絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

止まった時間1 No.117

あれからの時間

 それからの僕は、ろくな人生などは送っていなくて、大体同じようなことを繰り返している。

 新たに出会う人や昔から僕を知る人などは、美術大学を出て絵を描いていこうとする僕の人生を、夢があって羨ましいとか言うけれど、そんな羨ましいなどと言われる様な人生ではない。

 僕にしてみれば、そういうことを言ってくる人の人生こそ、遥かに羨ましい人生と思っている。

 人並みに仕事をして、仕事後には遊んだり、恋をして結婚したり、仕事や結婚で失敗する人も多くいるけれど、そういうものも含めて羨ましくて見てしまう。

 

 美術大学を卒業してからの僕は相変わらずで、何度絵を描こうとしても、思うような絵はいつまでも描けない。

 いつもイライラしていて、過去の嫌な思い出など忘れなければと考えるのだが、それを忘れた日など画学生の頃から1日としてなかった。


 僕が美術大学に入学してから失ったもの…一番の痛手は何だったのだろうか。そんな事を時々考える。

 親しい友人や家族や、お世話になった人達との繋がりだろうか。

 或いは、平常心や集中力だろうか。

 端から見れば、それは大したことではない様に見えるかもしれないけれど、人一人の人生を狂わしていくものとしては、小さなものではなかった。

 こういうことを考えると、大学の教員達の言葉も、同時に頭のかなに浮かんでくる。

 「高木は、どうでもいいことしか考えていない。」

「お前の言っていることは、何かもかもが小さい。」

 そう言われ続けてきたことは、本当にどうでもいいことだったか?

 これから死を向かえる恩人の為に、必死になって頑張ろうとしていたことや、その行為へ邪魔してくる者達に対して、その邪魔する行為にどんな意味があるのか問いていることが、そんなに小さなことだろうか。

 大学の授業を受けさせないように、日本画の校舎への出入りを禁じたり、課題の制作スペースを使わせなかったり。

 『芸術には関わっては生きていけなくしてやる』

 などという言葉で、教員という立場の者が怒鳴り散らし、他の科の教員達にまで僕個人への悪口を話し回っていたり。

 卒業式の帰りに、同級生から小石をぶつけられて、頭から血を流しながらも我慢して帰宅していたこと、等々。

 大学の教授・助教授という立場からしたら、気に入らない生徒がそんなことになっていても、小さくどうでもいいことなのだろう。

 その後の人生が滅茶苦茶になろうと、そんなことも知ったことではないのだ。

 そんな連想は、美術大学を卒業した以降もいつまでも続き、それは何年経とうが、頭から追い出すことはできずにいる。

 

愚かな就職活動

 以前の話では、何となく行き着いた岡山県で、派遣会社を利用して、自動車工場で働き始めた処まで書いたと思う。

 働いていたのは5年くらいの期間だっただろうか。

 あの時も、いつも打ち消せない悪意が頭のなかを占めていたけれど、歳の近い友人もいたり、労働環境が良かったりで楽しかった。

 でも、楽しいと思うほど、本来的に自分が歩むべき方向から外れていっていると感じていて、このままではいけないという気持ちや不安ばかり募った。

 30歳になる前にという意識で、その工場・派遣会社を辞め、パソコン等のスキルを学びながら、デザイン会社等の会社の求人に応募したりもした。

 30歳を過ぎてしまえば、現実的にも、そういう方面の仕事に就くのは諦めるしかないと考えていたからだ。

 そうして予想通りに、20代でその方面の会社に採用して貰うことはなかった。

 美術大学を卒業していても、絵画系だった者は、商業美術関係の勉強が不足していて、そういう方面への就職は難しいのだ。

 もっというと、三流の美術大学を卒業して何年も経過していながら、そういう経験を一切積んでいなければ、相手になんかはされる筈もない。

 そんなことも薄々とわかっていながら、本来は大学生が就職活動でやるようなことを、いつまでも続けていた

 そんな自分が愚かであることも、重々承知していた。

 

急性腸炎

 そんな感じで、手に職なんかつかないまま30歳を過ぎ、デザイン会社関係への就職なんかも諦め、派遣会社経由の仕事を転々としていく。

 絵が描けないと悩むのは、この頃も相変わらずだった。


 それから、二十代の後半から三十代になった辺りの頃に、急性腸炎を頻繁に起こしてしまう。

 その原因は、今もわからない。

 便秘の様なお腹の痛みから始まり、その痛みは時間の経過と共に段々と酷くなっていく。
 そうして最終的には、ただ立っていることさえも困難になる程の痛みとなる。

 初めて急性腸炎になった時は、僕は何等かの病気となり、ここで命を落とすのだと思ったけれど、そんな大袈裟なものではなかった。


 後で調べてみると、急性腸炎とはひとつの病名ではなく、色んな要素から腸の炎症を起こした場合の症状の総称であると知った。

 食中毒や風邪といった、バイ菌・ウィルス等による原因が殆どらしい。

 急性と呼んではいても、実際に原因が出来て、腸が炎症を起こして痛みに苦しむ迄の間には、1週間くらいの経過はあるそうだ。

 しかし、病院で処置を受けると、その痛みは数時間後には消えていく。
一回の治療費は数万円くらいで、結構な額を徴収されてしまうけれど、すぐに治ってしまう状態を考えると、大層なものではないのかもしれない。

 精神的なストレスによる症状、という例も人伝に聞きはするのだが、ネット検索や病院の先生との会話のなかでは、精神的なストレスという話は出てこなかった。

 だから僕的には、精神的なストレスというのは考え辛かったりする。

 画学生の時は、胃がキリキリ痛むことが毎日で、毎晩悪夢も見ていたり…精神的なストレスでどうにかなる場合があるとしたら、今ではなくあの頃になっていた筈だ。

 今は色々と思い悩んでいても、心は、あの頃よりははるかに楽な状態にある。

 病院で診断してくれた先生も、食中毒や風邪ばかりを疑うもので、僕もそうだと考える。

 その急性腸炎を、特に酷い時期には、数ヶ月おきに繰り返し起こしてしまう。

 その原因というのは、結局の処、今もよくわからないでいる。

 まだ30前後だった頃の話だけれど、歳や身体の衰えというものも絡んでいるのかもしれない。

 

 

 ↓下の自画像は、急性腸炎とかの話とは関係無いのだけれど。

 大体この話の時期頃に、数少なく描いていた絵のひとつである。
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                         自画像(木炭)

 たまたま、当時の木炭デッサンの画像があったので、ここに貼っておく。