油彩の制作途中、部分。
↓の画像は、今朝から再開した絵の部分。
というか、指触乾燥を待ってただけだけどね。
今回は、Facebookでの投稿をコピーして貼り付けたコピペです。
手抜きして、すまんません。
先週は、ある人に手紙かこうと頑張ってたんだ。
元々お馬鹿な僕だから、気を遣ったり、礼儀的な書き出しを考えたりも出来なくて。
その相手とは二十年ぶりのやり取りで、二十年前の僕はもっと馬鹿なりに、気を遣おうと、でも表向きは失礼なことをしていた。
本質はたった一言で終わることでも、色んな状況や事柄が複雑にして、本質から遠ざかっていくことが多いんだよ。
そういう手紙を書くのに、内容より形式的なもので苦しんでいた^^;
関係あるような無いような話。
Facebook上の友達とかで、死期の迫っている何人かの人の投稿を見ている。
そこへ直接コメントすると角が立ちそうだから、ここで書いてはぐらかしておく。
僕の高校時代の絵の先生は、肝臓癌で医師から『もう長く生きられない』と宣告されて、色々と悩みながら絵を描いて、やっぱり最後は亡くなっていった。
表向きは強がってたけど、人並みに落ち込んで凹んでいたよ。
そういう場面で人の考えることは似たり寄ったりみたいで、僕が好きだった画家の竹内栖鳳や上村松園も、死期が迫ってからは『もっと絵を描きたかった』と口にしていた。
ものを作っている人だから、具体的なことは違っても、根本的には似たり寄ったりのことを考えているんじゃないかな?
どうせいつかは、僕も後を追ってあっちには行くよ。
その時に、お互いに天国なり地獄なりで会えたなら、またあの時のコメントのやり取りみたいに楽しくやろう。
どっちかだけ天国や地獄に行っちゃって会えなかったら、ごめんな。
『あいつだけ天国(地獄)に行きやがって』と怒ってくれたらいいよ。
あっちに行く時期的なものを知っちゃうと、みんなそれぞれに色々とあって苦しいだろうけど、みんなやれることやってから旅立つしかないよね。
悩み苦しんでるのも、きっとそれのひとつだよ。