絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

ルノワール 『都会のダンス』と『田舎のダンス』

 数十年前の記憶ではあります。

 ルノワール都会のダンス田舎のダンスという対になる絵のことを、何かの本で読みました。

 当時は良い話の様な印象を持ち、記憶には留めたのです。

 それからテレビやインターネットで、今回の話題となる都会のダンス田舎のダンスの絵や紹介を何度も見かける度に、僕は期待してみるのですが、記憶している話は出てきません。

 本当は、忘れた話も多くあるために、改めてその辺りの話を知りたいのですが…なぜか毎回語られてきません(..)

 という訳で、今回はその辺りの話を語ってみようと思います。

 

 都会のダンスと田舎のダンス

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左から、

ブージヴァルのダンス》1883年 ボストン美術館 
Picture Fund 37.375
Photograph ©2016 Museum of Fine Arts, Boston.
田舎のダンス》1883年 油彩/カンヴァス オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
都会のダンス》1883年 油彩/カンヴァス オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

http://bluediary2.jugem.jp/?eid=4267

 タイトルから『都会のダンス』と『田舎のダンス』といっているのに、みっつのダンスの絵を貼付しました。

 三つとも1883年に制作されたものです。

 この絵は三部作として描かれたものではなく、左のブージヴァルのダンスだけは、他のふたつよりも数センチだけ大きいキャンバスに描かれているそうです。

 『都会のダンス』と『田舎のダンス』に関しては、対で描かれていたと考えて間違いはないだろう、と言われています。

 制作の経緯に関しては、wikiから引用しますね。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%88%8E%E3%81%AE%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9

『田舎のダンス』は1882年、画商のポール・デュラン=リュエルが舞踏会を主題に注文、1886年に購入した作品である。 最初の展示は1883年の4月で、彼は1919年にルノワールが死去するまでそれを所蔵していた。 ルノワールは同年、同じテーマで『都会のダンス』という作品も描いている。

ルノワール1881年にイタリアを訪れており、そこでラファエロの作品に感銘を受け、印象派からの脱却を図った。 『田舎のダンス』はこの時期の作品である。

 

田舎のダンス

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https://ameblo.jp/art-meigakan/entry-12197613935.html

田舎のダンスのモデルになった女性はアリーヌ・シャリゴ。

 男性のモデルはポール=オーギュスト・ロート。ネット上ではルノワールの友人と書かれているのをよく見かけていますが、僕の記憶ではルノワールの弟です。

 ルノアールが38歳の時、20歳のアリーヌと出会い、1890年ルノワールが49歳の時に結婚しました。

 結婚よりも先に長男を出産していたので、事実婚だったとも言えます。

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【アリーヌ・シャリゴの肖像】

制作年:1885年
原画サイズ:65.4×54cm 
所蔵:フィラデルフィア美術館

https://ameblo.jp/art-meigakan/entry-12197613935.html

 

都会のダンス

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 http://bluediary2.jugem.jp/?eid=4267

 都会のダンスのモデルになった女性は、シュザンヌ・ヴァラドンという女性で、ブージヴァルのダンスでもモデルをしています。

 こちらの男性モデルも、田舎のダンスでモデルをしたポール=オーギュスト・ロートです。

 シュザンヌは十代後半で絵のモデルを始めます。

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 「二日酔い」(ロートレック作、ヴァラドンの肖像)"La Buveuse"

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%B3

 モデルとして、多くの力のある画家たちと接していた影響もあり、後にはシュザンヌ自身も絵筆を持って画家になります。

 シュザンヌは『都会のダンス』にも見られるように、ルノワールのモデルもしていました。

 そのルノワールからも絵を教わっていて、不確かではありますが、シュザンヌはルノワールに好意を寄せるようになっていた、という話があります。

 そして、この『都会のダンス』の絵をルノワールが制作していた時点でシュザンヌのお腹のなかには、ルノワールの子を身籠っていたとも言われています。

 そのお腹の子は、後にモーリス・ユトリロという画家にもなります。

 

ルノワールのその後

 ルノワールの研究者の推測での話ですが、ルノワールは『都会のダンス』と『田舎のダンス』の絵を描く過程で、妻とする女性をアリーヌにするかシュザンヌにするかを決めていたといわれています。

 ダンスの相手に弟を務めさせたのは、ルノワールの姿に見立てていた可能性も高い、とのことです。

 その上で妻に選んだのは、『田舎のダンス』のモデルをしたアリーヌでした。

 この妻の選択は、その後のルノワールの絵の方向性にも影響したと考えられています。

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作品名:ピアノを弾く二人の少女
製作年:1892年
サイズ:116x90cm
技法 :油彩 キャンバス
所蔵 :パリ オルセー美術館

http://www.artmuseum.jpn.org/mu_piano.html

 この話を知った当時はルノワールの絵の雰囲気もあって、いい話の様な印象をもちたく思いながらも、何だかモヤモヤした感じがありました。

 そのモヤモヤというのは、ルノワールの二股行為に対する思いだったのですよね。

 いい話なんかじゃありませんでした。

 感動的ないい話を期待しながら、ここまで読んできた方が居ましたら、あやまります。

 ごめんなさい\(_ _)

 でも男女の良し悪しの問題は、当人たちでないと解らないって考え方もありますよね?