
部活以外の場面で、殴られたり批判されたりしても、必死に立ち向かうべきだったのかもしれない。
それでも以前のように、部活内で悪意を持っていびられたり、袋叩きにあって怪我をする状況を作っていくのが怖かった。
端から見れば幼稚な行為だけど、彼等は強くある事に必死で、こんな僕に実力で並ばれることも許せなく思えたのだろう。
僕には彼等程に強くなりたいと願っている訳でもないのだから「こんな僕は強くなってはいけないのかもしれない」等と考え始める。
それもまた、僕の幼稚な考えだったのかも知れない。
そうして二年に進級する頃には、進学科へ編入して柔道を辞めることにした。
それから随分後になってから、柔道部物語という漫画の存在を知った。
柔道部を経験した者なら、かなり共感できる内容が多いと思うし、そうではない人も、十分に楽しめる漫画だと思う。
もし柔道をやっていた頃にこの漫画を知っていたなら、当時の柔道への取り組みやイメージも、少しはちがっていたのかもしれない。
個別「柔道部物語 セッキョー もうやめろよ おことわりします」の写真、画像 - gryphon's fotolife
二年次の編入
高校の2年に進級するとき、体育科から進学科へ編入した。
大嫌いになった柔道から離れられたのに、当時は心の中がモヤモヤしていた。
部の習慣とか伝統などと言って、一年生の頃に一緒に柔道をしていた者達は、当然のように一年生を虐めることになる。
学校の売店も、部の一年生は利用禁止。北海道の特に寒い地域なのに、冬場もジャンバーやコート等を着用しての通学は禁止。
学校で女の子と口を利くのも禁止。
上級生が決めた意味不明な決まりの数々が、僕には嫌で嫌で仕方なかった。
嫌で柔道を辞めたのだが、いつも後ろめたい様なモヤモヤするものがあった。
二年生になり進学科へ編入すると、クラスの半分は女の子だった。
体育科は柔道部と野球部の生徒だけで占めていて、全員が男子生徒だったこともあり、柔道部だった頃の仲間からよく妬まれた。
僕が女の子と会話しているというだけで、言いがかりをつけられ、そこから殴り合いの喧嘩もする場面も起きてはいた。
でもその辺りは、僕とっては苦にも思っていなかった。
僕は昔からボーとしていて大人しい性格であり、柔道部の何人かからは「あいつは部で一番弱かった」等とよく批判してくる。
それでも拳での殴り合いでは対等にやれている処を、体育科以外の生徒が時折見ることになり、変な誤解も広がる。
「柔道をやっていても、喧嘩の強さとは関係ないんじゃないか?」
そんな噂を真に受けて、柔道部の面子に喧嘩を売る不良もいた。
そんな感じで見かける不良と柔道部員との喧嘩は、いつも柔道部側の一方的な流れで、最初の数パンチで相手は倒れ込んでうずくまり、病院へ搬送された後に、アバラが折れてたとか頬骨が砕けていたとか、そんな話ばかりを耳にしていた。
現役で格闘技をやっている者の強さの上下を、素人感覚で考え、自分でもやれると喧嘩を吹っ掛けて後悔するのも、幼さだと思う。
その誤解を生んでいる僕自身も、素人ではない。
喧嘩を売られても買わないことが、弱いように見えることは、集団心理なのだろうか。
地元でも不良の集まる高校だったから、そういう喧嘩の話は、卒業近くまで割りとよく耳にしていた。
その喧嘩で主に話題になる柔道部員は小川という人物で、中学生までは網走の暴走族の特攻隊長として有名だったらしい。
小川はそんな人物だから、人に怪我を負わせることに躊躇なんかしないことを、知る人は知っていたし、多くの生徒も一部の教員も、そんな小川のことを怖がっていた。
そんなのと対等に殴りあっていた僕ではあるが、中学時代に少しボクシングをかじっていたことを知るのも、柔道部の面子だけだった。
それと、僕と小川が殴りあっていたと述べてはいるが、実際は、小川が言いをつけながら殴りかかってくる状況に対し、僕は殴り合いを回避しようと説得しながらも、殴られたことへの条件反射で殴り返してしまっている状況だ。
柔道部とのトラブルは時折あるのだけど、二年生になってから進学科に編入することで、楽しいことは沢山あった。
幼い頃からお絵かきが好きだった経緯から、すぐ美術部に入った。
進学科へ編入してから出来た友人も多く、女の子の友人も何人か出来た。
自分でこういう話を語るのも恥ずかしいのだけど、この頃から何人かの女の子に好かれていく。
僕も、同時に数人の女の子を好きになったりして、どちらを選ぶべきかで迷ったりしていた。
進学科へ編入してから出来た友人と、遊びに出掛けた事の何と楽しいことか。
クラスの女の子の事で迷い、美術部では大好きなお絵かきをする。
楽しい日々は続くのだけれども、いつも柔道を辞めてから起きるモヤモヤした気分は、いつまでも消えなかった。