絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

パチンコ店での勤務2 No.122

従業員の入れ替わり

 アルバイト等を含めた8人のホール従業員のなかから、突然4人の正社員が退職していった。

 店舗のやり方としては、いつも本来必要な人員から一人分足りない人員でホールをまわしている。

 そうしてホールをまわしている人員の半分が、突然にいなくなったので、普通に考えると大変であった。

 普段は殆どホールに出てこない役職者や管理職にある人達までが、実際にそう思っていたかはわからない。

  ただ、僕個人に関しては、変な言いがかりや仕事の押し付けなどをする人達がいなくなったことで、人手は不足して休みがなくなっていても、逆に働きやすく感じていた。

 

 先輩従業員達が退職して、アルバイトではあるけれど、新しい従業員達が入社してきた。

 社長の考えで、これからは社員の割合を減らしてアルバイトを多くする、という方針にしたことを聞いた。

 新人教育に関しては、この頃から僕も行うようにと指示を受けた。

 僕としては、この会社の従業員・新人の教育には不満を持っていたもので、自分の思うかたちで教育をしていた。

 それを店舗の主任や常務等は「そんな細かく教えなくてもいい」と言って、もっと手を抜くように意見してくる。

 そこまで手をかけても、従業員の成長は変わらないし、使えるやつは使え、使えないやつは使えない、という考えを持っていた。

 そこに対して、僕は反論こそしなかったが、そうとは思わなかった。

 僕がそれまで色んな仕事をして、後輩へ仕事を教えたりしてきた経験上、この会社の従業員教育は適当過ぎると感じていた。

 手を抜いた教え方をする人が多い為に、特にはこの店舗で初めてパチンコ店勤務をする人には、最初に教わった事が身に付いていなかったり、自己流で身勝手な仕事の解釈をする者もいて、従業員がなかなか育たない傾向にもある。

 それを、使えない奴として括ってしまう。

 彼等が使えると指している者達というのは、最初から同業他社で働いた経験を持っていて、細かな指導をしなくても早い段階から適応する人達である。

 又は、彼等の関与していない処で従業員教育を受け、それなりに仕事を把握していった人達でもある。

 この会社の役職にある人達は、従業員を育てることが下手であり、そこへの労力も渋る人達でもあり、そのことへの認識を持っていない。

 会社等で新人教育の経験をした人ならば、新人が仕事でミスをしたり、作業がなかなか身に付かないというのは、教える側の教え方や責任として考えられる筈だ。

 でも、そんな感覚がこの職場には抜け落ちていて、ミスをしたり仕事が一度の教えで身に付かないのは、その人物の怠慢であるとして叱りつけてしまう。

 僕も、そんな感じで何度も怒られながら、仕事を覚えてきた立場ではあるけれど。

 新人に仕事を教えるとなると、そのやり方に従った手抜きの教育はしたくなかった。

 上司達と自分とでは、この件についての考え方の違いは大きかった。

 それでも上司達は、無駄に労力を使って苦労すればいいと、僕の従業員教育を止めるより、遠目に見てバカにするかたちをとった。

 

 そうして早い時期に、2人のアルバイト達が入社してきた。

 たまたまだけれど、どちらも物覚えも要領もよい。

 二十歳前後の男の子で、性格も明るく素直で、僕にはない良さばかり持っていた。

 退職した先輩従業員達や僕が感じるのと同様に、そのアルバイト達も、退職しなかった先輩従業員達や主任等の仕事へのやる気の無さ、適当さや身勝手さなんかにも早い時期から気付き、腹を立てていく。

 それを僕の立場では、なかなか善処出来ないのだけれど、まずは僕自身が率先して動いて見せた。

 そういう人達の前であっても、手抜きをせずに働く存在になることを願い、僕が見ている限りではその様に育っていった。

 僕の上司達は、僕をバカにする習慣を持っていたので、長く努めているアルバイトや一般の従業員達も一緒になって僕をバカにし、見下していた。

 そんな流れにあって、新人達は仕事を覚えていく。

 半年くらい経過した頃には、長く努めているアルバイトや十年くらい努めているホール従業員よりも、仕事を把握して働く様になっていった。

 この過程を思い返したときに、当初は、上司達の言うように無駄な労力で終わるような気にもなっていた。

 それでも、新人アルバイトが仕事を把握して、仕事上の信頼を受けていく姿を見ると、自分の考えや労力は無駄なものではなかったと実感する。

 上司達の認識といえば、僕の新人教育がどうこうではなく、そのアルバイト達が元々使える人員だったと語る。

 僕に対する会社や上司達の評価や評判なんか、僕にとってはどうでもよく思っていて、当時はその事に深く考えてもいなかった。

 

総量規制

 いつ頃からか、S常務は専務になり、S店長は本部長になっていた。
(店長の役職者はは不在となり、店長業務は専務と本部長とで行う)

 その後、世の中では総量規制という規制も始まった。
 金融会社の貸付額(借金の額)を制限するもので、その総量規制直後からは、目に見えてパチンコ店への客数は大幅に減っていった。

 顧客も売上も大幅に落ちていけば、店長業務(専務・本部長等)を行っている者達の機嫌も明かに悪くなっていた。

 退職した先輩従業員達がいた頃、特に機嫌の悪い時のS専務は、ホール従業員達の粗を探しては、怒鳴り散らして気を張らしていた。

 それから先輩従業員達が退職した少しの間、その八つ当たりの行為は控えていたが、総量規制の辺りでは僕個人を主なターゲットにして再開する。

「本当にお前は使えない奴だ」
「お前なんか(この会社に)いらねえよ」
「テメェは絶対に辞めさせてやるからな」
「テメェは余計なことを喋るな」
「うちの従業員はみんな頭が悪いから、本とか読ませて頭を良くしてやらないとなぁ」

 こういう常務の言動は、ネットなどで見る在日韓国人の日本人に対する行動と重なって感じてしまうのだが(彼も在日韓国人で、社長の息子である)、真意の程は判らない。

 勿論、暴言を吐くのは専務だけではなく、暴言だけが問題という訳ではないし、日本人の従業員達も適当で、不満は色んな処にある。

 それでも、わざと他の従業員達の前で僕を怒鳴り付けて見せたり、理不尽な扱いをして不快感が高まった直後にお客さんとの接客をやらせたりする状況で、誤解や怒りに苦しむ場面があまりに多かった。

 そういう場面を他の従業員達へ意図的に見せることで、この職場の歴の長い者ほど、上司である僕の言葉には耳を傾けないし、反発し、自身の身勝手な解釈や、専務や本部長の顔色を伺った判断をしていく。

 その事で、組織的なものは崩れかけていくもので、また変な処でトラブルや手間がかかっていく。

 そんな状況も、上司達は「俺の言うことはみんなちゃんと聞く」と語りながら、全てが僕の能力不足というかたちで解釈するばかりだった。

 僕としては、絵を描く為の生活環境を整えようと、どんなにバカにされようと頑張っている意識があった。

 仕事は絵を描く環境作りの過程と考えているので、どれだけ理不尽で腹立たしくても、自分がやれるだけのことをやっているならそれでよい、という冷めた考え方も持っていた。

 そういうつもりでも、仕事では殆どの従業員がのんびりしている場面であっても、僕だけが休憩をとる余裕も持てないことには疑問を持っていた。

 本来なら、朝からの勤務で夕方に帰れる筈でも、いつも仕事を切り上げられずに、ズルズルとサービス残業をしているし、その上で仕事を家に持ち帰ったりもする。

 本当は絵に関する本を読みたいのに、いつも仕事絡みの本やネット検索をするばかりで、会員メールの内容に悩みながら睡眠時間を削っていったり。

 上司達から僕の生き方に対する否定なんかも増えていき、「絵を描くよりも仕事をしろ」等とよく説教され、プライベートな時間を潰されたり批判されることに苛ついていたり。

 休みの日に、わざと休みのとれない状況(新台入替えの作業など)を絡ませて休日出勤をさせたり。

 細かな話を語れば、他にも多くあるのだけれど…

 この職場にこれ以上長くいても、僕の人生のプラスになるとは思えなかった。

 僕が絵を描けないと苦しむ以前に、絵を描く時間も奪われ、サービス残業ばかりなのでお金も潤わない。

 だから、この頃に入社してくる従業員の教育にある程度の目処がついたなら、この仕事は辞めて、自動車工場等の製造業の仕事に戻ろうと考えるようになった。

 日本人は職場を退職するとき、自分の仕事を全て片付けて退職しようとする傾向にある。

 僕が『自分の後に入ってきた後輩たちが、仕事で困らない位までに成長する迄、退職や絵に力をいれるのは我慢しよう。

それ迄は、彼等(後輩達)の仕事上での立場や環境を、少しでも守ってやらなくては』等と考えてしまうのは、日本人らしくも悪い部分なのかも知れない。

 

 退職を考え始めていた頃には、美樹という女性と仲良くして貰っていた。

 居酒屋で働いていた時にも、同じ名前の女性と仲良くして貰っていたが、たまたま同じ名前で別の女性である。

 仕事の後や休日に遊びに行く約束をしても、仕事の関係でどうしても約束の時間に会いに行けないことも多かった。

 というよりも、仕事の為にプライベートな時間が潰れることが普通に思えるように、会社はわざとそういう状況を作っている。

 美樹からは『仕事だから仕方ない』とは言ってくれ、文句や愚痴も控えてくれていたけれど、いつも不満は持っていた。

 だから、美樹の方からも仕事を変えた方がいい勧められていたし、退職後にはたくさん遊びに出かける約束なんかもしていた。

 美樹のことばかりではなくて。

 工場で働いていた頃に知り合った友人関係とも、会って飯を食う程度の時間も作れなくて、疎遠になり連絡も途切れていく。

 仕事の目処とかと考えずにサッサと辞めるべきなのだろうと思いつつ、それをしない・出来ない自分のバカ正直な性格が、いつも愚かにも思えていた。

 

 因みに。

 一時期に頻発していた急性腸炎は、この頃もそれらしきものが何度か再発していた。

 しかし、虫垂炎の手術をして以降、歩けなくなる程の痛みにまで発展することはなく、腹痛に堪えながら仕事を乗り切る日もあった。

 その痛みの理由や虫垂炎との繋がりなども、未だによく判らないまま、今に至っている。

 

 仕事の話とは関係ないのだけれど。

 ↓はこの頃に描いたアクリル画
f:id:motonari1:20200716080137j:image

 十代の頃に好きだった、仮面ライダーの絵だ。